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躁鬱病夫13年から別居・離婚申し入れで悩んでます。
私(46歳・休職中/無収入) 妻(46歳・派遣社員) 息子(17歳/私立高・12歳/公立中) 同居 母(77歳) とても長い文章になってしまいました。 まとめると「13年躁鬱病の私が別居、離婚を申し入れて良いか」ということです。 「恨み辛み」にお付き合いいただければ幸いです。 2001年に発症し、その後休職を繰り返して、現在まで3年しか働けていません。 双極性障害II型、障害者手帳、障害厚生年金3級受給(停止中。現在悪化による消滅届のための診断書作成を依頼中)です。 今回4月からの休職からついに収入が絶たれ、経済的苦境に陥っています。 結婚以来全く働いたことのない妻が働いてくれていますが、到底支出をカバーできる収入ではありません。 それでも私の蓄えを取り崩したり、車の売却を検討して(妻は猛反対してます)生活資金を捻出するなどして、すぐに破綻するような状況ではありません。 今のところ妻には貯金を取り崩してその度にまとまった額のお金を渡しています。 しかし妻が実家に援助を乞うと言い出したので、「当分貯金でやっていけるが、まず自分たちでできる限りのことをやってからにしよう。 車を手放し、教育費を考え直そう。 削減できるところは協力して削減していこう」と持ちかけましたが、「いつまで保つのか、いつまで休むつもりなのか、車は買換えたくない(国産車はイヤだ)、教育費を削るのはかわいそうだ、アンタが働けばすべて解決する」と逆に責められました。 これまで妻はお金のことにタッチしておらず、私の収入はおろか毎月家計でいくら使っていていくら必要なのかをまったく把握していません。 (10年以上、私が家計簿兼出納帳を付けて毎月妻に渡し、10年後子どもが大学を卒業するまでの毎年の費目ごとの収支計画/見通しを作成して説明しましたが、まったく関心を持ってもらえませんでした。) バブル世代の妻にとっては、慎ましく生活することに対して強い抵抗感があるようです。 「少しくらい贅沢したっていいじゃない!」という気持ちは、同じバブル世代の私にも分かります。 ただ、今のような状況で、その“少しくらい”が“どれくらい”なのかについて話し合っても平行線のままです。 貯金の全額を知らせて少しでも安心させたい気持ちもありますが、比較的高収入で外車に乗り子どもは私立に入れて、という生活を送っていましたので、まだ余裕があることを知る事による安心の代償として、実態も将来のお金のことも把握していない妻がこれまで同様、あるいはこれまで以上にお金を使ってしまうのではないかということが心配ではっきりした額は伝えていません。 専業主婦としては家事や子育てを完璧にこなし、まじめで几帳面で実直、献身的で自己犠牲の精神に富み、頭も良くてキレがあり、とにかく非の打ち所がありません。 そういう意味で、家事や子育ては妻、経済的な支えは私、という役割分担ができていました。 それでも10年以上患って働けなかった私に対して収入があるうちは辛く当たることはあまりありませんでした。 しかし収入がなくなってからは明らかに態度が変わりました。(「早く働け!」「治そうという努力を怠っている!」) 妻は勝ち気な性格で、弱みを見せず、私の長患いに対する不安や不満があるはずなのに周囲の人に愚痴ひとつこぼすことはなかったようです。 その分家庭では自分を正当化する傾向がとても強く高圧的で、落ち度や誤り、些細な勘違いに対しても謝りません。 私も子どもたちも妻の口から「ごめんね」「すみませんでした」を聞いたことがありません。(逆ギレ気味のはありましたが・・・) もちろん心の中で思っていてくれたことは分かっていますので、それを責めるつもりはありませんし、資格もありません。 ただ言葉が少なく家族に誤解されたり、感情的を通り越してヒステリックに怒鳴り散らして恫喝し、萎縮させてしまうことが日常的にありました。 褒めることができず、誤りや不快な態度に対して激しく怒鳴りつけ、長男の受験勉強中にキレた妻が目の前で教材をコンロで燃やしたり、包丁を振りかざして叫びながら追いかけ回したりすることがありました。 子どもたちも成長し、妻に対して反抗的な態度や口答えできるようになりましたが、私は叱責される度に「すみません、すみません」と歯をかみしめながら平謝りすることしかできなくなってしまいました。 働く妻の負担を少しでも軽くできないかと、留守中に、震えていうことを利かない手で家事の一部をやりましたが、やってあってもなくてもあまり気にしてないようでした。(やってなかった時も特段不満そうな顔はしていませんでした。) 良い機会なので、子どもの勉強や生活態度などについて私から申し出て面倒を見ていたものの、その間の子どもの生活態度が気にくわなかったらしく、「できないんだったら最初からやるなんて言うなよ!」いい加減だ、甘い、ルーズだ、と完膚無きまでに打ちのめされ、やはり「すみません、すみません」というのが精一杯でした。 その時にもはっきり感じたのが、「余計なことをしなくても良いから早く働け」という強いメッセージです。 妻の対応(言葉や態度)がそのようになってしまったため、子どもたちへの当たりもきつくなり、子どもたちもしばしば私に厳しい言葉を使うようになりました。 (子どもたちと私の関係は概ね良好ですが。) 妻とのコミュニケーションは、溺愛している犬の話、天気(予報)の話、妻の職場でのエピソード、妻の友人とのやりとり、バラエティ番組を見て笑う、くらいです。 お笑い芸人や俳優やタレント、ニュースと時事問題の話題も難しくなってきました。 特に“私の話”をするとあからさまに不愉快そうな表情になります。 何の気なしに発した言葉が癇に障って、空気を悪くしたり気分を害したりするのが怖いので、不自然さを感じさせないよう気をつけながら、絶妙な距離をとりつつタイミングを計ることに苦心してます。 先日機嫌の良さそうな犬の散歩の時に、これまで話したことのなかった“自殺企図”が何回かあったことを、びっくりさせないように気をつけて、軽い調子で打ち明けてみました。 「今回の休職に入った直後は一番深刻で、とにかく経済的な責任を果たすためにはどうするべきか、を考え得るあらゆる角度から検討し、保険金などで8,000万円残せる自殺が合理的だとの判断で、具体的な計画を立てた。 今まで13年のうち働けたのが3年、定年まで14年のうち何年働いて稼げるか? より確実な8,000万を選ぶべきでしょう。 ところで8,000万円で何年生活できる? 8,000万稼ぐのに何年働かなきゃいけないか分かる?」 答えは 「心配しなくて良いよ。 何とかなるよ。」 ではなく・・・ 「分からない。 残された我々が迷惑するから勘弁してくれ。」 「浅はかだ」 本心ではないと信じてますが、もう話すの止めよう、と思いました。 13年もろくに働かずゴロゴロして、ついには稼ぎがなくなるどころか妻まで働いてもらわなければならない原因はすべて私(の病気)であることを十分認識してます。 妻のストレスは頂点に達しています。このまま一緒に生活していると確実に妻も病んでしまい家庭は崩壊してしまうでしょう。 上記のような環境から解放されれば妻も私もこれ以上しんどい想いをすることがなくなるのではないか、とずっと考えていました。 離婚を視野に入れた別居、最悪より“マシ”な選択では?と思います。 子どもたちに対しても、大変申し訳なく思っています。 別居・離婚の選択の歯止めになっていたのは大切な子どもたちです。 別居について、子どもたちをどちらが面倒を見るかが難しいポイントになります。 離婚が前提だと、別居時の同居でほぼ決まってくるような気がしますが・・・。 親権にはこだわりません。 妻子3人で話し合ってくれたら、それに従います。 鬱病で離婚された方はほとんど鬱病本人からの申し立てではないのではないかと思いますが、ご本人から申し立てをされたり別居された経験のある方がいらっしゃいましたら、アドバイスいただけると幸いです。 よろしくお願いいたします。
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お礼
早速ご回答と優しいアドバイスをいただきありがとうございます。 本当に自信をなくしていて、こちらで投稿しても厳しいご意見しかもらえないのではないかと不安で、投稿することで更に辛くなってしまうのでは、と大変悩みました。 確かに妻は厳格で責任感の強い、私自身も尊敬できる両親の元、正しく育ってきました。 ですから「正しいこと」を「怠ることなく愚直に取り組む」でいるのに、このような状況になってしまっていることが受け入れられないのだと思います。 正に正論、非は一切ありませんので、抗弁しようがありません。 抗弁できたとしても、砕け散るのは明らかです。 書くのを忘れました 躁鬱病の診断ですがほとんど鬱病相で、躁状態での暴言や虐待やDVや浮気、ギャンブル依存やアルコール依存(元々飲めません)、誇大妄想は一度もあらわたことはありません。 ネットオークションでの売買に没頭したことはありますが、借金をしたり蓄えに手を付けたりというようなことはありませんでした。 (休職後も収入があるうちは毎年100~200万円貯金してました。) それでも妻の不満・不安を想像すると、いくらでも思いつきます。 それを論われると「すみません」としか言えません。 “真面目”過ぎるのかも知れませんが、しっかり思考を整理して論理的に組み立て、合理的な判断という結論にいたって万全の準備が整えたとしても、妻に別居(離婚)の話を切り出す勇気は出てこないでしょう。 私なりの結論が出たとしても、こんな後ろ向きなことを“克服”しなければならないと思うと、更に具合悪くなります・・・ ありがとうございます。