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ショパンの手紙について。
私はクラシック音楽には詳しくはありませんが、いろいろ検索していて、ちょっと気になる事が。 ショパンの手紙にこんなものがあるようです。 シューマンと言う作曲家が、自分の曲を面白く解釈したことを友人に知らせる手紙なのですが、 「このドイツ人(シューマン)の想像には本当に死ぬほど笑った。」 と書いています。 この手紙から、ショパンはシューマンを尊敬していなかったと言われているそうですが、 実際によく読むと、バカにして笑っているのか、面白くて笑っているのかどちらなのか分りません。 「面白くて笑っている」とも解釈出来るのに、多くの人はなぜか「バカにして笑っている」と勝手に解釈しているようです。 大体本当にバカにしているのなら、ここまで詳しく書かないと思います。 私は、ショパンは元々ユーモアが大好きな方そうなので、シューマンの表現に大受けして笑ったんだと思っています。 それを平然と「バカにして笑っている」と解釈するになんて、おかしいと思います。 一体何故こんなことになったのでしょうか?
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- BASKETMM
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回答になっていないかも知れませんが。 ご存じのように、ショパンはポーランドがロシア、オーストリー、プロイセンに分割されたために故郷を離れました。 ショパンはこれら三国をどう思っていたのでしょう。ショパンはドイツの作曲家を敵国の人として見ていたのでしょうか。音楽の先輩として尊敬していたのでしょうか。 ショパンの心情を解釈するには、この様なことも考慮に入れなくてはならないと愚考いたします。 私自身、ショパンの手紙があまりに多いので、しっかり読んだことはありません。従って、ここに口を出す資格はないのですが。
- SPS700
- ベストアンサー率46% (15297/33016)
ド素人の走り書きですが、事の起こり、シューマンが書いた二文、「お手をどうぞ」変奏曲の批評、とマズルカの印象、がもととされるショパンの手紙の内容には、証拠の無い、作り話の好きな人物が下記等を見ると介在しているようです。 http://culture.pl/en/article/unrequited-love-chopin-and-schumann 確かに二人の間に温度差はあったようですが、日本語訳の「笑う」だけを基礎にしては、即断できない点も多く、#1さんのおっしゃる通り慎重にお進みになり、新たな笑いを誘発なさらないことです。
- Tann3
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ショパンは、確かに「面白くて笑った」のだと思いますが、それはシューマンの解釈が「面白かった」からではなく、あまりにも的外れで、あり得ないと思ったからです。「信じられない人がいる!」ということですから、ほとんど「バカにして笑っている」ということで間違いないと思います。 あまり詳しく書くスペースがないので、もし可能であれば、下記の本を読んでみてください。現在は絶版のようですが…。 石井宏 著 「反音楽史 ~ さよならベートーヴェン」(新潮文庫) http://www.amazon.co.jp/%E5%8F%8D%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E5%8F%B2%E2%80%95%E3%81%95%E3%82%89%E3%81%B0%E3%80%81%E3%83%99%E3%83%BC%E3%83%88%E3%83%BC%E3%83%B4%E3%82%A7%E3%83%B3-%E6%96%B0%E6%BD%AE%E6%96%87%E5%BA%AB-%E7%9F%B3%E4%BA%95-%E5%AE%8F/dp/4101332916/ref=sr_1_1?s=books&ie=UTF8&qid=1408460230&sr=1-1&keywords=%E5%8F%8D%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E5%8F%B2 ちょっとエキセントリックなタイトルですが、学校で教わる「ドイツ主体の音楽史」(バッハ~ハイドン~モーツァルト~ベートーヴェン~シューマン~~ワーグナー~ブラームス~マーラー~シェーンベルクなどの「高尚な」音楽)が決して音楽の本流ではなく、イタリアのオペラや、フランスの音楽など、大衆に受ける「楽しい」音楽(今日でいえばJ-POPのような流行音楽)がむしろ主流であった、という内容の本です。 この本に、まさにシューマンの評論と、それを読んだショパンの話が出てきます。 シューマンは、ベートーヴェンを始祖とする「ドイツ・ロマン派音楽」こそ最高とする立場で、音楽を文学的、哲学的、美学的に解釈して評論する立場でした。 ショパンは、ポーランド生まれですが、音楽家としてはほとんどパリで活躍しました。音楽としては、音楽そものもの美しさ、音楽の絶対的な価値を重視するタイプでした。当時のパリの音楽界、サロンがそういう環境だったのでしょう。 その「軽やかで、美しく、華麗な音楽」そのものを重視するパリの価値観と、音楽の裏に潜む「文学的、哲学的、美学的なロマン性」(音楽そのものではなく、音楽を通してその向こうに存在するもの)を重視するドイツ・ロマン派の価値観の違い、ということのようです。 この当時(19世紀前半)は、パリから見ればドイツは音楽においても後進国で、「ドイツ・ロマン派的解釈」は滑稽で「あり得ない!」というものに映ったのだと思います。 対象となったのは、ショパン作曲の「モーツァルト作曲「ドン・ジョヴァンニ」の『お手をどうぞ』による変奏曲」作品2です。 シューマンは、この曲に対して「諸君、脱帽したまえ、天才だ」とショパンを激賞し、ドン・ジョヴァンニのストーリーや場面に合わせ、それぞれの「変奏曲」を文学的、空想的に解釈・評価した評論記事を書き、それを自信を持ってショパン本人にも送ったようです。 ショパンは、自分の作品を、自分の意図に反して勝手に解釈されたことに驚き、友人に「長い前口上に続いて、この人は曲を1小節ごとに分析するのだが、ぼくの作品がただの変奏曲とは違って、幻想的な描写(タブロー)になっているというのだ。・・・この人の想像力は面白いが・・・」と語り、シューマンがパリの音楽雑誌にこの記事を載せようとしているのを、何とか止めさせたようです。 内容としては、そんなもののようです。 正確には、本などもっと詳しい情報を入手して判断してください。