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友人が幼くみえる。上から目線になってしまう?
- 30代女です。同じ年代なのに、なんだか、若いと言うか幼いというか、気遣いがないなぁとイライラしてしまいます。
- 高校の頃はお互いまだ子どもでしたが、もういい大人ですし、しっかりしてよと思ってしまいます。
- 私はかなり幼い頃から、同年代が幼く、若いなぁとよく感じており、いまいちクラスにも馴染めなかったりしました。
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質問者が選んだベストアンサー
そのお友達はお友達として現状維持で 別の人間関係を作っていくといいと思います。 異業種交流会や各種講座、勉強会、セミナーなど 御自身の得意分野やご興味のあることに関し ゼロから構築するのです。 学生時代の友達は 単にその時期一緒にいた、というつながりのものから 生涯の友、まで幅広い可能性がありますが 社会人になってから自分の感覚で一緒にいる友達は 感覚や考え方など近い人(表現方法は違っても) になる傾向があるので そういう中であるレベル大人でありつつも ノリよくはしゃげる人というのがみつかるかもしれません。 若くして起業していたり 仕事のほかに趣味である程度実績を上げていたり 意識が高い人や なにかこだわりがある人、というのは 年は下でもしっかりしてたりするし ある程度年齢いってても 柔軟でノリの軽い人はいるし とにかく行動範囲を広げたり 生活に変化を付けることかと思います。 あと、気心が知れた友達だから そういう態度をみなさんがとる、ということもないですか? 勤め先ではきちんと大人やってると思うし 旧知の友人なら甘えもあるんじゃないかなと思います。 そして 見下しつつも関わりがあるということは それも含めて何かしらの居心地の良さもあるんじゃないでしょうか。 キャイキャイ楽しくしたい、気持ちはまだおありだと思うので それができる場所や人間関係を探すことです。 踊る阿呆に見る阿呆 同じ阿呆なら踊らにゃ損 なのです。
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- jrot
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20代女性です。 私の場合は、中学時代の同級生に対して、幼いなと感じることがあります。 一緒に遊ぶのですが、「もう大人なんだから、しっかりしてよ」と思うことが多々あり、今ではほぼ遊ばなくなってしまいました。 中学の時はそれでよかったことも、20代後半にもなってくると、「もう中学生じゃないんだから」と思うようになりました。自分の感覚が当時とは変わったのだろうと思います。 質問者様と同じかはわからないですが、どちらかと言えば私も、テンションは周りの同年代の子たちよりも大人しめというか、若いくせにはじけきらず、少しドライなところがあった学生でした。 素直にはしゃいだり、テンションが上がったりする子を見て、うらやましい気持ちも持っていたし、今でもそういう素直にはしゃげるような性格に憧れるような気持ちは持っています。 でも、自分は確実に、「はしゃげる天真爛漫タイプ」ではなく、「飲み会でワイワイとか嫌いな内向的なタイプ」なので、最近は自分の内向的な性格の方を優先するようになりました。それに、同級生の子も、気が合わなくなってきたのだから、無理に会うこともないかと思っています。時間が経てば、歳もとって、いろいろと変わってくるのも当然のことですもんね。自分が身を置く環境も、学校ではないですからね。
お礼
ご回答ありがとうございました。 jrot様とは、気質や感覚に近いものを感じました。 自分の内向的な気質を認めて、友人関係もある程度割り切ることも必要かもしれませんね。 (今回はもう、数年ぶりに会ったのですが、期待はしませんでした。 案の定、、という感じでした。)
- blazin
- ベストアンサー率50% (20252/40150)
今の状態は実に貴方「らしい」んじゃないの? 問題の本質は貴方の方にある。 問題=悪いという意味では無くて。 貴方自身が、 誰に対しても心の角度or距離を付けて、俯瞰で眺めてしまいやすい。 元々そんな自分との付き合い方には苦戦してきた貴方。 そういう自分なんだ、と。 これが私(良くも悪くも私そのもの) 貴方は貴方なりに、 一つの個性としての大人しさ(大人性)を受け入れてきた人。 既にそんな自分として30年以上。 今更何かは変えられないし、変わらない。 という事は、 今からは変えられないけれど、 昔はあった(成り立っていた)、 そこにはまだ、 私が期待している世界も僅かに残っているんじゃないか? 貴方の文末の言葉にもあるように、 本当は貴方も角度を付けずに(感じずに)、 同世代と俯瞰にならずにキャッキャ、キャッキャしたかった。 もう当時のようには振る舞えない。 私自身がもうおばさんだから。 当時の仲間たちも同じように歳を重ねている。 でも・・・ 過去を共有してきた仲間の「間」なら、 まだ当時の感覚でシンプルに楽しめる余地だってあるんじゃないか? 過去には戻れない。 でも、 過去に分かち合えてきた時間や感覚は消えない。 貴方は、 高校時代の同期に対しては、 当時のような、(あまり)角度を付けない感覚を強く望んでいる人。 元々それが成り立つ相手自体が多くない。 多く無くて且つ、 今はもう進行形では見い出せないであろう大切な感覚。 それが、 最近は高校の頃の同期にも見い出し難くなっている。 どんどん薄くなっている。 薄くなっているという事は、 私が「いつもの」感覚で捉え出してしまっているという事。 過去の相手にも、 過去にはそんな角度が要らなかった相手にも、 既に私は「いつもの」自分で切り取り始めている。 それが何だか寂しいんだよ。 そういう目線を出来れば持ち込みたくない、 そんな相手にも持ち込んでしまう私って・・・ それは相手のせいじゃない。 貴方自身が、 自分の中に「少ない」感覚を保持出来なくなっている。 彼女たちはまだまだ若い(楽しそうで、打算が無い)。 それに対して私は、 せめて彼女たちの前では、 私自身もっと無防備になりたいのに・・・ それが「出来ない」のが貴方の不器用さ。 そして、 出来ない事に諦めも付いていない(本当はしたい)。 したいのに、出来ない。 したいのに、したい方向に自分が向かえない。 そんな自分に実はイライラしているんだよ。 相手へのイライラの源流は「自分」だったりする。 貴方はどう思う? 良い悪いは無いよね? 貴方はこれからも貴方だから。 それは変わらない。 貴方はどういう自分を大事にしたいのか? 大人しい自分との付き合いは死ぬまで続く。 でも、 そういう自分「だけ」では成り立っていない。 貴方も実は多面体で、色々な余白もある。 そういう自分にも丁寧に目を向けてあげてこそ、 貴方はより心地良く、 自分自身という「個」と付き合っていける。 大切にしていけると良いよね? 貴方と関わる周りの人たちの為にもね☆
お礼
早速のご回答ありがとうございました。 最初の一文にどきっとしました。 確かにこの悩みは私自身の不器用さから生じており、自身にイライラしている、というのもあるかと思います。 自身で考えているなかでは気づきませんでした。 新しい視点に気づかせて下さってありがとうございました。
お礼
ご回答ありがとうございました。 第三者的なご意見として、とても丁寧な分析をしていただき、私自身なるほど、と感じるところが多々ありました。 「単にその時期一緒にいた、というつながりのものから 生涯の友、まで幅広い可能性がある」、というところに、このような人間関係の変移は皆あるものなんだ、と安心した気持ちがありました。 今現在の自分で本当に楽しくできる人間関係を育みたいものです。