命の尊さを学ばせるために、粗末に扱われる命について
私の世間話で、「昔 自分の子どもが飼っている亀がいたのだけど、子どもがほったらかしにして亀を死なせてしまった。今思えば私が代わりに育ててやればよかった。」
というたわいも無い会話が出ました。普通なら、「亀かわいそうね」で終わる会話でしょう。
しかし、私は深く考えてしまい、「亀の尊い命が犠牲になった事は心を痛めるが、子どもの命の教育としては必ずしも悪では無い気がする。逆に子どもがほったらかしにしているから、それを見かねて親が勝手に亀を育てたら、子どもの教育には良いのだろうか?」と思いました。
そこで二点お聞きしたい事があります。
質問一
飼っていた亀を死なせる事で、子どもは悲しみます。そして、飼育を放棄した罪を自覚します。
その自覚は命の教育になると思いますが、もし死なせてしまうのを親が回避し、「死の遭遇」を回避する行為は良いか悪いか?
質問ニ
命の尊さを学ばせるには、適度な命の犠牲を必要とする気がしますが、どう思いますか。
*あくまでも適度です。
ト殺現場を見慣れてしまえば豚の命など誰も尊いとは思いません。食べられるために死ぬのは当然、生産動物なのだからと思うでしょう。二度言いますがあくまでも、適度な命の犠牲の事です。
興味のある質問だけでよいので、よろしくお願い致します。
お礼
回答どうもありがとうございました。 お孫さんだったんですね。 看護師さんだと思って一生懸命探してました。