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なぜ海軍兵学校と陸軍士官学校が一流校だったのですか
第二次大戦以前には、第一高等学校(後の東大)と並んで、 海軍兵学校と陸軍士官学校が一流校と言われたそうですが、 なぜ、東大(第一高等学校)と並ぶような一流校とみなされていたのでしょうか。
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補足その2。 >成績抜群の男の子は軍学校・・・ 女子の場合は経済的要因のほかに性差別もあり,たしか東北帝国大学いがいの帝大は受け入れていませんでした。「学校の先生」が男性と肩を並べられる地位が高い職業でしたから,東京女子高等師範学校がトップ校でした。いまのお茶の水女子大学ですね。 共学の新制大学ができた戦後もしばらくは,まだ「女が東大に行くと嫁のもらい手がなくなる」とか「学校の先生が最良の職業」という考えをもつ親がいました。そこで,同大は「女東大」とも俗称される女子のトップ校でありつづけました。 いまのように「自由に職業や進学先を選べる社会」ではなかったのですね。
- potatorooms
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他の方も書かれていますが、優秀な人が受けたから。 軍人にしかなれない大臣ポストもあり 、出だしの階級的にもほとんど下働きの時期がなく、卒業後、会社でいうといきなり管理職から始めるようなものですから。
補足。 >帝大と比べて難易度がどうかはわかりません。 陸軍士官学校の在学中に敗戦をむかえ(いわば失業した?),そのあとで九州帝国大学に入学した人のことを聞いたことがありますね。
・戦前は軍部の力が強く,有力な就職先でした。男の子の将来の希望として「陸軍大将になる!」がよくあり,先生からも「よし!えらいぞ!」と褒められるような時代でした。 ・帝大に進学するのはやはり裕福な家庭の傾向があり,庶民には敷居が高い世界でした。そこで,庶民の(とくに田舎の)成績抜群の男の子は,軍学校への進学を勧められたのです。ただし,入試偏差値なんて概念のない時代ですし,「滑り止めに軍学校を受ける」なんてこともありませんから,帝大と比べて難易度がどうかはわかりません。 ・いまでも防衛大学校は,ベネッセの偏差値で65とでていましたから,東北大学(理系)くらいはあります。防衛大学校は大学ではなく,学生も公務員として給料がもらえますから,人気があります。とくに防衛医科大学校は超難関ですよ。
- yymddttmm1
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戦前は国立大学でも学費が高いし奨学金制度も今ほど無いので誰でも行けるわけではありません。 優秀でも金がない家で進学するとすれば学費が掛からず給料が出る陸士か海兵しか有りません。
- Sasakik
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日本の近代史をよく見ればヒントが得られるんだけど・・・ たとえば、昭和に入ってから終戦までの間だけでも、内閣総理大臣だけでも第26代 田中義一(陸)、第30代 斎藤実(海)、第31代 岡田啓介(陸)、第34 代林銑十郎(陸)、第37代 米内光政(海)、第40代 東條英機(陸)、第41代 小磯國昭(陸)、第42代 鈴木貫太郎(海)と8人の軍出身者が就任している。 このほかにも、多数の軍出身者が政界入りして、主要閣僚を務めているコトから分かるように、軍が日本の中枢にあった時代だった。 つまり、兵学校や士官学校を卒業する=軍の高級将校になることは一流のエリートの証であり、国家指導者を目指す者にとっても第一高等学校(東大)よりも魅力的なコースだったんでしょうねぇ。
- 9werty
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率直に、国を守る、攻める際には緻密な計算や予測は必須だと思います。 将棋や、囲碁、チェス等1対1でも大変な先読みが必要になります。 国を背負い立つからにはボンクラやボンボンではいけないのではないでしょうか? 必然的に、一流が集まると思います。 蛇足 作家:山崎豊子さんの小説:不毛地帯にもそのような記述があったように思います。