胃とか大丈夫ですか?
嫌いな同僚、その方はあなたにとっては他人(・・・と思い込んで)いて欲しかったのですね。
誰でも嫌いな人とか奴とか少なからずいますし、出会う人間は全部大好きですなんて人いません。
もちろん達観された方ならそうでもないかもしれませんが、少なくとも個人的、私的に嫌いな人間って、
声に出さなくても生きてれば、一緒に仕事してれば確実にいると思います。
悪いことにそーゆー自分にとって他人でありたいって人ほど、なぜか頭に印象強く残るものです。
なんか残ったままって感じもあるでしょう。
運良く忘れかけてた、いいえ完璧に忘れてたって人でも、特に当時の強い印象付けがあれば何かの
きっかけで思い出す、思い出してしまうことってありますよね。
恋愛と恋愛とかでもそんな奇遇がよくあるんじゃないでしょうか。
忘れたくても・・・このこと自体は何もあなただけじゃないと思います。
問題は忘れられないあなたの記憶をどうするかでしょうが、 残念ながらこれは避けて通れない
変わらない記憶です。 でも考えてみれば誰しもいい思いばかりして仕事とか日常とか過ごして
るのかをほんの少し考えてみれば分かる事なのかもしれません。
イヤなら誰でもイヤなもの そう、それは相手からも同じ『反響』です。
相手もひよっとしたら同じ胃の痛み、感じてらっしゃるかもしれません。 片方だけが傷つくのは
誰にとってもイヤなもの。
回りからもそういう目で同情されることもありますが、でも本当に片側だけ、この人だけ傷ついて
記憶に未だに怯えてるのかな・・・なんて一体誰が結論付けられることでしょう。
繊細な感情を超えたものとか、あくまで個人的な感傷とか、過去の忌まわしい記憶の部分とか、
とても他人が、そう見当づけられるものではない領域かと思います。
なぜなら人にとっては10年でも20年、時は過ぎても『好感憎悪悲喜』すべての感情が、一瞬スイッチ
が入ればとめどなく出てくるものと思うからです。
これは自然です。
久しぶり出会った相手の方も動作は分かりませんがひよっとしたらあなたと同じ感情をお持ちになった
かも知れませんし、その真逆もあるかもしれません。
どうか、その『消せない記憶』はそのまま奥 『始まる記憶』は前 同じなら前に積極的においちゃうことです。
これから『消せない記憶』も増えてくるでしょうし、より良い記憶も当然出てくることでしょう。
そんな記憶の、言葉にできなくてごめんなさい、いろんな記憶、楽しんでください。
記憶がなければ人とのコミュニケーション、これはままならないことでしょうから。
お礼
ありがとうございます