• 締切済み

東大、慶応、早稲田卒はそんなにすごいこと?

日本人として高校まで日本で育ち、その後英国、カナダ国籍になった日系人です。 公務で久しぶりに里帰りしていますが、カルチャーショックを受けています。 電車の中で東京、慶応、早稲田各大学を卒業されたと思われる方が他の乗客を自分の学歴を語って馬鹿にする光景を何度か見ました。 街中の通りの真ん中で校歌かと思いますが、集団で大きな声で歌われている光景もみました。 若い人もそうでない人もいました。 たしかに東京大学、慶応大学、早稲田大学、いずれもすばらしい大学と思いますが、人を罵ることができるほどそれらの大学を卒業していることはすごいことなのですか? 私自身は大学はヨーク大、大学院はケンブリッジ大、軍人なのでブリタニア海軍兵学校を卒業して博士号を2つ取得しています。でも学歴はその人の歴史の1ページに過ぎず、結果でしかないと思うのです。人の評価は仕事の成果、人格、教養等々、いろいろなことで評価されるべきであると思いますし、その人の評価や経歴で他人を罵るのなんてとんでもないと思います。 私自身学歴や経歴で人を罵ったり、自慢することはしないです。学歴でその人の人生が社会で決まってしまうような世の中は間違っていると思います。 私の友人でオックスフォード大学院卒の人がいますが、居酒屋で慶応大学卒の人に学歴で侮辱され、オックスフォード大学院卒だと言ったら顔が青ざめ謝罪されたということも聞いています。 すべての東京大学、慶応大学、早稲田大学を卒業されている方がこのようなことをするとは到底思えませんが、目に余るので質問させていただきました。

みんなの回答

  • BXV02341
  • ベストアンサー率45% (69/151)
回答No.10

私もその卒業生ですが、すごいとは思いません。 東大・慶應、早稲田ならすさまじい数の学生・卒業生がいるので、 それはそれはいろんな人がいます。そんな人もいるでしょうね。 自分の母校を誇りに思うことと、他大学の人を軽蔑することは全く別です。 侮辱するような人がどれだけいるのかはわかりませんが、 その人は、どこか自分に自信がない人なのだと思います。 よく「夫の学歴や職業、子供の学校などを自慢する主婦」が批判されますけど、 それと同じですよ。 中身に自身が持てないから、学校名という「皮」を必要以上に意識するのでしょう。

  • TANUHACHI
  • ベストアンサー率31% (791/2549)
回答No.9

 現在の日本の社会が果たしてフェアであるかどうかに関して。 >、努力をすれば上に行けるという点で、そういった望みの持てない君主制や貴族制より余程フェアだと感じているのですが  これは現実に機能として果たされているのかと問われれば疑問符が付きます。アメリカは文字通り「等しくチャンスを与える」ことでは確かにフェアです。それでも一部の世界ではやはり「足切り」はあります。例えばブロードウェイでもまったく無名の新人俳優が主役に抜擢されるなどのケースは以前から比べると格段に下がっています。実力主義の世界ですらこうですから、エセアメリカ化した日本では尚更「建て前と本音」の乖離は激しくなっている。  余談になりますが、学者の世界ですら「学閥」などとの意味のない因習に囚われている老人世代が未だに牛耳っていて、才能のある若手の研究者が苦労している姿を僕は日常的に目にしています。  ましてや企業に就職する時でも慶応や東大ならば事実上の一次試験免除、それでもせっかく入社しても「自分にあった職場じゃないから」「もっと花形の事業部に行けると思っていたから」などと抜かし、サッサと退職してしまう幼さ。逆にたたき上げの早稲田やMARCHあたりは実務的で社会慣れしている。せっかく手に入れたチャンスなのだから大切にしたいとの思いで精進を重ねる。勿論東大や慶応にもこうした「良くできた人」がいないわけでもないが、どちらかと言えば大学の名前を社会的ステータスか何かと勘違いしている部分が慶応には見られる(東大には変人も多い。日の当たらない分野をコツコツと地道に研究している姿には本当に頭が下がります)。  君主制や貴族制よりフェアであると見えるのは現実を見ていない証拠です。東大や慶応に入学する子弟を抱える親の年収がどれ位であるか。職業としてどの分野が多いか。ご存知でしょうか。来年度の文科省の全国統一学力調査に「通学する児童生徒の家庭の経済状態調査」なるアンケートが付加されるとの報道がなされたことをご存知でしょうか。これは文科省が経済格差と学力格差が密接に関連しているとの事態を自ら認めてしまった、認めざるを得なくなったことの証左ではないでしょうか。現実として経済格差は子供の将来にまで影を落とし始めていて、フェアなチャンスがあるとは一部の人の感想でしかないとの実態を理解出来ているでしょうか。実質としての日本の社会構造がインドのカーストにも類似してきているとの危機感を僕は逆に感じますが。

  • TANUHACHI
  • ベストアンサー率31% (791/2549)
回答No.8

 まさに正論です。同感です。学校や企業の名前と本人は帰属関係ではあっても、同一不二の関係ではありません。  こうした事象が日本の社会で散見される背景には、日本では「個」と社会の関わりが意識化されていないとの非近代的日常を残滓として未だに引き連れていることに起因すると僕は個人的に感じています。  何となれば、日本では「個」が確立されているとは言い難い部分が多分にあり、社会の側もそれを前提として成り立っている様な側面があるように感じてもいます。  僕のような物の考え方は日本でも異質かもしれません。建前と本音を使い分けることでしか成り立ち得ない社会のあり方に対し「キレイ事だ」「負け犬の遠吠え」と揶揄されたりします。  確かに僕の母校は都心から離れた国立にあります。そして社会人になってから再び別の大学の大学院に学んだとの遠回りをしてもいます。けれどもそれを一度として自身に恥じたことなどありません。  序列からみれば東大や慶応の後塵を拝する形にはなりますが、学問の中身と大学の名前を比較対照することは最初からナンセンスと言わざるを得ないと思います。  宮沢賢治の作品に『団栗と山猫』がありますが、誰が一番かを決めることなどにさほどの意味があるでしょうか。違いがあるからそれぞれが素晴らしい個性や可能性を秘めていると思う。そしてそれを如何に引っ張り出し、目覚めさせ、花を咲かせるかが教育者の仕事であり、またそうであるべきだとも思う。  こうした考え方は時間の掛かる仕事かもしれません。アメリカ的な意味やショートレンジで勝ち負けを問われたり判断されたら不利かもしれません。けれどもショートレンジの攻防で首尾良く勝利を収めたとしても、それをトータルな流れの中で観た時に果たして勝利を収めたとの結論に至るとも言えないのではなかろうかとも考えてしまいます。もしかしたら相手の挑発に載せられただけで退路を断たれて取り返しの付かないところまで足を踏み入れてしまっているのかもしれない。  こころある大人達もうすうすは社会のあり方に釈然としない、けれども「それを言っちゃぁ、お終ぇよ」と無言の圧力を感じ、その狭間で悶々としているのかもしれません。  実るほど 頭を垂れる 稲穂かな。駄文失礼致しました。

  • ennalyt
  • ベストアンサー率29% (398/1331)
回答No.7

槍玉に挙げられた学校のどれにも在籍した者です。 私も応援歌を歌うのが大好きで、 神宮帰りに歌舞伎町や日比谷公園の噴水でよく泳ぎ歌い騒いだものです(^_^;) 大学時代って、一生に一度っきり、 トコトン馬鹿になれる時期だと思うんですよ。 かつて塾長が、 「大学がレジャーランドなんて言いますけどね、 小学校の頃から勉強ばっかりしてきて、 そのまんま社会に出てしまう方が怖ろしい」 とよく僕らにおっしゃってくれていました。 福澤先生が若き日に学ばれた大阪の適塾では、 塾生の乱暴狼藉に大阪の町民は顔をしかめてたそうですが、 しかし有為の人材を遍く輩出しました。 夏の暑い頃は正真正銘の素っ裸でふんどしも締めないで勉強し、 緒方先生の奥さんに呼ばれてそのまんま向かって気まずいことになったり。 動物の解剖をしたり、 飲み屋の皿やおちょこをくすねてきて実験器具に使ったり。 ヅーフという辞書のあった部屋や塾生の起居した部屋を実際に見てきました。 >学歴でその人の人生が社会で決まってしまうような世の中は間違っている とのお説ですが、 私は、努力をすれば上に行けるという点で、 そういった望みの持てない君主制や貴族制より余程フェアだと感じているのですが。 >それらの大学を卒業していることはすごいことなのですか? については、 学友があまりにも素晴らしすぎて、 彼らと幸せな時間を過ごしたいい気分が未だに忘れられなかったりします。 「すごい」の感覚が世間一般の方とちょっと違うのかもしれませんが、 「すごい」連中が集まってきていて、良い影響を受けました。 学歴ぐらいしか語るべきものを持ち合わせない哀れな連中よ、 というぐらいに見ておいて下さって構いません。

  • lobelia75
  • ベストアンサー率42% (103/244)
回答No.6

日本の人口に占める上記3つの大学出身者の割合はほんの1~2%です。 その中で学歴しか生甲斐にできない人の割合は、更にもっと減ります。 質問者さんは物凄い確率でそういった稀な方々に出会ったということです。 >私自身学歴や経歴で人を罵ったり、自慢することはしないです。 あなた自身に限らず、ほとんどの日本人はそうです。 >学歴でその人の人生が社会で決まってしまうような世の中は間違っていると思います。 「ある程度」という言葉を補足させていただきますが、それは欧米諸国でもどこでもそうだと思います。中国韓国はもっと酷い。日本はまだ緩い方です。 私自身は教育は国力だと思っております。もちろん、教育=学歴、学びの歴であり、学歴=学校名歴ではありません。

回答No.5

私自身は、関係のない学歴ですが、東大卒の人が学歴を自慢している光景には出会ったことがありません。むしろ、受験して落ちた人の方が気にしている感じです。 その体験されたお話って、ホントですか? 東大卒の人のエリート意識は、そういう学歴を「自慢する」というレベルじゃないですよ。ご質問者さんと同じような話し方をします。

  • tanuki4u
  • ベストアンサー率33% (2764/8360)
回答No.4

1 東大には校歌がない 応援歌的なものに「ただひとつ」があるが、歌える人は少ない。 平均的な学生は、入学式と卒業式で一回ずつしか聞いたことがないはずです。(神宮の六大学野球を見に行くと何度か聞くが) なので、街なかで歌おうとしても、東大OBは歌えません。 2 普通の会社員は社内で他人の学歴を知らない 同期とかだと、同期名簿とかを作るのでお互いに知っていますが、そうでもないとだれがどこの大学出身なんか知りません。 一年ほど一緒に仕事をしていた社内の人間に「先日、東大の修士卒の人にあったが、すごいねぇ、今まであったことのないような人間だった」とあまりに学歴の話をするので、思わず「すいません、私も東大の修士卒なんですが・・・結構社内にいますよ」と言ったら唖然としていた。 まぁそのくらい、日頃は気にしていないものです。 慶應の三田会はこっそり裏で動いているらしいですが、関係者でないと知らないですし、三田会を主導しているのは、付属出身者で、大学からの慶應は、あんまり帰属意識はないようです。 英国・カナダなどの文化と日本の文化、特に学歴に関して言えば、階層によって飲食する場所が違ってくるのが英国・カナダの文化で、階層意識が弱く、混じり込んでいるのが日本ではないかと思います。

回答No.3

このお話を聞いて、あまり根拠はないのですが、感想だと思って読んでください。 今の、日本の若者は自信がなくなっているのではないでしょうか。自分の心の拠り所が無いのかも知れません。学歴をとるためだけに、幼少のころから頑張ってきたのに、大企業に入ってもリストラ対象になってしまうのではないか?等々の潜在的恐怖感を持っているがゆえの、反応(大見え)となっているのではないでしょうか。 東京大学でも、最近の先端的な研究を行っている修士課程では、海外からの学生が多くなっていると聞きます。社会では、東大卒も、早慶卒もごまんといますが、社会人は、良い人は良い。アホな人はアホと見て付き合っているのではないでしょうか。(ただ、あまりプライドだけが高い人には、付き合う人が少なくなるだけ) 社会に出て何ができるのかが、人間として楽しいことだと私は思います。 彼らも、自信がないということを、本能的に分かっているので、そのような(幼稚な)発言をするのではないかとも思います。 要は、まだ玉石混交の若者ということで考えておけばよろしいのかと思います。 頑張っている若者も、多いと思いますよ。 結論からすれば、全くすごくないと思います。

  • yytt56
  • ベストアンサー率25% (106/413)
回答No.2

まあ、そういった人たちは、学歴以外に誇れるものがない一部のつまらない連中だと思います。 相手にするだけ無駄でしょう。

rule_britannia
質問者

お礼

早々のご回答ありがとうございました。 やっぱりそういう人はどこでもいますね。私の周囲にもいます。 無視するのはその人を侮辱しかねないので、大学の話が出たら話は聞くようにしています。

  • jasko
  • ベストアンサー率24% (478/1966)
回答No.1

昔の外国人は言いました。 健全な肉体に健全な精神よ宿れかし。 この言葉ですべて説明できると思いますよ。 暴力でも権力でも力のある人に健全な精神が宿っていれば 世の中はうまくいくんです。こういうのを孔子の理想的封建主義というんですね。

rule_britannia
質問者

お礼

仰ることとても理解できます。 古人の言でお答えいただいたので、古人の言でお礼を申し上げます。NHKのドラマでこれを実際使っていたと聞き驚きましたが、私は常にこうありたいと自分自身の心のよりどころにしています。 「紳士、淑女は博愛精神に富み、弱きを助け強きを挫く。常に法を拠りどころにして、犯罪や不正を憎み、正義を貫く」 ドラマではEnglish gentlemen are philanthropist, assisting the weak and striking down the strong. They detest all unfairness and fight for justice while suing great respect for the law.がセリフになっていたみたいですが、今は男女、民族平等社会なので少し変わっています。