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なぜ最近のファッションはダサいのか?
- 最近のファッションはなぜダサいのか?80年代のファッションの方がかっこいい物が多かったと感じます。
- アウターも昔の方が色合いも良くて肌触りも良い物が多かったです。今のファッションは暗めの色が多く、質感もガサガサしている気がします。
- ショートパンツも昔の方が短めでセクシーだったし、色合いも良かったです。今のショートパンツは長くなり、色合いも変なものが多いです。水着も昔の方がかっこいいデザインや素材が多かったです。
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質問者が選んだベストアンサー
厳密に言えば、現在の流行は80年代の頃のファッションが再来し、現代的にリメイク、アップデートされたものです。 おそらく質問者さまのイメージされる「80年代の頃」のファッションは、1960年代後半くらいの「サイケデリック」や「ヒッピー」、そしてそれらの色合いがアメリカンスポーツテイスト(テニス、サーフィンなど)にミックスされた1970年代前半あたりのものかと思われます。その当時は、男性もかなり鮮やかな、太ももの出るセクシーなショートパンツを履いていました。ただ、当時のファッションの傾向もすでに多分化していて、同じ時代でも「モッズ」や「アイビールック」、「トラッド」…などなど、やや暗めの色合いだったり真面目そうな雰囲気で肌の露出などの少ない男性の服装もありました。そして「サイケ」だったり「サーフ」というイメージのファッションを好む男性が、「アイビー」や「トラッド」などの服装を交える…というのはほとんどなかったように思います。 さて、それら昔の流行の話は置いといて、現在と昔の違いと言えば、情報の速度が大きく変わったことだと思います。 たとえばかつてはそれほどめまぐるしく流行が変わるわけでもなく、特に海外でのファッション事情が日本に入り、それが巷で流行するまでには多少の時間を要しました。ですからたとえば「サイケ」を好んだ男性が、しばらくずっとそのまま「サイケ」な格好をしてても『ダサい』とは周囲には思われなかったでしょうし、そのように、1960年代テイストでの流行は、そのまま1970年代~1980年代あたりまで共存可能だったように思います。 ですが、近年はそれに比べてはるかに情報も流通も早くなり、2~3年前の流行もすぐに「古いもの」に変わってしまいます。ファッションにそれほど敏感でない人でも、やはり10年前の服装のままだと気恥ずかしく思うのではないでしょうか。 それだけ流行の変化の速度が増すと、そもそもファッションに敏感である人とそうでない人とで、その情報に追いついていけるかどうか異なってきますね。 質問者さまが「特に」とおっしゃっているカジュアル系やスポーツウェアなどは、流行の最先端からはやや遅れ気味になりがちですし、もともと流行のデザイン性よりも機能性などを重視してつくられています。それゆえにめまぐるしく変わるデザインの流行を取り入れるより『出来る限り無難なデザイン』へと落ち着く傾向が強いでしょうし、ある意味で「ファッションに敏感ではない人=カジュアルやスポーツウェアを好む」という図式が成り立ってもいます。 逆に、ファッションに自信のない人でも、巷に出回っているカジュアルやスポーツウェアを着ていれば、ハイセンスには見えないけど、ほどほどにダサくは見えない…という無難なファッションとして落ち着いてしまっているのです。そのことから、そもそもスポーツウェアなどをつくるメーカーは、ファッションデザインの流行とは異なる次元で服をつくっている、というわけです。 さて、少し話を昔に戻しますが、スポーツウェアのみに注目すれば、その主流を決めるのは繊維などの素材の進化と連動しています。 綿・麻・ウールといった天然素材がほとんどであった頃、また化学繊維がそれほど発展していない頃は、スポーツウェアとしての機能性を考え、より動きやすく、また軽量化するためには『丈を短めに』するより他はありませんでした。また化学繊維も今ほど丈夫ではなかったため経時劣化も激しかったですし、天然繊維と比較し安価なものでもありませんでした。 ですが時代が変われば繊維も進化し、現在は化学繊維の方がむしろ安価で、なおかつ伸縮性も増し軽量化なども進んでいます(もちろん水泳などの一部の分野では、水の抵抗の軽減など、着る、や、動く、という目的以外の機能性も関係してくると思います)。 このことから、機能性を担保しつつ、無難なデザインである必要のあるスポーツウェアでは、多くの人が着るうえで「無難な丈」などをデザインとして選択しがちですし、素材の面でも耐久性や機能性のある新素材を使う、というのが当たり前のこととなります。 ただ、ここでもう一度デザインや流行の話を加えると、「色」が思いつくのではないでしょうか。確かにスポーツウェアでは、黒、暗めのグレー、暗めの青や緑…といった色合いが主流ですね。 ですが、昔は「鮮やかな明るい色」も多かったように思います。 実はこの点も、繊維の進化と関係していると考えられます。 綿などの天然素材であれば、色を染める技術もノウハウもほぼ完璧に確立されていますが、しかしハイテクな新素材の繊維となれば、色褪せや白の場合の黄ばみといった経時劣化を考慮し、研究段階でまずは「黒」にできるか、という部分から始まり、その後に複数の色味へと移行すると考えられます。ですから、毎年度のように新素材が生まれる昨今、多様な色味よりも黒・暗めの色といった無難と感じられる色の方が、開発から流通させるまでの時間が少しでも短縮できる、と思われます。 スポーツウェアの布地のことを考えれば、開発から流通までの速度の問題であると思いますし、その素材の(見た目の)良し悪しは、機能性の向上に重きが置かれている以上、デザインとして言及するのは難しく思います。 また、ファッション全般のデザインに関しても、実際の市場や巷でのファッションの多様性よりも、ファッション情報としての多数派の方が巷でも優勢であるかのように思われてしまいがちです。そしてファッション情報の流通が加速すればするほど、それについていけない人は「とにかく無難なもの」を好むようになってしまいます。で、市場経済的に考えると、ファッションとして最先端を好む人よりも、無難なものを好む人のほうが多数派であり、結果として長い時代の中で無難だと思われるデザインに落ち着くのだと思います。 男性のファッションで言えば、丈が短めのショートパンツなどのような、より男性的な肉体をアピールするデザインは、近年のハイファッションの領域では流行しているものです。それを受けて今年の春~夏のシーズンも、流行に敏感な男性にはかなり短めの丈のショートパンツが着用されていました。しかし、ハイファッションは世間一般の多数派に向けてつくられているわけではないので、そこでの流行がスポーツウェアなどの「無難なデザイン」に落としこまれるのは、もう少し時間がかかるか、もしくは反映さえされないのかもしれません。 ただ、そもそもの服装やデザインの好みは、やはり自由であるべきで、ファッションを楽しむというのは、流行についていくことではないですし、多数派を選ぶことでもないと思います。自分が好きだと思うものを選び、なおかつそれが似合っていて自分で満足できることが重要なのではないでしょうか。 現在の主流となっているデザインを好ましくないと思うからこそ、古着であっても自分の好むものを探し当てられた時の喜びはとても大きいです。そしてちなみに、ファッションを志すような学生の多くは『自分好みの服がなかなか見つからないから』こそ、自分で着たい服をつくるためにファッションの世界を目指そうとするのではないでしょうか。
その他の回答 (3)
- takusantaberu
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時代は変化していくものです。 昔は良かったと思うということは、あなたが老い、若い感覚についていけなくなったということです。 これが時代の流れなんだと受け止めた方がオシャレだと思いますよ。
お礼
ありがとうございます。
- mezoriso81
- ベストアンサー率18% (13/72)
ポップスのソングを見て思うのですけど。 昔は都会は憧れであり、かっこいいというイメージ、夢があったと思います。 最近は、消費社会ですね。あまりかっこいいトップを目指すというのがなくなったのではと思います。 またファストファッションは手軽ですけど、要は何か落としてたくさんにしようですね。崩しているともいえますし。 現在も過去もストリートもバージョンを変えて存在してます。 私は反抗的なストリートより夢がほしいように思ってます。 頭で技巧的にコーディネートするのですけど、何か夢がないというのはあるかもしれません。
お礼
ありがとうございます。 そういう文化の変化、良いようでちょっと悲しいですね。 質問とは関係ないですが、消費社会になったことで、そこそこ安くとも品質のいい日本製品が好まれなくなり、品質が少々悪くとも更に格安な中国製などがひろまり、それに従って日本製品を作っていた会社が倒産したり、経営が悪くなったり、そして結局日本製品ですらその流れを受けて品質が下がって行く、という悪循環が起きてますね。 悲しいです。
デザインに関しては貴方の好みの問題。 布地に関しては、コストの問題。
お礼
ありがとうございます。 確かに好みの問題もあるかも知れませんが、基本的に色が暗い、というのは分かるでしょうか? デザインも、より「保守的」な物が多数派になったと思います。 私が書いた事を総称すると「保守的なデザイン」「無難なデザイン」が重視されているという事だと感じます。
お礼
ありがとうございます。 かなり詳しくありがとうございます。 そうなんですよね。 だから僕も、ミシンを手放せません。 お洒落って矛盾を感じます。 お洒落に見える為に、流行について行こうとする。 しかし、それをやると皆と同じになってしまい、お洒落ではない。 では、自分で好きな格好をするのは!? とね。 安くて、日常で使えて、かっこいい。 しかし、年々それが減って行く。 これ、服飾でも、車でも、そんな感じですね。 商業的には多数派に合わせないといけない、しかし多数派の考えることはあくまで平均点である、と。