#2です。#1の回答を見て付け加えたいと思います。
先の回答はパ・リーグのことでしたが、今度はセ・リーグです。
同じく2リーグに分裂して数年後の頃です。
#1の方は、「国鉄スワローズ」だと言われていますし、実際に弱かったのですが、もっと弱いチームがありました。
それは「大洋ホエールズ」です。
1953年から、「大洋」と「松竹」が合併して「洋松ロビンス」になり、最初の年は6球団中の5位でしたが、翌54年からは6年連続の最下位でした。
55年から球団名称は「大洋ホエールズ」となっています。
その成績を以下に示します。
54年 32勝96敗2分 勝率 .250
55年 31勝99敗 勝率 .238
56年 43勝87敗 勝率 .331
57年 52勝74敗4分 勝率 .415
58年 51勝73敗6分 勝率 .415
59年 49勝77敗4分 勝率 .392
なんと100敗直前まで負けた年もあったのです。
それが1960年に、西鉄を3年連続で日本一にした三原脩を監督に招聘したところ、いわゆる「三原マジック」で、最下位から一躍優勝してしまいました。(70勝56敗4分)
この時は本当にビックリしました。
ところがその翌年の61年には再び最下位へ逆戻り。
当時の私の感覚では、セ・リーグはAクラスは「巨人」「中日」「阪神」であり、Bクラスは「広島」「国鉄」「大洋」というのが明確に分かれていると思っていたものです。
この弱い「国鉄」にいながら、金田正一投手は新人の年から10年連続で20勝以上をあげたのです。上位チームにいたとしたら、生涯成績は400勝どころではなかったはずです。
ま、それはともかく、各チームの成績というものには、長い目で見ると強い時期と弱い時期とがあるのが普通です。今が弱すぎるからと言って見限るのではなく、ずっと応援するのが本当のファンだと思います。
私がファンだった近鉄が優勝し、日本シリーズでの巨人戦で勝利投手となった加藤投手が、思わず「巨人はロッテよりも弱かった」と失言したことに、巨人の選手たちが発奮して逆転され日本一を逃したエピソードもありますが、この当時のロッテは本当に弱く、本拠地の川崎球場は閑古鳥が鳴いていました。
近年はプロ野球ファンをやめてしまった私の、懐かしい記憶を目覚めさせてくれたご質問に感謝します。