何時からそうなったのかはよく分かりません。
江戸時代から使われていたサインではないかと思われます。。
江戸時代の貨幣の形はいろいろありました。
小判は文字とおり小判型で、分、朱などという貨幣は四角でした。
大阪では丁銀と呼ばれる細長い固まりか、小粒とよばれるパチンコ玉より小さい固まりが使われていました。
これに対して全国一律に使われていた銭(一文銭、4文銭)は円形でした。
庶民は日常的には銭を使っていました。
小判には縁のない、長屋の熊さんや八つぁんが、金を持っているか?というサインに使っていたのではないのかと思います。
カネあるか?、と直接表現するよりも、指で丸をつくって、これあるか?ということをやっていたのではないのでしょうか。
大仏さまはあまり関係がないと思います。
歌丸さんのサインは、司会をして話しているときには手を軽く握ったような形にしています。
この状態から親指と人差し指を残して、残りを立てるほうがやり易いです。
親指と小指をくっつけて残りの指を立てるのは、なれないと以外に面倒です
人によっては小指と薬指を曲げる人もいますが、手の平を前に向けてやるのは慣れないと難しです。
ただ、この指のサインの形は地方によって習慣が違います。
チョキも人差し指一本だけというところもあります。
歌丸さんは横浜出身ですので、横浜の習慣かもしれません。
蛇足
有名な話として、新しい貨幣の単位名称を決める会議で時の「大蔵省会計官掛」という立場にあった大隈重信が指を円形に丸め、「こうすれば誰でもお金とわかるではないか」と言って円になったという話があります。
この話の真偽はべつとして「指で円形を作れば誰でもお金とわかる」という部分です。
明治にはじめには既にそういうサインがあったということになります。
お礼
回答頂いた皆様ありがとうございました。 現時点で明確な回答を得られないようなので一端締め切り、 後日出直したいと思います。