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同じ1日のはずなのに、人はおめでとうと言う。

同じ1日のはずなのに、人はおめでとうと言う。 ただ、死に少しずつ近づいているだけなのに… うちの発言ではないのですが、ものすごく感銘をうけました。 みなさんは、どう思われるでしょうか? よろしくお願いします。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.9

 新年だから当たり前、ではないかもしれません。習慣になっているから、祝うのが当たり前になっていますが、何で正月は3日休むのか、しめ飾りや初詣とは?とか、神道的なお祝いから来ているようにも書かれています。  知らないだけで、日本の風習に賀正、正月を祝う意味や儀式があることも気づきます。

ymda
質問者

お礼

ありがとうございます。 もともと、(子供時代のときの)家庭は、無宗教でした。 しいて、強引に宗教別に割り当てられるとしたら、神道かもしれません。 ーーー 確かに、1回だけ、(近くはないのですが、路線的に近いので) うち自身が厄年だったので、親に佐野厄除け大師に連れられたことが ありました。 しかし、当時、全然意味がわかりませんでした。 なんぜ、こんな遠くまで、面倒なことしなければいけないのか。 どうして立って並んで待たないといけないのか。。。。 疲れることをどうしてわざわざするほうのがずっと疑問でした。 仕事でもないのですから。

その他の回答 (9)

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.10
  • mimazoku_2
  • ベストアンサー率20% (1905/9109)
回答No.8

同じような事を一休さんで放送していましたね。 頭蓋骨を棒で持って、「気を付けなされい」と街を歩いた。 (TVでの放送シーン) こればかりは、生き物の宿命なので避けようがない。

ymda
質問者

お礼

ありがとうございます。 確かに、生き物の宿命なんですけどね。

  • KGS
  • ベストアンサー率24% (1324/5321)
回答No.7

年を越すという言い方があります。 これは峠を越える、あるいは今夜が山だと言われていた人がなんとか次の日を迎えることができたことを、なんとか山を越えたとかの言い方と同じです。 困難な状況のなか、試練をクリアして「おめでとう」ということなのでしょう。 死が遠い人には理解できないでしょうか、死が近づいている人には本当におめでたいのです。

  • SPS700
  • ベストアンサー率46% (15297/33016)
回答No.6

 早くもないのに「’お早う」と言うがごとし  一休さんの     門松は冥土の旅の一里塚めでたくもありめでたくもなし  に似てますね。

ymda
質問者

お礼

ありがとうございます。 一休さんは全然わからないです。

  • heyboy
  • ベストアンサー率21% (1852/8730)
回答No.5

何事も無く無事に1年を迎えれたのだから 「明けませておめでとう」を言うと思いますけどね、、、。 >ただ、死に少しずつ近づいているだけなのに 「時」が進むのと「劣化」はしょうがないです 自分は恒例行事の一環ですから 心の奥底からおめでとうとは思っていません (高年齢ですが体の不調もありませんし)

ymda
質問者

お礼

ありがとうございます。 本来、慣例行事をするはずの時期に うちは、仕事をしていました。 例えば、12月31日~1月1日ぶっ通し警備等 逆に、正月のおかげで、仕事がかなり楽であったという認識のほうのが、 強いのかもしれません。

  • KoalaGold
  • ベストアンサー率20% (2539/12475)
回答No.4

昔は誕生日を祝う事なく数えの年で、年が開けると一斉に年を取るので、この考え方ではまた一つみんなで正月を迎えられた事はめでたい、生き延びられてきた自分たちを祝うという意味だと思ってます。 誕生日も誕生日自体がおめでたいのではなく還暦や喜寿という通過点を超えたお祝いです。 昔って残り何年なんて先は見えない闇だったんでしょうね。子供が生まれても成人するまで生きられるかわからないとなると、節々のお祝いがなんとなく見えてきそうです。

ymda
質問者

お礼

ありがとうございます。 実質成人状態となった18の頃から、このような祝い事も 何もしていません。 (記憶を辿ると、13歳の頃から神社にすらいっていません) わざわざ、なんで、神社とかいくの?という面倒な考えも 強くあるのかもしれません。

  • citytombi
  • ベストアンサー率19% (1721/8628)
回答No.3

感銘は受けないですね。 死に近付くからおめでとうと言わないのは、おめでとうの意味が分かっていないのでは、と思います。 昔は戦が多くて、また疫病の発生も多かったため、毎年毎年どうなるか分からない身だったんですね。そういう世の中において次の1年を迎えられたということは、生きているという実感を味わうことになるわけです。1年死なずに済んだということです。 なので、あけましておめでとうございますと言うんですね。 そういう「予測できない死」を乗り越えることができた1年という意味があるので、死が近付いているという解釈は全く違います。

ymda
質問者

お礼

ありがとうございます。 体調も、今、あまりにも悪く、精神も悪い状態ですが 生きていくことがつらく、まるで、「生かされている」状態と 感じているほどの状態です。 本当に牢屋の中に入るよりはずっとマシなものの、ある一定の 自由がない状態ですと、もう疲れたから、早く死にたいという 考えのほうのが、強くなっているのかもしれません。 そのおかげか、正月はイライラしてて、今季も1日あたりのリスカ回数が増えました。

  • yaasan
  • ベストアンサー率22% (2725/12280)
回答No.2

同じ一日だから、今日も生き延びれたことに感謝し、おめでとうと言うのではないですか? 日常に感謝できないとダメですよ。

ymda
質問者

お礼

ありがとうございます。 体調も、今、あまりにも悪く、精神も悪い状態ですが 生きていくことがつらく、まるで、「生かされている」状態と 感じているほどの状態です。 本当に牢屋の中に入るよりはずっとマシなものの、ある一定の 自由がない状態ですと、もう疲れたから、早く死にたいという 考えのほうのが、強くなっているのかもしれません。 そのおかげか、正月はイライラしてて、今季も1日あたりのリスカ回数が増えました。

回答No.1

この世に生まれた以上、人は死にます 早いか遅いかの違いで 年に1度ぐらい「おめでとう」って言ってもいいんじゃないですか?

ymda
質問者

お礼

ありがとうございます。 誕生日ですら、もう、「・・・・」という感じです。

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