そんな専門学校ができる前からローディってものは存在しています。
専門学校に行かなきゃなれないってものではないのは明らかです。
ローディって言ってしまうと判ったようなつもりになってしまいますが、その仕事の内容が厳密に定義されているわけではありません。
例えば、テレビの製作現場のADの仕事って、やったことないから実態は不明だけれど、どうやら何でもありの雑用係のようです。
おそらくローディというもの同様でしょう。
雑用係なら、代わりはいくらでもいる、と思われるでしょうから、収入は知れたものでしょう。
歳をとったら、もっと安い給料で働く若いのが沢山いる、ってことになります。
本来、そういう仕事は何か別のものを目指すための中間地点であり、ゴールではありません。
専門学校に行くとしたら、そのゴールのための勉強をすべきであって、中間地点のためではないでしょう。
もっとも、たかが2年ほどの勉強がどれほどのものかとは思います。
大学生の就職活動が3年生から始まるということは、採用側は4年生になってからのゼミとか卒論とかほとんど評価する気がないってことですよね。
仕事によっては、高卒とか、中卒とかで現場で教育されたほうがいいものもありますね。
早々に道をきめてしまうという、そういう生き方もありますね。
でも、進路が見極められていないのなら、先の選択肢が多くなるような道を選ぶべきです。
例えばミュージシャンといわれている人たちでも、経歴は○○大学経済学部と言うほうが多いでしょう。
大学で軽音楽などのサークルに入ると、アンプなどの機材のセッティングは自分達でするわけですから、ローディ的な作業の経験はできます。
あるいはバイトでローディができるかもしれません。
卒業するまでには、別の適性を見つけられるかもしれませんし、流れのままに、適当に就職できてしまうかもしれません。
今はなんとなくローディという言葉をみつけて、それにしがみつこうとしているだけのように思えます。
専門学校というのも時間稼ぎのモラトリアムにしかならないように思います。
勿論、大学っていうのも、、ある意味ではモラトリアムです。
ですが2年後、3年後の自分にとって、それが、そこから先数年の自分の進路を考えたときに、どれだけ強固な礎となるかを考えましょう。
そのモラトリアム期間でどれだけ自分の可能性を広げるかということが大事であると思います。
それで人生のすべてが決まるわけではないけれども、次につながるのです。
有名大学を卒業してきた奴でも、漫然と過ごしてきたのは、全然使い物にならないんですよ。
そういうのは、次につながらない、人生も先が見えてしまっています。
お礼
ありがとうございます。ごもっともだと思います。 まだまだ長い人生…いろんな経験をしてみます。 できる限り、自分の力で