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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:ああ「青春」!)

青春の魅力とは?

このQ&Aのポイント
  • 青春とは、放課後の図書室で独りで本を読むことや、不条理なことに魅了されることなど、様々な経験や感情の集合体です。
  • 青春は、他の人とは違う一歩を踏み出す勇気や、新たな発見や成長をもたらしてくれます。
  • クラスメイトの女の子にドキドキしたり、自分なりの表現方法を見つけたりすることも、青春の一部です。

質問者が選んだベストアンサー

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noname#224992
noname#224992
回答No.5

一番丁のA珈琲で 朝日ジャーナルで隠したプレーボーイを読むこと ああそれが青春 誰かこないかと待っていると、 必ず悪友に出会う狭い街 ああそれが青春 映画館に彼女と入って 僕は感動して泣き、彼女は居眠り ああそれが青春 その彼女に出会うまでに 何度も経験した一回こっきりのデート ああそれが青春 ATMがあってもわざわざ窓口で 仕送りをおろし、顔を憶えてもらい口説いた女子行員 ああそれが青春 いい雰囲気で酒を飲んだ彼女 部屋までつれてきて、汚い部屋に恐れをなして急に帰る ああそれが青春 女の子と手をつなぎたい一心で フォークダンス同好会に入ってしまう ああそれが青春 古いアパートの共同風呂に彼女と二人で入り 管理人に気付かれ窓から抜け出し部屋に戻る ああそれが青春 毎月、生理がくるとほっとして二人で祝杯を上げていたあの頃 ああそれが青春 家具といえば炬燵とテレビ台しかない四畳半のアパートで 二人で一つの布団に包まる ああそれが青春 教養課程を終えたころ、専門の講義に集中したくて 「お前、浮気したかったらしてもいいんだぞ」と言ってしまった ああそれが青春 夜遅く、会社の上司に車で送られてきた彼女、私が誕生日に 贈った春物のワンピースを着ていた 頬を打ったら唇がきれて その血が服についた 泣きながら何度も血を拭う彼女 ああそれが青春 アパートの近所に彼女の親友とその彼氏が住んでいた 彼氏と言うのは僕の親友の一人だった 僕らはその後別れたけど、彼らは卒業後しばらくして結婚した 軽井沢のロマンチックな教会で式が行われ そこで僕は、昔の彼女と再会した。 僕は、別の女性と結婚していた。 「元気そうね」と彼女は言った。 「君も元気そうでよかった」 交わした言葉はそれだけで 僕らはもう「青春」とよべる世代を通り越していたけど 胸には胸を締め付ける思いだけが残った。 ああ これが僕の青春

noname#226970
質問者

お礼

うーん。読ませますねえ。 いい青春時代でしたね。思い出がいっぱい。 「何故俺は女にもてないんだとじっと鏡を見る、ああそれも青春!」 いつも充実したお返事をありがとうございます。

その他の回答 (11)

noname#246945
noname#246945
回答No.12

こんばんは。 やっぱり高校の時の部活ですが、サッカー部でした。 暑いも雨が降ろうが、寒い冬に雪が降ろうが当然ですけど毎日部活していました。 OBは毎日来ていましたし、殆どある意味「しごき」でしたから。 ケガは日常茶飯事ですし、左膝はいつも血や水が溜まったりの繰り返し 近くの整形外科に行くと、担当医から「またですか ?」と。 スライディングタックルも練習で擦り傷も絶えず、治りかけてもまた擦り傷で お風呂に入るとかなりしみて痛いし・・・。 ああ、でも楽しかったサッカーに打ち込んだ「これが青春」でした。

noname#226970
質問者

お礼

こんにちは。 高校の部活ではわたしは放送部でした。毎日放課後の発声練習。 「あ。え。い。う。え。お。あ。お。」晴れた日は屋上で、雨の日は渡り廊下で毎日。 番組作りもしていましたが放送部なのでレコードばかり聴いていましたね。 サッカー部にくらべてなんと軟弱なことでしょう。(笑) 高校時代までが一番楽しかったなあ。 サッカー部だとクラスの女の子にモテませんでしたか? 痛い、でもいい思い出ですね。 お返事、ありがとうございました。

  • isoken
  • ベストアンサー率32% (596/1825)
回答No.11

おはようございます。 >あなた自身の体験を踏まえてあなたの中の「これが青春」を教えてください。 自らをおじさんと認識する我々世代が、昨今の若者に向かって発するに最も抵抗感と或る種の気恥ずかしさを感じる言葉の一つが、恐らく 「 青春 」 ではないでしょうか。 但し実生活に於いてほぼ死語と化したこの言葉を私が決して嫌いでないのは、きっと青春という渦中に身を置いて来なかったという自覚への反動があるからなのだとも思います。 青春という語感が持つものと対極に流れた時間・・、それが私の青春だったと言えばそうかも知れません。 とにかく群れるのが大嫌いなガキでありまして、当時流行りの青春ドラマが描いた熱い瞬間とは無縁の10代でした。 中学時代はスポーツと喧嘩に明け暮れ、高校に入るとそれが博奕に変わった、何せ授業にも殆ど出なくなりまして、真昼間から大人相手に高いレートで麻雀卓を囲み、それ以外は競輪・競艇に明け暮れましたが、あんな状況でよく卒業させてくれたものだと、当時の先生方には非常に感謝しております。 さてその後の大学生活・・、当然受験勉強なんて1分もしてないくせに浪人する気も更々無かった、きっと世の中を舐め切っていたんでしょうねぇ。 ただ仲良しこよしには徹底的に背を向けて来た私にとって、肝心のキャンパスライフも決して居心地がいいものではなく、周囲を良い子ちゃんに囲まれた環境はハンパ無い違和感でありまして、やくざ顔負けのパンチをストレートのさらさらヘアーに戻し、大学のロゴが入ったスタジャンなんかも着てみましたが、妙にぎこちなかった。 以降同化する努力を放棄し興味の対象を外に向けて、そこいらを行き交う女を行きまくる事となりますが、アウトローとの境界線を歩んだ我が身を普通の生活に回帰させる為のリハビリ期間・・、大学の4年間を個人的にはそう位置付けます。 ところで最近になって例の Facebook ってやつで、時々友達の申し入れがありますが、その殆どが遥か記憶の彼方にある高校時代の同級生・・、中には口をきいた記憶がない奴すらおりますが、そんな彼等の記憶の片隅に私がいたとは、或る種新鮮な驚きですね。 ただ今になって思う事は、妙に冷めないで青春という渦中には身を置いておくべきだったかなという反省・・、語るべき思い出が無いというのは損した気分ですから。

noname#226970
質問者

お礼

こんにちは。 >自らをおじさんと認識する我々世代が、昨今の若者に向かって発するに最も抵抗感と或る種の気恥ずかしさを感じる言葉の一つが、恐らく 「 青春 」 ではないでしょうか。 そうですね。なんとなく、「青春」という言葉を照れもなく口にできる人にはちょっと違和感があります。 >きっと青春という渦中に身を置いて来なかったという自覚への反動があるからなのだとも思います。 ええ、でも、スポーツ、喧嘩、博打に熱中されていた。それもまた青春ではないかと思います。 >アウトローとの境界線を歩んだ我が身を普通の生活に回帰させる為のリハビリ期間・・、大学の4年間を個人的にはそう位置付けます。 そうですか。わたしは逆に大学時代を境にアウトローの路を歩まざるを得なくなりました(苦笑) >ところで最近になって例の Facebook ってやつで、時々友達の申し入れがありますが、その殆どが遥か記憶の彼方にある高校時代の同級生・・、中には口をきいた記憶がない奴すらおりますが、そんな彼等の記憶の片隅に私がいたとは、或る種新鮮な驚きですね。 そういう話、よく聞きますね。 わたしも一応フェイスブックのページは持っていますが、フレンドは全て、以前にやっていたSNSの友達である外国の人ばかりで、現実同様、日本人の「友達」はひとりもいません。 どうやったら、そういう風に見つけてもらえるのか知りたいくらいです。(苦笑) >ただ今になって思う事は、妙に冷めないで青春という渦中には身を置いておくべきだったかなという反省・・、語るべき思い出が無いというのは損した気分ですから。 わたしも同じですが、そういう風に考えられるのも時を経たからこそで、 その時間では、やっぱりそのようにしか生きられなかったのかな、とも思います。 お話を聞かせていただき、ありがとうございました。

  • citytombi
  • ベストアンサー率19% (1721/8628)
回答No.10

大学1年の大講堂での教養課程の授業・・・ 授業が終わってから、やたらこっちを振り返る女性がいました。 そしてやってきて、〝私が講義を休んだ時はノートを見せてもらっていいですか?”と言い、名前と学年、電話、住所を書いたメモを手渡してくれました。 でもそのメモを見て「3年」とあったので、“大学3年で教養課程を取っているの?大丈夫か、この人・・・”という直感が働いて、それ以降彼女と連絡を取ることもありませんでした。 損したような得したような青春です。

noname#226970
質問者

お礼

こんにちは。 ははは、そうですか。ぼくなら連絡しますよ。 ひとそれぞれですねえ。 いつもお返事をありがとうございます。

noname#216959
noname#216959
回答No.9

夜満開の桜の木に2人で登ったり 自販機で買ったサイダーにダサいサイの絵柄が 描いてあってゲラゲラ笑って ほんとに、春がきたらこんな感じなんだと 思ったことがずっと昔にありました。 自由だったことが懐かしいです。

noname#226970
質問者

お礼

こんにちは。 些細なことだけど、消えない思い出ってありますね。 それも青春、ですね。 お返事、ありがとうございました。

  • sqqrcxvx
  • ベストアンサー率9% (84/911)
回答No.8

こんばんは。 入った高校は進学校でしたが、周りは絵に描いた様な点取り虫タイプ、いやらしいやつが多くて自分とは合わない。いっそいやらしさを極めてノーベル賞でも取れば話は別だが、そんなこと出来る筈もない、ただ回答欄に答えをハメるのがうまいだけ、創造性も何もあったもんじゃない。 まぁ入った所と相性が合わなかったという事。何もかも嫌で、自然と興味はフランスのフィルムノワールへと向かい。 人生の裏道を歩く男たちの友情と仁義、裏切りと殺し、悪には悪なりの筋道がある、というジャン・ピェール・メルヴィルの映像世界に浸り憧れました。 自分の周りや実人生とは無縁な安心感?周りは無味乾燥な奴ばかり・・一顧だにする価値はない、とまあ最近まで思い込んでいたのですが。 よ~く思い返してみると、「友達になろうよ」と手を差し伸べてくれた男子は5~6人、いやもっといた。自分の心象が暗いと周囲全てが灰色に見える、そういう事だったかもしれません。 「友達になろうよ」現象は20代に入ってからも続きました。さすがに30からは無いですね。人間30歳は大きな分岐点です。 友情は青春の大きなテーマですね。自分の場合それは上手く行きませんでした。 ただ一つ言える事がある。青春を謳歌するとか・満喫しているとか・楽しくて仕方がないという男女で頭の良い人に過去出会った例はありません。 何かしら悩みを抱えて苦闘する、それが青春の真の姿ではないでしょうか。 あの森田健作的世界と言いますか、肩を組みあう友があり、激しい議論があり、共感共鳴があり、赤い夕陽の丘がある、というTVドラマのシチュエーションが皆無でした。

noname#226970
質問者

お礼

こんにちは。 青春をこじらすと何故「裏街道もの」に惹かれるのか? 何故ジャン・ピエール=メルヴィルだったり、唐獅子牡丹なのか? >ただ一つ言える事がある。青春を謳歌するとか・満喫しているとか・楽しくて仕方がないという男女で頭の良い人に過去出会った例はありません。 あははは。でも、そもそもそんな人たちっているんでしょうか? >あの森田健作的世界と言いますか、肩を組みあう友があり、激しい議論があり、共感共鳴があり、赤い夕陽の丘がある、というTVドラマのシチュエーションが皆無でした。 中村雅俊的世界とも言いますね。 体育会系にいたって、みんながみんな一体感に浸っていたわけではないでしょうけれど。 >友情は青春の大きなテーマですね。 はは、ぼくには「未だに」大きなテーマです(苦笑) いつもいろいろと話を聞かせていただき、ありがとうございます。

  • manmanmann
  • ベストアンサー率12% (535/4296)
回答No.7

わけもない漠然とした閉塞感。 今思えばそれが青春でした。

noname#226970
質問者

お礼

>わけもない漠然とした閉塞感。 今思えばそれが青春でした。 はい。 わたしは今も閉塞感を感じています。(苦笑) これって、大人になると無くなるものなのでしょうか? お返事ありがとうございました。

回答No.6

 テレビも見ず、映画も見ず、恋もせず、遊びもせず  大好きな本も読まず、会社の友とも付き合わず 睡眠時間平均3時間  仕事と勉強以外すべての時間をささげていた あの頃  ”わが青春に悔いなし” そう思っています。  15歳から23歳で結婚するまで続きました。  当時流行の歌も知らず、芸能人の顔も名前も知らず  世間の事件も知らず、只ひたすら活動の日々でした。  日曜、祝日、夜間、早朝 すべての時間を使いました。  あぁ---青春 あの時があったから今があるのかもしれません。  今は忙しいながら 少し時間もあり 本も読め   こちらにも参加させていただいております。

noname#226970
質問者

お礼

>テレビも見ず、映画も見ず、恋もせず、遊びもせず  大好きな本も読まず、会社の友とも付き合わず 睡眠時間平均3時間  仕事と勉強以外すべての時間をささげていた あの頃 睡眠時間3時間で、青春を捧げていたものを持てたというのはとても羨ましいです。 それこそが、「青春そのもの」でしたね。 今もお忙しいんですね。 お返事をありがとうございました。

  • staratras
  • ベストアンサー率41% (1499/3651)
回答No.4

青春ですか。古い話で、大方忘れてしまいましたが、何事にもやたら「あつかった」(熱い・暑い)記憶はありますね。 その一、高校生のとき加入していたクラブ(地学部)で巡回日記(今でいえば仲間内だけのネット掲示板のようなものか)を書いていました。当時公開された映画「いちご白書」の最後の場面で、抗議の座り込み中の主人公の男子学生が、警棒(?)を振るう機動隊に連行されそうになる女子学生を守るべく、機動隊員に素手で飛びかかるのは、「社会正義のためか、それとも好きな女のためか」などという議論で妙に盛り上がりました。70年安保から間もないころで、回答者は別に政治的な運動に参加していたわけではありませんが、世の中全体が「熱かった」のですね。 その二、暑いといえば、1971年に岐阜県で行われた「全日本フォークジャンボリー」の会場は、炎天下ほとんど日差しを遮るものがなくて暑かった。最後にメインステージで行われた議論も熱かったけれど…。38年後、同じ場所で開かれたフォークジャンボリーにも行きましたが、こちらは一転して豪雨で、象徴的でした。この場所で最初に「遠い世界に」を歌ったときには長髪の高校生だった回答者も、二度めのときは、まもなく定年を迎える髪の寂しいオジサンになっていました…。 その三、逆に「寒かった」ことも。12月の「ふたご座流星群」を地学部の仲間と2晩続けて徹夜観測しました。暖をとろうと豆炭アンカをいれたコタツを野原に作りましたが、北風が吹く屋外で大して暖かいわけもなく、凍えました。でも「冬の星座」という歌もあるくらい、この季節の星空は見事でした。翌日は学校で「睡魔との戦い」。幸い(?)美術の時間があり、「先生が来たら起こして」と近くの席の女の子に頼んで寝ることができて助かりました。先生ごめんなさい。

noname#226970
質問者

お礼

こんにちは。 素敵な思い出ですね。 ぼくたちは「新人類」と呼ばれた第一の世代で、また共通一次テストが始まった年に大学を受験しました。 1本の映画を巡って、仲間と議論する。憧れですね!70年安保間もない、ということは、高野悦子さんと同世代かな。 1970年代の青春。熱かったでしょうね。 「遠い世界に」いい歌ですね。 真冬の屋外での炬燵は・・・あまり温かくはないでしょうね。(汗) でもそれで美しい星座を見ることができたのなら安いもの。 素敵な青春の思い出を聞かせていただきました。 (ぼくも「熱い青春」を送りたかった!)

noname#231734
noname#231734
回答No.3

こんにちは(^-^) 時間が有り余ってたのに 何もしないで過ごしてしまった・・ それが青春でした。

noname#226970
質問者

お礼

こんにちは。 >時間が有り余ってたのに 何もしないで過ごしてしまった・・ それが青春でした。 そうですね。 「人生は何事かを為すにはあまりに短く、何事をも為さぬにはあまりにも長い」と、『山月記』にありますけれど、 どちらにしても青春はあっという間だという気がします。 いつもお返事をありがとうございます。

回答No.2

「あゝ青春」はトランザム 「これが青春(だ)」は布施明

noname#226970
質問者

お礼

こんにちは。 ああ、そんな歌、ありましたねえ! どうもありがとうございました。

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