【ラ・ムー】は、フュージョングループ【PRISM】のサポート・メンバーだった松浦義和氏(Kb)が結成したバンドです。
1988年2月24日デビューシングル「愛は心の仕事です」発売と同じ日に、[夜のヒットスタジオDX]に生出演、その時のインタビューで、結成のあらまし等を語っていました。
1987年11月に、松浦氏がトライアングルプロの藤田浩一社長に、『新しくロックグループを作りたいけど、ヴォーカルを探してる』と相談をしたところ、藤田社長は『(うちの所属タレントの)桃子はどうだ』と答え、相談を受けた桃子さんも、『(社長から)やってみるか、と言われた時“すぐにやらせてください”と言いました』
司会の古舘氏の“こういうイメチェンしたいとか言う機運があった?”との問いに、
『自分自身もっと色々な事をやりたいし、前進したいと思った』
『次へのステップになればいいな、と思います』
と、答えていました。
でも実際は、
87年3月「アイドルを探せ」(1位/16.2万枚)←7曲連続1位
87年6月「Nile in Blue」(2位/12.2万枚)
87年10月「ガラスの草原」(4位/9.8万枚)
と売上を落としている彼女の梃入れだったものと思われます。
しかし、それも解決策とならず、
88年2月「愛は心の仕事です」(9位/10.1万枚)
88年6月「少年は天使を殺す」(4位/5.4万枚)
88年7月「TOKYO野蛮人」(8位/4.6万枚)
89年2月「青山KILLER物語」(15位/2.1万枚)
とコロコロと転がっていきました・・・
お礼
詳しい解答、ありがとうございました。 奥が深かったんですね(^^;)