むしろ「なぜ男の子同士では手をつながないのか?」と逆の問いを立ててみると、わかりやすいかもしれません。
イヴ・セジウィックなどのフェミニスト研究者の見解によると、男性の場合は「ホモソーシャル(ホモ「セクシュアル」ではないことに注意)」な結合、つまり男同士の友情というものが成り立つ基盤は「ミソジニー(女性を軽蔑すること)」と「ホモフォビア(同性愛を嫌悪すること)」なのだそうです。
分かりやすい例を挙げると、男同士で下ネタを言って盛り上がるのがそれです。下ネタには女の人が入っていけないので、どうしても「男の会話」になる。でもその中で「俺、女には興味ないから下ネタにも興味ないよ」なんて言いにくいわけです。そういう人は場をしらけさせる男=仲間意識を持てない男として「お前ホモじゃねえの?」と責められるわけです。
セジウィックらは、特に西洋の近代的家父長制を維持するために、そういう男同士の連帯の仕方が生まれたのだ、と説明しています。「女房を従えた男たち」の利害の絆(ここには「異性愛主義」と同時に「女性への軽蔑」がある)を守るには、女を男に従わせる必要があるし、女を支配することに関心を持たないことは裏切りである。というわけです。
oyomesanjiさんの問いに戻れば、女性はそうした利害を持たないから、男性とは違って同性を過剰に嫌悪しない。ゆえに身体的にある程度親密になる(手をつないだり)こともOKになるというわけです。
というのは、最近のフェミニズムのある一派における議論です。一応、最近の研究ではそういう説明のしかたもある、ということでご紹介しました。これが絶対に妥当な説明である、とは思いませんが、参考までに。
ちなみに#1の方は「外国では…」と述べておられます。が、それは今日のアメリカなどではそうかもしれませんが、韓国などのアジア諸国ではまた違うようですよ。また、アメリカやヨーロッパ諸国でも19世紀までは男同士の親しい身体接触はそんなに嫌悪されていません(ソドミーは別ですが)。
同性同士が体を触れ合うことが「同性愛(=「気持ち悪いこと」)的」とされるのは、実はすごく限定された時代・場所・集団においてなのです。20世紀の欧米の中産階級から始まった、比較的新しい文化なのです。我々の持っている価値観が実は人類普遍でもヒトの本質でもなんでもないというのは、歴史学や人類学をひもとくと結構出てくることです。