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国内遠距離と近隣の国の旅行の意義について
- 国内遠距離と近隣の国の旅行は、グローバル化の流れの中で気軽に行えるようになりました。
- 国内の都市への旅行は、地理学的には意味が小さくなりローカルな部分が重要になっているとされています。
- 国内の旅行と近隣の国への旅行は、それぞれ異なる意義がありますが、国内の方が旅費が安い一方、近隣の国は海外の雰囲気を味わえる魅力があります。
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ご質問なのかご感想なのかよく分かりませんが、旅行の意味はその人の目的次第で変わります。 企業のグローバル化と地理学とは全く無関係です。 旅費や宿泊費次第と言うのも一つの考え方ですが、それだけで旅行をしている人だけではありません。 「遠距離の国内と近隣の国への旅行とのそれぞれどういう意味があると思いますか?」とありますが旅行をする人次第です。 端的な例が乗り鉄とよばれるマニアです。 ひたすら鉄道に乗ることが目的で、近いも遠いもありません。 身近な地下鉄や路面電車でも、寝台特急でも、シベリア鉄道でも一向に構わない人もいます。 終着駅で降りて外へも出ずに引き返してきても大満足です。 バックバッカーと呼ばれる人達も見知らぬ土地を旅することそのものが楽しみです。 目的地がどこであるのかは二の次です。 見知らぬ人と触れ合うことを楽しんでおられる人もいます。 日本であれどこであれ一向に差し支えはありません。 福岡のもつがどうと仰られていますが、その土地で食べることに意味があるとされている人もおられます。 郷土料理店などどこにでもあります。 東京や大阪であれば何時でも食べられますが、そんなものには見向きもしません。 博多ラーメンも博多の屋台で食べることに意味があるとされています。 駅弁なども、その土地の列車の中で食べるから意味があるのであってスーパーの客寄せで売っているものなどには見向きもしません。 お正月やお盆の帰省も人それぞれの理由や動機があります。 中には故郷のお祭りに参加することが何よりの楽しみで帰られる人もいます。 村興し町興しで旅行客を誘致する広告が増えたからと言って「ローカルな部分は逆に意味が増えた」という訳ではありません。 在原業平のように都を離れて遠く旅した人は古くから幾らでもいました。 芭蕉も江戸から伊勢のみならず奥羽州(東北地方)へ旅をしています。 江戸や大阪の庶民にとって旅は楽しみの一つでした。 江戸時代には女性の身で見物がてらに515里(約2000キロ)を旅した人もいます。 幕末に日本へやってきた外国人も街道の人の往来が多いことに驚いています。 可愛い子には旅をさせろ、という言葉も伝えられています。 単なる比喩ではありませんでした。 今も昔も変わりません。 自然や地方の見直しと観光客の誘致とは直接の関係はありません。 見直しの機運が出てきたので、誘致合戦が起きているだけです。
お礼
目的は大事でほかはその次ですね ご回答ありがとうございます。