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伊勢白山道の神様への敬い方に疑問。
伊勢白山道は、神様に祈祷をあげると、 その代わりに、そこの神様の魂のと引き替えに生かされる などとおっしゃっていますが 神様という自分を生かしていただいているものに先に感謝をせずに 魂を引き替えにというのは、 神と人との立場を逆さにとらえている、 又は 私達を生かして頂いている、神様でなく、 まだ神様の力が必要で、人間の力も吸い取る 低級霊のことをいっている様に思えます。 三本供養をすると、「私でも、心が辛くなり、苦しくなることが あるのですが、これが先祖にまつわる諸々の物も供養するのです」 といっていたり、それは単に憑依されているだけじゃんと思うことや 神様への敬い方、お祓いの知識、力など 幼い人にみえます、 すごくこの人に疑問を持ちます。 神様への行などされている方、もし先生など、おられましたら、 ご意見が聞きたいです。
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- hideka0404
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回答No.1
修行者であるならこの言葉は大切です。 釈迦が死の前に弟子に伝えた言葉です。 「他を拠り所とせず自らを拠り所とし、法を拠り所とするならば、その人は立派な修行者と言えるだろう」 これを「自灯明・法灯明」と言います。 どんな人の言葉であっても、すべてを鵜呑みにしてはならない。あなたがどんなに尊敬する人の言葉でさえ。 受け入れる言葉、受け入れない言葉は、私たち自身が決めてよいのです。 私たちが暗闇を歩く時、私たち自身が自らの光になろうとしなければなりません。なんのガイドも、地図も、仲間も究極的には必要のないものです。