申し訳ないですが、誤解されているので、私の名誉のために、再度コメントさせてください。
>バレなければいい、という考えで、約束を破ることに罪悪感がない、ということですね。
そうではない。全然違います。
私は、「バレなければいい」という考えで罪悪感がないのではありませんよ。
ばれたら罰則をうければいい、ということで罪悪感がない、ということです。
(ばれなければラッキー、とは思いますが、それは別の話。)
罪悪感はないけけれど、ばれたら罰則がありますから、不安感はありますよ。
ばれたら、離婚されるかもしれない。
ばれたら、家庭崩壊になって今まで築いてきたものを失うかもしれない。
ばれたら、慰謝料で無一文になるかもしれない。
ばれたら、嫁や子供を傷つけるから、自分が責任を感じて、辛い思いをするかもしれない。
子供を自分の責任で不幸にするから、自分を責めて辛い思いをするかもしれない。
そういう不安感と常に隣りあわせです。ですが、私の場合は、罪悪感とは違います。
また、そういう不安感(人によっては罪悪感でもいいが)は、スリルと表裏一体でもありますので、浮気はやめられない、と言う人もいるでしょう。
>人を殺してはいけない、という社会の約束、破ってはいけないのと同じかなと。
人殺しはね、私の中でも、さすがに例外的な特殊なことで、やってはいけないことですね。
取り返しがつかないですからね。自殺もだめです。その2つは例外。
ただ、「人殺し」の部分を、「盗み」とか、「傷害」にかえさせていただけるならば。
私の意見とあなたの意見は違います。
私は、無条件に悪いこととか、やってはいけないこと、はないのです。
盗みや傷害も、わるいこと、とあたまから決めつけることはしない。
(わるいことでないから、どんどんやれ、って言っているわけでもないですし、
自分がやられてもいいと言っているわけでもないですよ。誤解なきように。)
>人を殺してはいけない、という社会の約束、破ってはいけないのと同じかなと。
人殺しを盗み、傷害に言い換えますよ。そうだとして。
私の考え→「盗み」(「傷害」)をしてはいけない、という社会の約束はあるが、破ってはいけないとは思いません。破って発覚すれば、さまざまな罰を受けるから、やる場合は慎重に。
本当に、やったほうが得だとか、やらないとどうにもならない場合以外はやらないほうがよい。
>人を殺したことがバレなければいい、なんていうのは違うように思います。
ここは、そもそも誤解ですね。ばれなければいいとは思ってないです。
私の考え→「盗み」(「傷害」)をしたことがバレれば、罰をうけることになる。
でも、罰をうければ、それですむ。盗みをするメリットと、罰を受ける可能性。この比較で、やるかやらないか。
ただし、この罰というのは、法律上の罰だけではないですよ。犯罪者のレッテルをはられれば、社会的制裁をうけるかもしれないし、信用も失う。誰かの心を傷つければ自責の念で自分がつらくなる。
そういうこと全部が罰ですよ。
>人を殺してはいけない、という約束を、社会の人々は守らなければならない。
人を殺すは、盗みに言い換えますが。
私の考え→「盗み」(「傷害」)をしてはいけない、という約束を、社会の人々は守る守らないは自由だが、破ったことが発覚すれば、罰は免れない。
私は、そのように考えますよ。あなたとは考え方が違います。
あなたの考えを否定するわけではありません。私は私、あなたはあなたです。
それとは別に、私の考えを誤解して理解してほしくはないですが。
>浮気と人殺し、同等に見ては困ると言われるかもしれませんが、
人殺しは例外といいましたが、極論すれが、仮に発覚したとき罰を受ける覚悟があるなら、それもありかもしれないですね。
繰り返しますが、発覚した罰というのは、法律上だけじゃないですよ。自責の念というのも罰のひとつです。後悔で苦しむというのも罰です。そういうすべてを含めて、自分の被るデメリットを罰を私は考えます。なので、極論すれば、発覚しなくても、罰は受けますよ。自責の念なんて、発覚しなくても受ける罰のひとつです。
なので、私自身は、人殺しはもちろん、盗みや傷害も、実際にはしないですよ。受ける罰に対して、割に合わない行為だから。
たとえ発覚しなくても、自分がつらくなりますから。
>浮気・不倫をされた側は、殺されたも同然の気持ちになります。人殺しと変わりないと思うのです。
ここはあなたに100%同意しますよ。
浮気・不倫をされた側全員が全員そうでないにしても、そういう気持ちになる人がいることは否定しません。発覚すればそうなりますよね。
といったとき。
自分が浮気をする側のことをどう考えるか。もちろん、発覚した場合の話ですよ。
相手は、私が浮気をすることは、私から、殺されかけたと同じくらい傷つくわけです。
そういった場合、あなたの考え方は、「相手のことを深く傷つけるから、浮気は悪いことだ」と考えるわけですよね。だからやってはいけないと。
私は、そうは考えない。
相手の痛みというのは、あくまで相手が感じるものであって、私が感じるものでじゃないですよね。
私は、こう考える。
「相手のことを殺されかけたと思うくらいに自分は傷つける。自分が原因で相手を傷つけると思うと、自分は、つらくてつらくてがまんできない。」
相手の気持ちではなく、自分のつらさがどうか、というふうに考える。
そして、
もしも私が、「万一発覚したとき、相手の気持ちをそこまで傷つけることは、自分には耐えられない」と思うなら、浮気は自分はできない。浮気はしない。と私は判断します。浮気しません。
また、もしも私が、「万一発覚したとき、相手の気持ちをそこまで傷つけたとしても、自分は我慢できる。それよりも浮気したい。」と思うなら、浮気をします。
つまり、「(発覚したときに)相手を傷つけたと思うことが自分にとってどのくらいつらいか」と「浮気をする楽しさ」のどちらが大きいか。
それでするしないを判断します。
そうでなければ、「絶対にばれないようにやります」。これは、「ばれなければいい」とは違います。
ばれたら大変なので、ばれないようにする、ということです。
誤解しないでね。
私が相手のことを傷つけても平気な人間だ、とは思わないでください。
ただ私は、相手(他人)の本当の痛みというのは自分にはわからない。
わかるのは、相手を傷つけただろうという想像にたいして自分が抱く痛みだ。
そう考えているんですよ。
同じことなのかもしれないけれど、見方が違います。
話が大きくそれましたけれど。
私は、「相手を傷つけて相手に悪いから浮気は悪いこと」という考え方はしない。
「相手を傷つけることで、自分がどのくらいつらいかどうか」で実行するかどうかを考える。
この、「相手を傷つけて相手に悪い」というのと、「相手を傷つけることで自分がつらい」というのは、ある意味同じ話だけれど、私は、「相手に悪い」というわけのわからん考え方はしないのですよ。
お礼
dremp様のお考えはわかりました。 dremp様の考えを私は否定しているわけではありませんよ。 私とdremp様の考え方が違う、というのもわかっています。 なるほどそういう考えもあるのだ、と納得しています。 不快な思いをさせてしまったのでしたら、それこそ誤解です。 そんなつもりはありませんでしたので、もし不快な思いをされたのでしたら申し訳ありませんでした。 また詳しく書いていただいたことで、dremp様がどう考えていらっしゃるかもよりわかりました。 何度もコメント頂き、ありがとうございました。