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実質主義・・・これは一時的な流行か、進化か
最近おもうのですが 総合格闘技 実際誰が強いか 税込み価格表示 税抜き○円でなくて何円払えば買えるのか 匿名掲示板 匿名により真実の事を書き込むことが気軽に感じる リアルという言葉の流行 世間に知られてる肩書きとかではなく純粋に[スゴイ]という意味を持ってる思う 今これくらいしか思いつかないのですが「タテマエでなく中身」な風潮になってきたと感じます。 例えば最初に挙げた総合格闘技ですが、プロレスラー、武術家、オリンピック選手、だれが本当に強いのか。ボクシング世界レベルの人が無名の選手にあっさり負けたり、体格差のありまくる相手に馬乗りになりボコボコにしたり、それを見て喜ぶ観衆(もちろん自分もです)。 これは一時的な 風潮 であり流行でしょうか、それとも大切な事を見る目ができたという大袈裟に言うと 進化 ととれるのでしょうか。 これは人によりけりだし、勿論絶対こうなるという答えこそ出ないものの、みなさんの意見を教えてください。できればそう思う理由を聞きたいです。 ついでに自分はとてもいいことだとおもいます。ただ、これが一時的な風潮なら少し怖いなと思いまして。つまらない質問で申し訳ありません。
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>総合格闘技,実際誰が強いか 違う強さが本質ですが種目によっては禁じ手などがありスポーツ的にならざるを得ない部分もあると思います。 >税込み価格表示 今までは赤字や一定額以下の売上げの場合納税の優遇処置がありましたが、事業主の納税基準はより厳しくなったはずです。 >匿名掲示板 ご存知かと思いますがもはや匿名ではありません。 >リアルという言葉の流行 大ざっぱにいうと大衆文化=模倣文化です。CDや版画が大量に複製させるように、これらはオリジナルの持つ神聖さ(アウラ)を消滅させました。特に趣味的なものでは最近の流行の特色として限定版など数量的に数の少ないものが貴重に扱われやすいといえます。 「タテマエでなく中身」なのは「オレ流」の相対的な価値観、差と差異から絶対的、社会的に意味あるモノを追及する方向へシフトしたということではないでしょうか。 情報としての価値というのは差と差異の産物であるため相対的であらざるを得ません。しかもその差と差異というのはそれを作り出す背後にある「意味」が常に問われます。肩書きのようにラベリングされていること(一つの記号といえます)の意味を問うということは中身ではなく、本質を追っているといってもよいと思います。これは音楽の世界で「これがロックだ」などとやっていたのと同じことで、建前として形骸化しやがて本質を見失う。そのために「ロックは死んだ」とJ・ロットンがいったわけです。 本質を追うには本質が何かを想像する想像力が必要です。しかし毎日、テレビやネットで様々な情報に接するとそこで得た価値観に納得してしまうだけで終わることの方が多いと思います。( 情報自体の消費活動)そのようなことから感覚的な刺激を感受するに過ぎず本質を見失いやすいのが情報社会の病理です。 これは転じて言えば、自分は本当に仕事をしているのか、単に仕事を消費しているだけではないか、年はやがてとっていくが果たして、善く生きているのかということと同じです。 映画「Marix」1作目と書籍「Matrixの哲学」とボードリヤールの「シミュラークルとシミュレーション」は読んで欲しいと思います。 私は情報周辺…社会情報学や情報学から色々しらべていますが、現象学と実存主義もこれからやりはじめるつもりです。
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- ranx
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流行かなあ。 「何が本当か」なんて、2千年以上も前から、 哲学者が問題に「し続けている」ことだと思うけど。 それでいて、未だにはっきりした結論が出ているとは 言いがたいわけで...。 道徳的な仮面をかぶり続けることに耐えられなくなると、 欲求のストレートな表現が好まれるようになります。 しばしばそれは旧来の道徳的な枠組みをはずれ、 それ故に旧勢力から「悪」とみなされます。 ところで、新しい価値を求める人も、往々にして思考の 枠組みは古いままでいることがあります。すると、 悪であることが価値であるかのような錯覚に陥ります。 真実を求めることが価値であったはずなのに、やがて 悪の仮面をかぶり続けることことに重点が置き換わって しまいます。「悪」という新しい建前ができてしまう わけです。 気づかない人は悪の中に埋没していきます。 気づいた人は新しい「真実」を探し、その繰り返しです。 「自分こそがリアリストだ」と思った人は、 多分立ち止まって考え直した方が良いのだと思います。 誰とは言いませんが。
補足
じゃあ、とどまらないで考え続けてよかったです。ありがとうございました。
- loopofwater
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流行だと思います。でもこれからもっと盛り上がっていくでしょうね。全てがお金で換算される資本主義において、金額でなく、その本質的なものを見定めようと人間がもがき始めたということでしょう。 でも、今のところ結局何も変わっちゃいないのではないでしょうか。結局はその「本質」とやらも商品の「パッケージ」に使われ、「パッケージ」やイメージのみを気にしていた今までの社会と変わらずに流行は走り続けているのです。 「資本主義自体に問題がある」とここで言っても場違いだとは思いますが、結局はこの社会に対して疑問を感じ、新たな(温故知新な)価値観を得ようとする人間の行動がこのような風潮として現れたのだと思います。 しかし、本当にまだより多くの価値観が人間にとって必要なのでしょうか。 今の世の中は価値観の使い捨て消費時代です。企業、芸術家の発する価値観を喰らっては他の価値観を求め、限りのない過食、拒食を繰り返しているのです。 現代の日常生活が、他人から与えられるイメージによって成り立っている、夢物語のようなものだと人間が気づき、その夢から醒めて絶対的なモノを手にするまではこの風潮は止まらないのかもしれません。
補足
俺はあなたのようなもう今の俺を這いつくばせる程の徹底した、てかしっかりした意見を求めていた気がします。あと二年で大学ですが、社会情報学・・・興味あります!ありがとうございました。