「排泄物の話題」がいけない訳ではないと思いますが、あなたがそれについて話す、時と場が適切でないのか?
排泄物をネタに人前で話すこと、つまり人が嫌がるだろうと知りながら故意にその話したいという欲求があるということでしょうか?
何れにせよ、あなたが興味を楚々られる事柄(現実性)が他と噛み合っていないのですから、あなたも、周りも楽しくはないはずです。
人各々、様々な興味は異なりますが、その人、またはグループや仲間、引いては国民性といった共有し合える現実性というものがあります。
意識の高いグループでは、社会的な話題や建設的な意見を話題にすることが多いでしょう。社会問題を如何に改善していくかなどです。
また、保守的な人々は日常習慣や決まった事柄を好んで現状を話したがる傾向があります。
逆に反社会性を帯びた人々は、破壊について、また人々を貶めることについて好んで話したがるでしょう。上司の悪口や居ない者の陰口や陰謀などです。
また更に精神が悪化すると人は、絶望や悲惨を話題にする傾向を帯びてきます。始終悲しみや同情的な事柄を好み、涙を流したりします。
先の破壊的な話題をする人々、例えばヤクザ連中などがこれに当てはまりますが、その下の悲しみや不安な人々との間に、一つの傾向があります。
つまり、怒るでもなし、悲しむでもなし、その間には非常に恐れと憤りを抱きながらも表面的に社会的な存在を装っているグループです。マスコミや週刊誌の執筆者にこの傾向を強く持つ人らがいます。その連中が好んで話題にしたがるのは、人々に動揺や刺激などを与えるような歪められた現実性だということです。
SEXや不倫などの性的に倒錯した話題から犯罪、詐欺、といった謂わば混沌としたゴシップを好む傾向があるのです。彼らが意図しているのはセンセーションであり、周囲や社会を動揺させることです。そして、その反動を見て満足するといった人々です。
あなたは、周囲と同じ現実性を共有することで人との関係を発展させるというよりも、人々が嫌がるであろう事を話題にし注目を作り出しているのではないかと、一つ考えます。協調性が低く、人間関係を構築することが苦手なのかもしれません。あなたのようにスカトロな話題を好む人もあれば、性的な話題、死体、自殺、など些か刺激を含むことがらに固着している人も時折みます。
あなたの中のストレスとなっているものは何でしょうか?その抑圧や喪失感など過去における挫折などの記憶に留まるストレスに対処することで、そのような固着から解放させることは可能です。
一方例外として、成長過程に於いて小さい子供さんが、男女の違いや日常のタブーなどに敏感に反応する時期があります。その子はやたらと「チ○コ」だとか「ウンコ」だとかを発音し、いわゆる淫語を発することを遊びのように楽しむことがあります。大人は、それを強く否定し、言わないことを強制したりすると、返って子供の心の中に固着した注意として残される場合があります。すると大人になってから、このような話題に過敏に反応するようになったり、逆に昔の子供の感覚が蘇りやたらと淫語を連呼しないまでも、話題にしたがる衝動に捉われたりすることもあるでしょう。やはりこれも、抑制された言葉に対するストレスを解放させて上げることで矯正されます。
効果的なカウンセリングの一つに、ダイアネティックス療法というものがあります。興味や必要を感じられたら、一度受けてみられると良いと思います。根の深いトラウマなど容易に解決できるでしょう。