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【現代音楽】評価が高いが難解な曲の楽しみ方【フリージャズ】
こんにちは。 いろいろ音楽を聞いていると、かなり評価が高いのに、普通の耳では聴き辛い、難じゃコリャ?という音楽がたくさんありますよね。決してヘタだとか、質が低いとか言うのではなく、その筋からしかるべき評価を受けているのに、どうにも理解しがたい音楽。特に現代音楽やフリージャズに多い気がします。 もちろん個人の許容範囲の問題もありますが、今までちらっと聞いてダメだったのは、シェーンベルク、ノーノ、安部薫、ずっと昔に聞いたアート・ベアーズも?だったし。 まだ聞いていないけど、セシル・テイラーあたりも似たようなものかな?想像しています。 ポール・ブレイあたりはギリギリ許容範囲内だったけど。。 こういった現代音楽やフリージャズが好きな方いらっしゃいますか?例えば同じ棚にシェーンベルクとショパンが置いてあったら、あえてシェーンベルクを聞くという方・・。 こういった音楽の正しい聞き方、楽しみ方ってあるのでしょうか。またこういった音楽に対して高い評価をしている方はどういった観点で評価しているのでしょうか? 答えにくい質問かもしれませんが、ぶっちゃけたところを聞きたいです。宜しくお願いします。
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たびたび‥ シェーンベルクや、ノーノ、ブーレーズの超難解な音楽を楽しんで聴く人は、どんな有名なピアニストにもいないです。シェーンベルクはなぜ12音技法を発明したと思いますか?それは、美しい旋律を使用して音楽を書いても他人の模倣にしかならないからなんです。 ベートーヴェンのピアノ協奏曲5番「皇帝」を知っていますか。あの冒頭の旋律は、「上を向いて歩こう」の旋律にそっくりです。同様に、ショパンの「幻想曲ヘ短調」。ここに出てくる旋律は「雪の降る町を」に似ています。 シューベルトの曲にでも、この旋律、ベートーヴェンの音楽にも似たようなのあったよねとか、マーラーのこれはワーグナーに似ているよねとか、音楽は長い音楽史を経ていくうちに、そのままの作曲方法でいくと、誰かに似た音楽、他人の模倣にしかならなくなってしまったのです。 ところが、作曲家にとって重要なことは、いかに自分のオリジナリティを表に出せるか、です。オリジナリティのない作曲家は、世の中に名を残すことはできません。 シェーンベルクの初期の音楽は、マーラーの雰囲気に似たところがありますよね。もし、シェーンベルクが「ペレアスとメリザンド」のような音楽しか書かなかったら、音楽史に名を残すことはなかったでしょう。 シェーンベルクが12音技法を発明した理由は、誰もやったことのない音楽、誰もやったことのない革新性を追い求めてきた音楽史の結果、ついに、12音技法ということをやらなければ、他人の模倣にしかならない、というところまで、音楽が発展してきてしまったからです。シェーンベルクは12音技法によって、自分にしかない音楽を創造し、他人の模倣ではないオリジナリティを見つけたから偉大なんです。 シェーンベルクは自分の音楽について「誰かがこれをやらなければならなかったのだ」と言っています。そして、死ぬ最後に言った言葉は「ハーモニー、ハーモニーを‥」でした。 でも、もしシェーンベルクがハーモニーを使って音楽を書いたら、「そんなことならベートーヴェンがとっくの昔にやっている。他人の模倣をするなんて、オリジナリティがない作曲家だ」ということになってしまいます。だから、できなかったんです。 なぜある特定のピアニストは、シェーンベルク、ブーレーズを演奏するのか? 長い音楽史の発展の中で、このような音楽を書かなければいけなかった時代があった、ということを歴史に残すためです。 シェーンベルクやブーレーズがいなければ、今の音楽というのは、存在しません。 難解な音楽が生まれた理由の背景には、常に、それまでの「伝統の否定」があります。なぜなら、伝統というのは他人の模倣以外の何者でもないからです。 難解な音楽の聴き方は、聴くというよりは、理解する、作曲の行為とは何であるかと知る、の方です。 そして、なぜこのような音楽が生まれたのかを理解した瞬間、それが唯一、ショパンの音楽を聴いて感動するような感動の経験に、一番、近いものです。 ご理解、いただけたでしょうか? 私は、音楽を専門に研究している者なので、超前衛の音楽への理解もあるのですが、普通に趣味として音楽を楽しむかたなら、自分が聴いて楽しい、喜びを感じる音楽を聴くだけで、十分だと思いますよ(^-^) でも、シェーンベルクの音楽には、そうならざるを得なかった理由があるということ、そしてそれは偉大な行為だったということを忘れないでいて欲しいですが‥。 シェーンベルクは人によって様々だと思いますが、少なくても、ノーノ、ブーレーズの超前衛の音楽を、普通に、さてこれから音楽鑑賞しようといって、部屋で感動にひたって、聴く人は、おそらくどんな専門家にもいないです。そのような音楽が生まれた背景を理解するために、聴きます。 ピアニストが演奏する理由も、こういう音楽もあったんだよ、ということを、人々に伝えるため、です。 ちなみに、私はまだ学生の身分なので、「一般人」ということにします。
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No.3のlutowinnです。 残念ながら、ショパンを聴く耳と、シェーンベルクの音楽を聴く耳は違います。。 ショパンの音楽を聴くのと同じような聴き方でシェーンベルクの音楽は聴けないです。 シェーンベルクの初期の音楽のいくつかは、ショパンの延長線上の耳で聴くことが可能かもしれませんが(例えば、「弦楽四重奏曲1番,2番」「浄夜」、交響詩「ペレアスとメリザンド」etc..)、無調や12音技法に入ってからの音楽は、それと同じ聴き方では理解できないです。 何度も聴くことによって次第に音楽が分かるようになる、楽しめるようになる、と書いたのは、何度も聴くことで、あるときふと、今までとは別の聴き方を発見する、そして別の自分を発見する、という意味です。 dd44さんがお聴きになったものはポリーニでしたね。 今度は、ピアノ曲ではなく、室内楽、声楽・合唱作品やオーケストラ曲を聴いて見てはいかかでしょうか?ピアノ曲一番とっつきにくく、理解するのが大変です。最初は、もっと多くの楽器を使用したジャンルのものを聴いた方が、シェーンベルクのことがよく分かると思います。 下は弦楽四重奏曲です。 http://www.hmv.co.jp/product/detail.asp?sku=1887991 交響詩「ペレアスとメリザンド」と「浄夜」です。 http://www.hmv.co.jp/product/detail.asp?sku=606716 次が12音に入ってからの作品「ワルシャワの生き残り」(後期の作品ですが)です。 http://www.hmv.co.jp/product/detail.asp?sku=342464 おそらく、弦楽四重奏曲や「ペレアスとメリザンド」を聴くと、え?!これがあのシェーンベルク?となると思うのですが‥いかかでしょう。。このような順番でシェーンベルクに入っていくと、次第に理解が深まって、いつしかシェーンベルクにハマっていたり、なんていうことも、あるかもしれないです。 シェーンベルクを音楽として本当に楽しんで聴けるようになるためには、また真に理解するためにはシェーンベルクだけではなくて、本当は、ジャズも含め、バッハから今、実際に生きている現代の作曲家の作品まで、幅広い音楽聴のレパートリーをもつことが大切です。
お礼
御礼が遅くなり申し訳ありません。 「ペレアスとメリザンド」はよさげですね。シベリウス編曲のを持っていて大好きなので、かなり楽に入れそうです。 ・・・しかし、自分で論点を「シェーンベルクの聞き方」にしてしまったんですが・・・。シェーンベルクでも聞きやすい作品が有るのは分かるのですが、そもそもの疑問は、どちらかと言うと、回答の中で「とっつきにくい」と言われるような作品の聞き方の方なのです。 例えばポリーニなんかはショパンを弾き、かつシェーンベルクも弾きますよね。自分は楽器が全然出来ないのでテクニカルなことは分からないんですが、聴くだけでなく、演奏すると言うことも音楽の理解の一つの方法だと思うんです。それではピアニストは、なぜシェーンベルク(あるいはノーノだったりブーレーズだったり)のような一般的な音楽の概念からかけ離れた作品を弾き、そこから何を理解するのでしょうか? ・・というのが一番の疑問なのです。 一般的な音楽が、僕達の分かる言葉で語られた物語に例えるなら、シェーンベルク等の難解な現代音楽は、彼らが勝手に発明した誰も理解できない言語で喋られているような気がするんですよね。。 そういった音楽を、たまに聞く人はまぁ分かるかもしれないんですが、ショパンなどと同じくらいの頻度で楽しんで聴ける人っているんでしょうか。。? >幅広い音楽聴のレパートリーをもつことが大切です。 一応節操無く聴いているつもりでは有るんですがw。。 バッハからヒップホップ、邦楽洋楽問わず聴いています。 一番熱心なのがジャズで、以前はプログレ人間でした。 それでも現代音楽はチョット。。
シェーンベルクとショパンで、あえてシェーンベルクを選ぶというより、その日の気分によって、シェーンベルクが聴きたくなったり、ショパンが恋しくてたまらなくなったりします。 シェーンベルクの音楽にも様々な時代、ジャンルがあるので、1曲だけ聴いて、本当にシェーンベルクが好きだとか、嫌いだとか、馴染めないだとかは、一概に言えないですね。 例えば、シェーンベルクに「月に憑かれたピエロ」(ピエロ・リュネール)という作品がありますが、この作品と、これ以後の12音技法に入ってからの作品とでは聞きやすさが違うので、またジャンルによっても聞きやすさがことなるので、いろいろな曲を何度も聴いてみるのがいいです。 正しい聴き方はないではすが、楽しみ方はあります。 例えば、よく分からない音楽に出会ったら、分からないといって外を向くのではなくて、「なぜこのような音楽が生まれたのだろう」という疑問を投げかえ、分からないからこそ逆に興味を持って、一歩つっこんでみることも楽しみ方の一つですよね。 それとか、「1回聴いて分からなかったから、分かるようになるまで繰り返し何度もしつこく聴いてみよう」とか。 人間の好みは、繰り返し、反復によって決まるといわれます。自分が好きな音楽というのは、自分が一番数多く聴いた音楽であることがほとんどです。聴けば聴くほど好きになるもので、反対に、ある一つの音楽を何度も聴いてその雰囲気に慣れてしまうと、それとは全く違った雰囲気をもつ音楽に出会ったときに、「こんな音楽はつまらない」とか「自分の好みではない」とか、そういう風になってしまいます。 私は、好き嫌いではなくて、どんな音楽にでも何か意味があると思って、様々なジャンルの曲を、その日その日の気分に合わせて聴いて音楽を幅広く楽しんでいます。 分からない音楽でも、毎日、繰り返し、何度も聴いていると、ある時、ふと「こういう音楽もおもしろい」「どんな音楽があっても、作曲家がそれを音楽だと思って作曲したならそういう音楽もあっていい」「世の中に存在する全ての音が音楽になる」「楽器だけに限定しなくても、水の音も、鳥の声も、気がつかなかっただけで、みんな音楽」 私は、いつも、こういう風に思っています。
お礼
>1曲だけ聴いて、本当にシェーンベルクが好きだとか、嫌いだとか、馴染めないだとかは、一概に言えないですね。 これはそのとおりですね。自分が聞いたのはポリーニの演奏するこのアルバムだけだったので、良さが分かる前に拒絶反応を起こしてしまったんだと思います; [http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/B000001G8X/qid=1089271931/ref=sr_8_xs_ap_i1_xgl15/249-0129997-7414772] >「1回聴いて分からなかったから、分かるようになるまで繰り返し何度もしつこく聴いてみよう」 そうなんですけどねー。でもその前に挫折しましたw でも、シェーンベルクを聴く耳も結局はショパンを聞くのの延長線上にあるということですよね? なんだか自分は、聞きつづければそのうち理解できるような単なる「複雑な」音楽と、現代音楽の間には明らかに溝があるような気がしていたんですけど、そんなことは無いということですか。シェーンベルクも聞きつづければ(そしてそれがシェーンベルク的にいい演奏であれば)いつかは楽しめる音楽になるのですかねー。 ご回答ありがとうございます。
- nagashi
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私はショパンとシェーンベルクだったらシェーンベルクを選ぶ派です。だからといって全ての近現代音楽ファンという訳ではありません。フリージャズも生ならいいけど、CD買ってまでは・・・くらいです。 十人十色、好みは色々ってことなんじゃないでしょうか? 正しい聴き方というものはないと思います。どんな音楽もそうじゃないでしょうか?好きじゃないという人には、どんなに言葉で聞いてもその良さや評価の観点(?)は判らないと思います。 私の場合は、絵を描いたり写真の現像をしたり(趣味です)している最中にBGMとしてかけていることが多いです。気持ちが盛り上がって、気分に浸れるからです。シェーンベルクとか流してると、まさに大作家になった様な気分になるんです。もうノリノリです。 dd44さんはせっかく聴いてみたのに許容範囲じゃなかったから、どうして?と思うのかもしれませんが、そういう音楽が好きな人達もいるという程度のことだと思いますよ。 ちなみに私はただ音楽を聴くだけだとしたら、ショパンとシェーンベルクとチャイコフスキーがあったらチャイコフスキー、そこに更にクルトワイルがあったら悩んだ末、ぎりぎりクルトワイルかな・・って感じです。私の感覚でいえば、より感傷的でムーディな方が好き、という事になります。 やっぱり言葉で聴いても判らないでしょ。
お礼
>シェーンベルクとか流してると、まさに大作家になった様な気分になるんです。もうノリノリです。 これは面白いですねw。分かる気もしますw クルトワイルは聴いた事ないですね。でもシェーンベルクもそれやチャイコと並べて特別異質なものでもないと言うことですかね。より感傷的でムーディな方が好きとありますがシェーンベルクにもそんな要素があるのでしょうか?(ほとんど質問がシェーンベルクについて、みたいになってしまっていますが;) ご回答ありがとうございました。
- SteveStrawb
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>シェーンベルクとショパンが置いてあったら、あえてシェーンベルクを聞くという方・・。 はい、私がまさにそれです。 正しい聴き方などは存在しないでしょう。音楽には理屈はないし、ジャンル分けも必要ないでしょうから。一般の評価ってのもあてにならないと思います。特に、音楽誌などに書かれている作品レビューは納得のいかないものが多いです。 シュトックハウゼンも、ブライアン・イーノも、テリー・ライリーも、フリップ・グラスも、ヴァンゲリスも、ストラビンスキーも、アール・ゾワイやユニヴェル・ゼロ、マグマにアレアにサムラ・ママス・マンナ、ロバート・フリップ、フランク・ザッパも、聴く人によっては人生を変えるほどの作品にもなりえるし、聴く人によってはクズにしかならない場合もあります。それで良いんじゃないですか?
お礼
ご回答ありがとうございます。 >聴く人によっては人生を変えるほどの作品にもなりえるし 確かにそうなんですけどね。 そういった聴きづらい音楽は自分の場合、一度や二度、興味本位で聞いて後はそのまま押入れに、と言うパターンが多いんです。でも、例えばシェーンベルクを好き好んで頻繁に(とまでは行かないまでもたまに)ターンテーブルに乗せる方に、具体的にどこが聴きどころなのかと言うことを、聞いてみたいわけですよ。 聴きやすい音楽なら、「メロディーが美しい」だとかいろいろ言えるわけじゃないですか。では現代音楽ならどこに惹かれるのか、聴き所なのか。 ロバート・フリップやフランク・ザッパは普通のロックの延長線上で普通に聴けると思うんですよ、でも疑問はシェーンベルクあたりが同じ聴き方で理解(?と言うのがあるのかも分からないのですが)出来るようになるのか?・・と言うことがちょっと疑問なんですね。その音楽に慣れる事は出来ても、慣れた後にあえてショパンではなくシェーンベルクが聴きたいと思う、そんな魅力があるとしたら、それはなんなのか。 なんだか普通の音楽とまったく違う次元で成立しているような気がして・・。
お礼
素晴らしいお答えありがとうございます。 >自分にしかない音楽を創造し、他人の模倣ではないオリジナリティを見つけたから偉大なんです。 オリジナリティを得ること、その大変さは想像を絶します。その為に音楽の概念さえ破壊しなければならなかったのはフリージャズでも同じでしたね。よく分かりました。自分も、アーティストに必要なのは、その人たちでなければ作れない音楽を作ることだと思っていますが、そこまで行くとオリジナリティはただの呪縛でしかないですねw >シェーンベルクは自分の音楽について「誰かがこれをやらなければならなかったのだ」と言っています。 つまり、あの音楽は、人を楽しませるために作られたのではなく、音楽の概念を広げるための実験として、そういう音楽もありうるということを知らしめる為に作られた音楽だと言うことですか。。そういう意味では一発ネタ的なジョンケージやサティのあの曲みたいなモンですかね。クラシックにしろ、ジャズにしろ、例えば絵画にしろ(例えばジャクソン・ポロックやフランツ・クラインみたいな抽象主義)、やはり同様に既存の概念の破壊が行われ、そこからの芸術の再生と呼べるものが起こっていたということですよね。 >聴くというよりは、理解する、作曲の行為とは何であるかと知る、の方です。 >そのような音楽が生まれた背景を理解するために、聴きます。 自分も興味があるので、いつか知りたいと思います。また、12音技法というのは話には聞いていても実際、いまいちどういう理屈に沿って作曲がされているのか良く分からないので、機会があれば勉強してみたいと思います。 >シェーンベルクやブーレーズがいなければ、今の音楽というのは、存在しません。 現代音楽やフリージャズのような、それまでの概念を破壊した音楽が、それ以降の音楽に具体的にどんな影響を与えたのか、これまた興味のあるところですが、これはまた別の機会に質問させていただきます。 ありがとうございました。