イエスとは人間存在として実在していた。その2
イエスとは人間存在として実在していた。その2
その1は下記
https://okwave.jp/qa/q10242245.html
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イエスとは人間存在として実在していた。
イエスという人物の伝承を謎解きすると、イエスというのは史実として実在したことを示唆する論考も可能だ。
イエスを信じる宗教は、イエスが実在した人物なのか、明白な答えを出していない。
信じることですがっている。
イエスはユダヤ人であり、ユダヤ教徒だと伝承は認めている。
イエスはキリスト教徒ではないのだ。
イエスの生きた時代のユダヤ人は奴隷だった。
イエスは聖職者として卓越していた。
奴隷のユダヤ人に信仰心を授けた。
現代でも信仰心の忠実な人を人間であると認めることは誰もが了解可能だろう。多少の異論は挟まるかもしれないが些細なことだ。
奴隷階級のユダヤ人を人間だと認めさせるイエスの行いは、「奴隷解放運動」「人権運動」これと似ていた。
そしてローマの治世には悪影響を及ぼす。
イエスは国家反逆罪で処刑。
名目は、残っている伝承だと、古代王の末裔を名乗ったことにされている。
誠実なローマの提督はユダヤ人の訴えで偽物の救世主を処罰したことになっている。
そうした言及が書物に記載されたのは、イエスの処刑からかなり後で、当時を知る者は一人もいなかった。
行政には犯罪者に恩赦を与える権限がある。
ローマは過去に功労が大きかった提督を恩赦する意図で、提督の不手際をユダヤ民族の不手際にすり替えた。
この巧妙な手口では、ユダヤの人として生きて、ユダヤの救済を生涯にしたイエスをわからなくさせる効果がある。
ユダヤ人がイエスを殺したというイエスの意図の真逆を演出する事なのだ。
イエスの後世に成立したキリスト教はイエスの生涯を蹂躙する取引でローマで地位を獲得した。
したがってキリスト教徒とは、イエスを理解してはいけない信仰心に収まった。
イエスの事は彼らにはわからない。
新約聖書編纂前の原始キリスト教の成立はおそらくはこう。
人が人らしく生きる事すらも、無下に蹂躙したイエスの処刑は、古代ローマとその周辺をローマの横暴として震撼させた。
そしてイエスを英雄のように祭る素朴な畏敬から、イエスの故事はユダヤ教徒以外に拡散していく。もしもそうした現象が無ければ、イエスの処刑は単なるユダヤ人弾圧だ。
そうした集団のイエスの意志の継承は「奴隷解放」「信仰心に守られた人間の謳歌」そして「反ローマ」だ。
ユダヤ人を離れて、広域の各部族社会に拡散したイエスの志は、改めて意思統一するために唯一神の概念を必要とする。
反ローマや革命的な意図のある反社会的な集団だから当然弾圧を受けるし、結束が強い半面で排他的だ。
そして治安維持対策をしたいローマの思惑と地位安定を図りたい原始キリスト教の思惑が一致して、編纂されたのが新約聖書。
それはイエスに背を向ける契約書だ。それ以降は言わば、新約キリスト教だろう。
私は単に考察してみただけだけども、イエスの処刑されたいきさつにねじれがあるという前提でそこを組み立てなおすと、人として生きたイエスの人生と、その功績というのが浮き彫りになるからだ。
キリストというのは、今のところ彼らに安寧をもたらすように寡作した、パウロキリストでないか?
私の論考は、イエスがキリストだという前提をいったん外して彼の人生を浮き彫りにしようとする検証だ。
キリスト否定と言われて、趣旨説明に聞く耳を持たない事だろう。
私は考えるんだ、彼らば集い祈る教会で、「我々の元にイエスを返してくれ」そういえばいい。
そして、イエスが彼らの元に戻ったならば、イエスはキリストだと、私も(自分の信仰ではないが)称賛しよう。
イエスが唯一のキリストで、これからキリストになるのだ。
古文書にイエスの姿からは彼を見る者は、彼の姿の背後に神の存在を感じ、成したことに他に多くの人を彼が生きたというだけで救いもしたのだろう。
それは了解している、だから偉大な人物だと承知しているよ。
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ここまでが個人研究の取りまとめ。
社交的な場では、政治と宗教の話はご法度という慣例があって、哲学の学問カテゴリーはそのど真ん中だから、投稿する時は原則的に喧嘩を売る姿勢なんだよ。
その方が円滑なんだ。
それで、過去の喧嘩腰よりも、だいぶマシな論説を暫定的に組み立てています。
その1で、論説の甘さが多数指摘されました。
まあいいんだよ。浅学な私なりにパズルを解こうとしたんだ。
そして、現時点の完成度で思うところもあるのです。
特に「イエスが唯一のキリストで、これからキリストになるのだ。」これは、キリストの再臨という予言めいた示唆と符合可能で、パウロキリストの陰謀で2000年間の新約キリスト教は迷走し、結局はイエスだけがキリストなのだと、さらに深くかみしめるヒントになるだろう。予言としてつじつまも合うのだ。
単なる親切心で、彼らの内部からは出てこない助言をしているんだよ。
私はキリスト教徒でないから、改革をしようとしないし、布教もしない、教祖になりたくない。
そういう趣旨で遊ぶ「おもしろ娯楽読み物」なのですよ。
すぐさま喧嘩になるとも思いましたが、キリスト教徒というのは、むしろこの娯楽でうわさ話に花盛りになる傾向があり、実は大好物なのではないか?
そのように思いなおしました。
それで、その2で現時点の取りまとめをして仕切り直ししています。
喧嘩腰は学問カテゴリーの特徴なので、上品な解答だけしてくださいとか、そこいらのヘタレみたいなことは言いませんよ。
この先にも、個人的に思案を続けたいので、新着ネタになんでもいいから助言してください。
お礼
お返事ありがとうございます。 そうですこれです。 全国にあるみたいですね~種類もかなりありそうです。 勉強になりました、ありがとうございます。 では失礼します。