コーエン兄弟の映画は好き嫌いがはっきり分かれる傾向があるかと思いますが、コーエン兄弟の一ファンとしてお答え致します。
映画の舞台となっている1949年頃は、アメリカの高度経済成長期に当たるらしく、それを具体的に表現しているのが、主人公の妻の仕事〔デパートの帳簿係〕であったり、教会でのビンゴ大会であったり、戦争体験を英雄気取りで語る妻の不倫相手の上司であったり、高級カツラをかぶって得意げなセールスマンであったり、そのセールスマンの考えるベンチャービジネスであったり、真実などには全く興味がなく、いかに華々しく相手に勝つかだけを考えている弁護士だったり、死刑囚の手記だったりするのでしょう。
それらとは対照的に存在するのが、娘の弾くベートーベンのピアノソナタであり、伸びて来る髪を切り続けるという不条理で生産性のない床屋という仕事なのだと思われます。何にでも意味を見い出さなければ気が済まず、昨日よりは今日が発展していなければ生きている気がしない高度化された経済社会にあっては、ベートーベンの音楽や床屋の仕事は意味のないものと考えられがちです。
結局、主人公は、娘の弾くベートーベンの音楽に癒されつつもそれを数値化しようとして破綻し、床屋であることをやめようとして破滅するのです。コーエン兄弟は床屋こそ素晴らしい職業だと言っているのだと思います。
主人公の独白、妻の不倫、それをきっかけに起こる殺人など、フィルム・ノワールの要素を取り入れた作品であり、主役のビリー・ボブ・ソーントンの風貌などは、ハンフリー・ボガートやフレッド・マクマレイを思い起こさせ、1940~50年代のムードをうまく伝えています。