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人生が怖いです。
18歳男です。 こんなこと話しても仕方がないのですが、聞いてください。 人生って絶対に終わってしまうものですよね。それが怖いのです。 考えていてもどうしようもないのですが、考えてしまうのです。 というか、人生とか通り越して宇宙の事とか考え始めてしまって、さらに怖くなって来てしまいます。 大好きな両親や友達がいなくなってしまうのが怖すぎます。自分が消えるのが怖いです。 勉強をやっていても、好きなことをしていても、心臓がドキドキして、胃がキリキリして、ひたすら気持ち悪くなってどうしようもないです。何をしてても楽しくもなんともありません。ただただ怖いです。 電話の無料相談にもかけてみましたが、どこも繋がらなかったので、ここに書きました。 こんなこと人に言ってもどうしようもないのですが、不安になってしまいます。怖いです。 この気持ち、どうすればよいでしょうか。
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- All_Right
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ご質問者様は、周りの人に恵まれ、幸せな人生を送っていらっしゃるんですね。ですから、その大切な人たちがいなくなってしまうことや、幸せな人生を失ってしまうことが怖い。 そのお気持ち、とてもよくわかります。 確かに、人は皆絶対にいつかは死んでしまいます。若いからといって、年をとるまでは死なないかというとそういう保証もない。本当に怖いですね。私もそう思います。 でも、逆に考えてみたらどうですか?いつかは死んでしまうのに、今は生きている。 極端な話、昨日自分や大切な人が、死んでいてもおかしくなかったのです。それなのに、今日生きている。幸せなことですよね? 私は毎日「今日も生きられてよかった、今日も幸せだった。明日も1日大切に生きよう。」そう思っています。 そして、一瞬一瞬を大切に、色々なことを精一杯頑張って、どんな些細な事にも幸せを感じられるように意識しています。 また、周りの人を大切に、感謝や愛を伝えることを忘れないようにしています。 自殺したいと思うような人がいる中、ご質問者様が死ぬのが怖い、生きていたいと思うお気持ちは素晴らしいと思います。それなのに、毎日を不安と恐怖で過ごしてしまうのはもったいないですよ! 死んでしまうのが怖いと思うお気持ちを、「生きていて幸せだ」という方向に変えられたら、毎日が180度変わると思います。 いきなりは難しいと思いますが、どうか少しずつ考え方を変えられるといいですね。 それでもどう頑張っても考え方を変えられず苦しい時は、ご両親や(学生なら)学校の先生や保健の先生などに相談してみたり、場合によっては心療内科などに相談してみたらいいと思います。
- gokuu999
- ベストアンサー率51% (538/1038)
こんにちは、アラサーの女です。 私もすごく怖かったです。 >というか、人生とか通り越して宇宙の事とか考え始めてしまって、さらに怖くなって来てしまいます。 そう、自分の人生、命、縁、なぜ自分は生まれたのか、 こんなことを考えるうちに、宇宙に行ってしまうんですよねー。 何で思考が宇宙まで飛ぶかって、結局この世(?)を構成するものの一番大きい単位が宇宙だからかな。 宇宙っていったい何なの? 多くの科学者によって、いろいろと解明され、 ついには宇宙(地球外)まで行ってしまった人間もいますけれど、 まだまだ謎ですよね。 ちょっと宗教的ですが「大いなるもの」「人知を越えたもの」を感じます。 自分が生きていること、生を受け、心臓が動き、血が巡り、思考すること、 これも、宇宙並みに謎が深くて、すごいことですよね。 自分の体なのに、宇宙並みに不思議。 だから、答えを求めるために、宇宙へと想いを馳せるのです。 私の場合は若い頃、「自分って何で生きているんだろう」という謎や憂鬱感がひどく、 自分はこの世に生まれ、何を残していくんだろうとか、 親がいつか死んでしまうとか、自分も死ぬのは怖いとか、 考え始めると眠れないこともよくありました。 100年後には、自分も周りもみんなこの地球上からいないんだ・・・なんて思うと、 絶望的な気持ちにもなりますよね。 そんな時に、ちょっと救いになったのが、高校の倫理社会の授業でした。 いろいろな哲学や宗教、思想の概要を教えてくれる授業だったのですが、 大昔の偉い人たちも、「生と死」について真剣に考えていたのです。 例えば、宗教でも大きなテーマは「死後」ですね。 みんな死ぬのが怖いから、そして身内や自分の生死に理由を求めたいから、 宗教を信仰する。 死とは何かを勉強する。 死をできるだけ避けるための医学が発達する。 納得できる人生にするため、様々な考え方や教えが、文献として残っているんですね。 私はその中で一番いいなと思ったのが、 仏教の考え方と、中国哲学の「道(タオ)」と呼ばれる言葉です。 それからたまたま本屋で目に入った「葉っぱのフレディ」という絵本も良かった。 もし良かったら、調べてみて下さいね。 >この気持ち、どうすればよいでしょうか。 私は、いっぱい本を読みました。 人生論とか、宇宙の本(相対性理論は難しくてよく分かりませんでした)、 命や人間がテーマの小説、宗教に関する本など。 「何で生きているのか」「この不安はどう考えたら解消されるのか」答えを探したかったんです。 本を読み漁りましたが、結局答えは見つからない。 (今はもう忘れてしまいましたが) 結構な量の知識と、多様な考え方が残り、 「結局、自分自身で答えは探さないといけない」という「答え」を見つけた。 それから、死への恐怖に関しては、 私は、「でもまだ大分先のことだ・・・」と、自分を落ち着かせました。 いつか死ぬけれど、まだ何十年も先のことです。 その時に考えればいいかーという感じ。今でも。 何故か生まれてしまい、いつか死ぬことが決まっている。 これは決まっていることなんだから、 その間「生きる」ことが自分の義務らしいです。 「死」について考えることって、「生」について考えることと同じです。 あなたの「生」を見つめ、生きていることを実感して下さい。 私もその頃はいろいろ考えたのですが、 例えば大学生になって毎日楽しく馬鹿騒ぎしていたら、 不安はほとんどなくなりました。 仕事などで、自分の責任や達成感などを感じていると、 宇宙のこと考えている時間も余裕もなくなりました。 若い頃は、あれこれ思考することで「生きること」を感じていたけれど、 今となると、行動することで、命の火を燃やしている感じですね。 きっと、質問者さんの生命エネルギーが、今有り余ってるんですよ。 どんどん行動して下さい。 泣いたり笑ったり、スポーツで思いっきり体を動かしたり、 渾身の力を込めて何かを表現したり、して下さいね。 表現すること、生きることです。
お礼
ありがとうございます。回答者さんのおかげでとても元気が出ました!めちゃくちゃ頑張りたいと思います!!
- m1236
- ベストアンサー率50% (1/2)
無駄なものにするかどうかは自分次第ではないですか? 私の場合は好きなことも嫌なことも一生懸命するようにしてます。そして息抜きに自分の好きなことをする時間も作るようにしてます。 自分が充実したと思えばそれは1番いいことなのではないですか? でも自分が楽しければいいというのは違うと思います。みんなが笑顔でいることが1番いいのではないでしょうか。人が笑顔なのは幸せな証拠です。笑顔が多い分充実してるのではないでさか?
お礼
そうですね。充実した人生をみんなで笑顔で過ごせるように頑張ります!ありがとうございました。
- m1236
- ベストアンサー率50% (1/2)
私もすごく怖いです。 実際人は生まれたら必ず死にます。でも、その一度きりしかない人生を楽しく一生懸命過ごすことが大切なのかな?と思います。 家族や周りの人がいなくなったらと思うとどうしても自分は弱くなります。でも、それは今ではないです。これから先まだまだあります。今怖くても生きてます。 今後あの時にこうしてればよかった、あーしてればよかったと思わないように一生懸命過ごすことが大事だと思います。
補足
補足です。人生は決して無駄なものではないのでしょうか?
- Mokuzo100nenn
- ベストアンサー率18% (2123/11344)
私も全く気持ちに襲われて2-3日活動できなくなるような事を繰り返していました。 しかし、年齢を重ねるとこの気持ちに襲われることも少なくなり、また10年ぶりに襲われたとしても、症状は軽くなってきて、一晩で快方に向かうようになりました。 その理由は、「充分に生きた」と言う事実ではないかと思っています。 青春の時にはまだ「充分に生きていない」のに、人生の終焉を考えるわけで、失うものが最大です。 しかし、還暦を迎える年齢になると、完璧とはいえずとも「充分に生きた」という事実が、人生のへの未練を減少させているのだと思います。 >大好きな両親や友達がいなくなってしまうのが怖すぎます。 この恐怖も、実際に親を失ってしまえば、親を失うという「未来の出来事」が既に「過去の出来事」になってしまうわけで、この面での恐怖心に襲われる理由が無くなります。 そうこうして、段々と自分の人生の有限性に関する恐怖心が減少してくるのです。 子供をもうけて、子供が成人すると「自分のDNAは残った」ので「自分が消える」という恐怖を多少緩和してくれたりもします。 >この気持ち、どうすればよいでしょうか。 この気持ちは、寄り添うしかありません。 この気持ちに襲われた時には押しつぶされそうにながらも、ただじっと寄り添ってください。 恐怖の時間が無限に続くことはありません。 また、人生の後半に向かうに従って、未練が少なくなり、恐怖のインパクトも軽くなると信じてください。 メメント・モリ。 この気持ちを感じないで人生を過ごす人よりも、よほど良い人生、よほど充実した人生を送ることができるのだ、と自分を説得してください。 少しでも恐怖に耐える力が着くことを願って、経験談を書かせていただきました。
- 山田 太郎(@f_a_007)
- ベストアンサー率20% (955/4574)
Q、この気持ち、どうすればよいでしょうか? A、できるだけ考えないようにするしかありません。 ある有名なお寺の館主が不治の病に冒されました。 >先生、私は悟りを開いています。遠慮なく余命を教えてください。 >判りました。あなたの余命は一週間程度と思われます。 これを聞いた館主は、泣き喚き暴れたそうですよ。つまりは、「人生の終焉を考えることは誰にとっても恐怖」だということです。 例外的に、本当に「天国に召される」と信じていれば別です。これは、終末期医療に携わっている医師の話。 私自身は、幼少時に土葬に数多く接してきました。それで、「げっ!死んだら腐って骨になるのか」と恐怖。4、5歳の頃から、「人はなぜ死ぬの。僕も死ぬの?」と事あるごとに大人に聞いていました。17、8歳の頃も、考え始めると寝てても目が冴えて、そして怖くて「ウギャー!」と叫んでいました。 天国も地獄も信じない私。当然、前世も来世も信じていません。ですから、死を意識すると怖いです。まあ、当たり前のことでしょう。自分が無に帰するのですかた。 とにかく、言えることは考えないことです。学業でも仕事でもいいですから、目の前のことに熱中することです。 なお、「死の恐怖」を強く意識するって、ちょっと良いこともあります。それは、人間関係の煩わしさ、仕事の辛さ。そういうのを「死ぬことに比べたら屁ともない」と思えることです。 でも、やっぱ怖いですね。こて以上に書き進むと今夜寝られなくなるのでこれまでとします。
お礼
そうですね、ありがとうございます!考え方を少しずつ変えて行きたいと思います。