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みのもんた、謝罪会見、番組降板、息子の刑事事件…?

みのもんた、謝罪会見、番組降板、30歳を過ぎた息子の刑事事件、30歳であればオッサンの域、その親父みのもんた、65歳超えのジジイの域、これって、マトモではないような、感じがしましたので、質問させていただきました。 30歳の長男の不祥事=傷害刑事事件に対して、65歳の父親が、自ら職を失して、深々と長々と頭を下げて、謝罪する、これこの風景、異様な異常な感触を覚えましたのですが、これって、やっぱり、当然すべきことをしただけ、父親みのもんたは、ということになるのでしょうか? そこまで、そんなこと、する必要など全く無いのでは、思ったのですが、普通の人の直感としては。 では、例えば、20年後に全く同一同様の事件が発生して、傷害事件犯の息子は日本テレビの役職者の50歳、その父親はTV界の重鎮の85歳、で、やっぱり、85歳の親父は、50歳の息子の事で、深々と長々と頭を垂れて、謝罪し、自らの職域・立場を、無にする、ということをしなければならない、というのでしょうか? いやぁ、こりぁ、もうオカルト的な異様さ異常さ、で気持ち悪い気分になってしまいましたので、よーく教えてくださいますか、お願いします。

みんなの回答

  • rokutaro36
  • ベストアンサー率55% (5458/9820)
回答No.3

人にはそれぞれ価値観があります。 でも、人に価値を付けるのは、本人の価値観ではなく、 周囲の価値観です。 日本では、「家」というのは、とても大きな「価値」なのです。 家とは、家系、家族、親族という意味です。 多くの人の価値観は、家によって左右されるのです。 例えば、江戸時代の武士は、「お家断絶」というのが 最も厳しい罰の一つでした。 明治以降も、いわゆる皇族、華族という「族」が 重要な価値観を形作っていたのです。 だから、事件が起きると、被害者の家族だけでなく、 加害者の家族にも記者が群がるのですよ。 「家」という考え方がなければ、加害者の親が誰であろうと 関係ないはずです。 親は子供を育てるのが当たり前、 親が老いたら、子供がその面倒を見るのが当たり前、 そういう社会に住んでいるのです。 一方、米国には、いわゆる「王族」「貴族」という歴史が存在しません。 そもそも、親を母国(欧州)において、新大陸を開拓しに来た という歴史を持っているのです。 あの時代ですから、親と縁を切ると言って良いぐらい 大変な決心が必要だったでしょう。 なので、個人主義的な考え方が強いのです。 親が子供の面倒を見るのは、高校までで、大学は自分の力で 進学する……という考え方も強く、だから、みんな色々な奨学金を 貰って進学するのです。 一方の親も、老いたら子供の世話になると言うことをせずに、 自分たちが建てた家を子供に売るというようなことをして、 老後の生活資金を得たりします。 良い、悪い、という問題ではなく、 日本人は、親と子供は一つの共同体、 そういう価値観を持った民族なのです。

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  • hideka0404
  • ベストアンサー率16% (819/5105)
回答No.2

え? 自身の番組内のセクハラ行為での降板でしょう? セクハラ認めたくないだけの言い訳会見であって、謝罪ではないと思われます。

hikokurow
質問者

お礼

えっ!そうなんですか?そんなような会見内容ではなかった気がしますけど…、ありがとうございます。

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  • trajaa
  • ベストアンサー率22% (2662/11921)
回答No.1

本人の気持ちの問題でないのかな? 世の中の問題とかを問う事で成り立っている立場なのに、自分が問われる側の関係者になってしまえば 実際にはそうではなくとも、世間は色眼鏡で見る それでも構わんと居残ることも可能 外部から辞めさせることは出来ない ソレで良しとするか 自分の心情としてソレを許さないのか?その違いでないの 質問の事例で上げられている『日本テレビの役職者の50歳』となれば、社会的な責任は単なる一社員とは格段に違う 周辺が考慮しなければならない社会的な影響は、今回の状況より厳しい

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