「捏造」とパクリは違うような気がしますが。
パクリは「模倣」ですよね。
「捏造」は『でっちあげ』ってことだと思います。
作曲屋さんは「捏造」にも近いですが、正しくは「詐欺」ですね。
細胞屋さんの「捏造」は、仮定的推論を裏付けるだけの確証が乏しかったのでしょう。細胞屋さんの「捏造」自体は褒められることではないですが、かの細胞屋さんが目指したかったことは、「捏造」で批判している場合ではなく、今後、多くの細胞屋さんによって研究され確証を得られるようにするべきものだと思います。
ただ、日本語の「漢字」も古くは、半島や大陸などの某国から経由されてもたらされてきたものですし、日本のポップミュージックだって欧米の「パクリ」でもあるし、現在の某国などの「パクリ」を非難できるほど、日本の「オリジナル」たるものも歴史的には多くありません。
文化的なレベルでは、オリジナルを探したり「パクリ」を非難するより、これら相互が影響・干渉しあっているのだと解釈した方が懸命かと思います。
批判するとしたら、模倣がただの「パクリ」であることです。
その国などのオリジナルに変わっていくものとして模倣から「昇華」へと転じていたのなら良いかもしれませんが、そのままそのものをオリジナルとなっているのなら、「パクリ」と批判することもできるかもしれません。
「捏造」については、歴史的なことなどで、全く根拠のない「過去の事実」を某国などにでっちあげられるのは困りますし十分に批判の対象とできますが、既にあった過去の事実の解釈までは、立場が変われば見方も変わるので、批判しにくい部分もあります。
こうした解釈の違いにより、仮定的推論として導き出されるいくつかの「未来」が、現在において議論の対象とされるのは構わないでしょう。
ただ、可能な限り回避しなければならない「未来」もあるかと思いますが。
そう、たとえば、某国のいずれかと日本が戦争になっちゃう、とか。
これは確証のない、いくつかの材料から推論だけで僕が描く「未来」の選択肢のひとつです。
某国への反感なり、某国などからの反日感情なり、多いに盛り上がるのは構わないのですが、避けたい「未来」はできるだけ遠ざけるようにしたいですね。
お礼
ありがとうございました。 隣人と隣国には恵まれたいものです。