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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:『二人』からだと肯定できる風潮。)
一人と二人の違いについて考える
このQ&Aのポイント
- 一人だと変わった服装や行動をすると笑い者になりますが、二人組だと社会で肯定される雰囲気になる理由について考えます。
- 先日話題となった頭に花輪を付ける女子中高生の話から、一人だけでそのような服装や行動をするとおかしいと言われるが、二人組だとそういった雑音が減って肯定されるような雰囲気になる理由を探ります。
- 「赤信号みんなで渡れば怖くない」という言葉と同様、一人では周囲の反応に敏感になりやすいため笑い者になってしまうが、二人組だと支え合って社会で肯定される安心感を得られるからではないかと考えられます。
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質問者が選んだベストアンサー
"どうして一人だとちょっと変わった服装や行動取ると 笑い者になり二人組だと何となく社会で肯定されてるような 雰囲気になるのでしょうか?" ↑ 一人だと、あいつだけ、という認定がなされやすいが 二人だと、他にもいるのでは、もしかすると これが普通なのでは、という可能性が出てくるから だと思います。 『赤信号みんなで渡れば怖くない』 これなんでしょうか? ↑ ちょっと違うと思います。 赤信号云々は、大勢でやれば罪の意識が薄れる、という 集団意識に基づく心理効果だと思われます。 つまり、花輪は当事者ではなく、周りの意識の問題ですが、 赤信号は当事者の問題だ、というわけです。
お礼
回答ありがとうございました。
補足
>二人だと、他にもいるのでは、もしかするとこれが普通なのでは、という可能性が出てくるから この一人から二人への変換による集団性への匂い、個人が孤立へと 【追い込まれる】 不安。 >もしかすると・・・ ここら辺の微妙な 集団帰属への希求 個人孤立への不安 “二人組”であるということだけで社会的スタンダードに見えてしまう特殊性 その特殊性であるにもかかわらずスタンダードに見えてしまう催眠効果 など この集団と個人の関係性がいろいろ見えてきて面白いですね。 >もしかすると ・・・なるほど。 >花輪は当事者ではなく、周りの意識の問題ですが、赤信号は当事者の問題だ、というわけです ありがとうございます、いい述懐でした。 ただ頭に花輪も法にはひっかからないけど均一化した社会常識を求める世の中だと犯罪的な匂いもしないわけではないように思います。