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車イスでの運動会参加について
先日、普通学校に通う子供の運動会がありました。 私の子供は肢体不自由で車イスを使用しています。 徒競走の時、歩行器使い、20mくらい歩いてゴール するのを写真を撮っていたのでしたが、隣の夫婦が 私の子供みてあんなの出すのもどうかと思うって話している のを聞いて怒りを覚えました。頑張っているから静かに 応援しろっていってしまいそうでしたが我慢しました。 妻には傷つけてしまいそうでいえませんでした。 やはり、邪魔だと思う人が多いのでしょうか? 乱文ですみませんが色々な意見お願いいたします。
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質問者が選んだベストアンサー
私は独身ですので親としての経験はありませんが、学校って色々な子どもが通いますよね。反対に、親である大人も色々な人がいます。 例えば運動会でも、質問者様のお子さんの様に肢体不自由でなくとも、足が遅いというだけで不満を漏らす親さえいます。私の小学生の時もリレー大会でしたが、ある子がバトンゾーンを超えてしまいチームごと失格してしまった時があったのですけれど、運動が苦手な上に少し周りを見るのが苦手な子だったんですよね。周りの児童からはやはり苦情があったのですが、後の話で親も不満を言っていたそうです。 これから大人になっていくにつれ仕事などで効率を求められる際などにどうしても肢体不自由ですと、制限がついてしまったり世間の目が厳しくあたることはあると思いますが、子どもにはいくらか寛容でありたいものです。ただ、それをよしとしない大人もまた存在することは確かです。それは健常者(と言われる者)が普通の世界だと思ってしまっているからでしょうし、一般的な学校に通うのはそれが当たり前だという偏見が存在するからでしょうね。 ただ、肢体不自由を抱えていても普通学校に通い、参加しているのは、質問者様たちのような親御さんの思いや学校の配慮・努力があってこそですし、その背景にある理由・事情を周りの大人は考えるべきなのだと思います。確かに全てはわかるわけないですし、学年も違う子の親なら事情も知らない人もいると思います。それでも、想像することはできるんですよね。 反対にその想像から健常者以外を良しと思わないで過ごされる方もいるのでしょう。ここのサイトでの質問にも多々、発達障害を抱えた他の子どもに悩まされているという意見があります。少しでも違うことで自分の子どもに迷惑がかかるという考えを持つ親は多く存在すると思います。それは、もしかしたら先生の方もそういうところがあるかもしれません。 質問者様親子が健常者の世界に合わせなければならない、それで排除されるのは理不尽だともしかしたら思われるかもしれませんが、一方で、健常者と示す者は、反対に合わせることが理不尽だと思っている方も存在するのだと思います。 如何せん、普通学校ですと肢体不自由の子は少数派です。そしてその子を持つ親も少数派です。また、親にならなければわからない所が存在します。理解しようとする者はいれど、理解できる人は少数派なのだと思います。その少数派ということが、言ってしまえば最大の弱点で、質問者様親子を苦しめる最大の弊害になっているのだと思います。 質問者様が訴えかけ先生や周りの父兄にご理解を頂こうとしたこともあるかもしれません。先ずもって、そこからして質問者様親子と周りの父兄との差が出来てしまいますよね。その時点で、一つ、「違うんだ」とレッテルを貼られてしまう。それはおそらく後にもついてまわるものだと思います。 関心を持つ者と、理解に努めようとする者、そして当事者、これくらいしか味方にはなり得ないですよね。ただ、周りの人には質問者様親子からは難しいですが、先生から訴えてもらうことはできます。少数派であるからこそ、その少数と周りの子どもたちは子どもの時点で付き合っていくことが出来るわけです。勿論、お子さんも同様で、少数派であることは厳しい世界ではありますが、その中で生きていくという経験を今まさにしています。 お互いに大人になってからでもわからないかもしれないことを、子どもの時点で経験していること、そこに幾らでも大人になるための考えるヒントが隠されていると思うのです。そしてそれは、他の大人にも同様に考えるきっかけがあると思うのです。 こんなことを書きますとまるで質問者様のお子さんを材料に扱っている様に思われてしまうかもしれませんが、そういうわけではなく、でも、少々他者との違いを感じざるを得ない所があり、また、理解に努めてほしいと願う所があるのだと思います。多くの非難する大人(親)は、いわゆる健常でないこと(違い)をデメリットだと捉えているのだと思います。そういった大人には違いにおける何らかのメリットがあるということを示すことでしか、歩み寄ってもらえないのではないかと思うのです。そのメリットというのが、上記の少数派と付き合うことで得られる考えるヒントということになります。 幾ら訴えようとしたところで、また訴えようとしなくともモヤモヤを抱えたところで、状況は芳しくないかもしれません。そして、質問者様が気にされるのは、上記の様にどうしても自分たちは少数派なのだと思い知らされるところがあるからなのではないかと思います。そこを、他人事になってはしまうのですが、例えば、違う悩みを抱えた者と同じように、味方もいれば敵もいるのだと少しでも割り切れるのならばまた心持は違くなるのかもしれません。 最後になりますが、いくら不満があったり不可解なことがあったとしても、子どもの頑張ることに少しばかりは寛容な大人で自分はいたいものですし、そういう大人に囲まれる環境に質問者様親子が置かれることを願いたいものです。
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- rokometto
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それはそんなこと平気で言う親が頭おかしいだけです。 自分の子どもが事故や病気で障がいをもつかもしれないという可能性を考える力もない平和ボケです。 国際基準では健常者とは言わず「まだ障がいを持ってない人」という言い方をします。 その親がいかに頭悪いかはテニスでも証明できます。 錦織圭が全米オープンで決勝に進み大騒ぎしていましたが、車いすテニスの全米オープンでは日本人ですでに4回優勝してる選手がいます。 世界では錦織圭よりはるかに有名人で大人気で、グランドスラムも達成した偉人です。 映像を見ればせせら笑うような人は対戦すれば一瞬で心を折られるほどハイレベルです。 日本のマスコミはオリンピックが終わるとパラリンピックを無視して偉そうに引き上げてますが、世界で恥をさらしてると私は恥ずかしくて仕方ありません。 さらに日本政府はパラリンピック選手団に1円も支援せず、カンパと自腹で世界大会に出向き、監督やコーチはボランティアという有様です。 私は日本人であることに誇りを持っていますが、これらのことは穴があったら入りたいくらい恥ずかしいです。 邪魔だというなら世界に恥をさらしてる障がいに無関心な日本人たちを同国人として私は邪魔だと思います。 また学校も受け入れているならシッティングバレーや全盲バレーなど障がいスポーツを取り入れ、障がいに対する理解や啓発を進めるべきだと私は思います。 それはお互いにとってメリットのあることで、情緒教育や生活指導にも良い影響を与えられるでしょう。
お礼
ご回答ありがとうございます。まだまだ偏見があることを考えされられました。ありがとうございました。
- ryo_ Deathscythe(@Deathscythe)
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狩猟思考で原人的回路なのでしょう。 現在では足が不自由でも社会で活躍できる場はいくらでもあります。 5体満足じゃなきゃ邪魔・不要・役に立たないと思うのは大昔の話です。 進化について来れなかった哀れな原人二匹ですので、生暖かい目で見てやってください。
お礼
ご回答ありがとうございます。 聞いた時は一生懸命にやっているのに失礼だと思いましたがこちらに相談して 心がすこし安らぎました。ありがとうございます。
お礼
真剣な回答ありがとうございました。すごくためになりました。 そういう親もいるって考えされられました。短いお礼ですが、ありがとうございました。