お早うございます。
私の場合ですが、関わり合いのある人の、99%が、なんでもない人、です。
残る1%の中に好き、嫌い、が入ります。
好きか、嫌いか、そうではない人、の3つに分けてます。
ご質問の「好きでない人」は嫌いではなく、好きでもないので、
「何でもない人」に分類してますので、答えにならない可能性は大きいですが。
人間関係とは、どうしても持つ事になります、いわば「人生の課題」なのだと思います。
そして、いつの時代にも人間は、人間関係については、同じような知恵しかもっていない
のでは?とさえ思えるのです。
コミュニュケーションに関しての質問ですね?
人間は記号によってうごき、人間と人間は記号を用いて互いに共感しあうことができる。
この共感の過程がコミュニケーションだと言えませんか?。(勝手に思って…)
共感がつみかさねられてゆけばゆくほど、人間関係は深くなってゆく。(はずです)
人間関係はコミュニケーションの累積だと言ってさしつかえないのであり、
お互いに記号を交換しあうことなしに成立する人間関係というのは、ほとんど想定できない。
何度も往復する手紙・メール、繰り返されるデート、おしゃべり、会議など、友人関係・恋愛関係であれ、
師弟関係であれ、取引関係であれ、およそ人間関係というのは記号、言葉の交換を通じて成立しており、
「ことばをかける」ということは人間関係の基本的な条件である、イヤ義務かも?。
非言語コミュニケーション(NVC)
人間はコミュニケーションを行う時、言葉を使い互いの感情や意思を伝えあってもいるが、「目は口ほどにものをいう」といった諺にも示されているように、言葉よりも、顔の表情、視線、身振りなどが、より重要な役割をになっていることがある事は実感されていますよね。
日常的に人間は複数の非言語的手がかりを使いメッセージを伝達しあっているのです。
これを非言語的コミュニケーション(nonverbal communication: NVC)という。(これ!借り物です)
この非言語的なコミュニケーションは、意識して用いていることもあれば、無意識的に用いていることもありますよね。
顔の表情、顔色、視線、身振り、手振り、体の姿勢、相手との物理的な距離の置き方などによって、人間は非言語的コミュニケーションを行っている。と誰も知っていますから、やばい時には隠せますよね!
でもね、コミュニケーションの難しさを思い知らせられ、つい態度に出てしまった!ナンてことは多い。
人間は、いくらことばをたくさん使っても、理解しあうことが難しいですよね。
対話は、人間の内部で起きているからである。
ひとりの人間の内部には"もうひとりの自分"がいる。それは別の表現でいえば、"とりこまれた他人"ということでもある。
ふたりの人間のあいだで進行しているようにみえるコミュニケーションは、実は、ひとりの人間の内部でのコミュニケーションでもある。ある学者は、この人間内部のコミュニケーションを「個体内コミュニケーション Intrapersonal communication」と呼んで、「対人的コミュニケーション Interpersonal communication」と区別した。
個体内コミュニケーションがうまくいっていない例をひとつ挙げると、ワンマン的な社会関係、社会学者が言うところの「権威主義」的な社会では、ワンマンは"もうひとりの自分"を持っていないので「理解」能力のない人と呼ばれる。
多数の人は、"もうひとりの自分"におしひしがれてしまっている。
わからずやの方には、なんらかの自己満足があるものの、ハイハイと言っている側の人間には何の喜びもない。
共通項を探す
まったく見知らぬ人間同士が、初対面の気づまりの乗り越えで、打ちとけてゆくプロセスでは、お互いの共通項をさがし出そうとする努力が見られる。
現代では、人間の人生経験は、ひどく多様である。家庭環境が違い、学校が違い、職業が違う。
職業などは、かつて職業の分化が比較的単純な時代では、たいていの職業は常識的に理解できた。
「大工です」と聞けば、家をつくる人だと見当がついた。
しかし現代では、名刺の肩書きを読んでも、さてこの人は何をしているのか、その分野の人間でないとまったくわかりかねる職業が多数出現している。
総理府の職業分類表にはすでに数千の職業がある。
このようにして人間は、互いの接点がどこにあるのかさっぱり見当がつかなくなり、戸惑う状況になった。
そのどうしていいかわからない状態が、いわゆる「社交」術を発展させた。
ひとつの古典とも見なされるデイル・カーネギーの書『友を得、ひとに影響をあたえる方法』には「相手の趣味や嗜好を知れ」という項がある。
ひとと会うときには、あらかじめ相手が関心を持ちそうな話題をさがしておき、その話題をきっかけに人間関係をつくれ、というものである。
カーネギーの本のあとを継ぐように、多くの社交術の本が、アメリカでもヨーロッパでも日本でも出版された。
現代の都市中産階級、サラリーマン社会などでは、「話題のゆたかさ」に、あこがれる人が多い。
この「話題がゆたか」ということはどういうことかと言うと、それは、たいていのことを共通の話題にする能力をもっている、ということである。
相手が釣りの趣味を持っていると判れば、釣りを共通項にする。サッカーなら、即サッカーで話をあわせられ、映画、絵画、演劇、、、と何でも合わせられること。
それは家族が、血縁から社縁へと大きく転換したことを明確にしめしてくれている。
「常識」に関する試験が行われることがあるが、今日、「常識」とは、他人との普遍的共通項ということなのかも知れず、常識が豊かということは、とりもなおさず、様々な種類の他人とわかちあうことのできる共通項を豊富に用意している人、誰とでもなめらかにつきあってゆける人物、ということになる。
そして、ひとつのことに偏執的(モノマニアック)に集中して、ほかのことには興味を示さないような人は、現代では、一般に毛嫌いされるような傾向が現れるようになった。
共通項を作る
共通の話題を「さがす」立場のほかに、共通の新しい経験を「つくる」という立場も考えられる。
ひとつの目的にむかって、ふたり以上の人間が協同作業をする場合のことである。
どんな目的であれ、とにかくひとりではできないことを、何人かで知恵を出し合いやれば、そこではその作業とその成果が、そのまま新しい共通項になる。
川喜田二郎は『パーティ学』において、そのような種類の共同作業のなかで共通経験を「つくる」ための方法論、社会工学を提示した。川喜田は言う。
「わずか数日のチームワークであろうと、ふつうのおつきあいの数年以上の心のふれあいが生じたこともあります。
かような体験をした人は、いたずらに長年月のおつきあいのみがチームワークに必要な人の和を作るものではないことを知るでしょう」
コミュニティ作り
現代では、都会のマンションでは同じ階の人たちでさえ互いに顔も名前も知らない、と言われるほどに、地域社会の空洞化が進んだ。
このような状況のなかで、コミュニティづくりが叫ばれ、さまざまな形で運動が展開されるようになっている。
コミュニティの概念は、人間関係の心理学で注目されているが、その理由は、住民同士のインフォーマルな関係(仲間)が、心の健康の増進に大きな意義も持つことが知られるようになってきたからである。
(1)日常生活の緊張をときほぐす「息抜き」、(2)心情的な共感による「励まし」 (3)適切な行動基準の提示 (4)適度な距離を持った「ヨコの関係」、 これらの点で、コミュニティは精神衛生のうえで、援助的な機能を持つと安藤は指摘した。人間関係の病理
家庭
夫婦関係、親子関係で様々なひずみが起きる場合がある。
夫婦関係、親子関係のひずみは、離婚や家庭内暴力につながることがある。
また、主として、若い女性では、極度の体重減少や無月経などの症状が出る「思春期やせ症」を起こす場合がある。
これについては諸説ある。
清水は、思春期やせ症の背景には、第2次性徴の目立つ身体になりたくないという、成熟拒否、女性性拒否の心理が働いていて、月経停止が必発症状なのだという。
下坂によると、そのような女性には、家庭内で母親に対して反抗と依存のアンビバレントな態度、関係が見られるという。
学校
校内暴力、いじめ、登校拒否などが社会問題として取り上げられるようになって久しい。学校での問題行動は、量的増減を云々することよりも、問題行動を生み出す背景や、発生のメカニズムの質的変化に焦点をあてる必要があるという。
鶴 元春によると、学校の病理的問題を要約すると、おおよそ次のようになるという。
1.知的教育への偏重。詰め込み作業。全人格の発達をうながす教育が行われにくいこと。
2.進学中心の教育体制。就職希望者には場違いな感を与えること。偏差値による序列化。
3.過度の受験競争により、ライバル意識のみが育ち、友情や連帯感が育たない。教師と生徒の間には、評価する者と評価される者の関係のみが強調され、温かい血のかよった関係が育ちにくい。
4. 教師の威信が低下。教師と生徒の関係が希薄化し、学校の管理体制が強化され、多くの禁止事項が押し付けられている。
対人恐怖症
人生は青年期になると進学・就職などの局面を迎えることになり、新たな対人関係が待ち受けることになる。
この時期の人に対人恐怖症がしばしば発生する。
対人恐怖症についての理解のしかたはいくつかある。
お礼
遅くなってすみませんm(__)m 長文のご回答、うれしいです! 他人を理解することは難しいことですよね。 また、「対話は人間の内部でおきていることである」というのは、たしかに!と感じました。 二人の人のやり取りのようで実はそうではない。ほんとにそうだな~と思います。 とても参考になります。ありがとうございました!