江戸川乱歩の小説からの抜粋です(一部表現訂正、中略あり)
・私の近所に一人の盲目の按摩がいまして、これが非常な強情者でありました。他人が色々と親切にしても「目が見えないと思ってバカにするな、それくらいの事は俺だって分かっておるわい」とまぁなみなみの強情さではないのです。ある日、私がある大通りを歩いてますと、先程の按摩がヒョコヒョコ向こうから歩いてくるのが見えました。私はこの時、何とはなしにこの按摩を殺してやろうと思いつきました。丁度その時、道路では昨日から下水道の工事が始まっていて、往来の片側には深い穴が掘ってありましたが彼は盲目ですので、片側通行止めの看板など見えませんから、何の気もつかず、その穴のそばを暢気そうに歩いています。そこで私は「やぁ、N君」と按摩の名を呼んで「そら危ないぞ、左へ寄った寄った」と怒鳴りました。それをわざと冗談らしく言ったのです。こう言えば彼は日頃の強情さから、からかわれてると邪推し、わざと穴のある右側の方に寄ると思ったのです。案の定、彼は「へへ・・ご冗談ばかり」と言って穴のある右へ寄ったものですから、足を踏み外し、穴の中へ転落してしまいました。彼は打ち所が悪く数時間後には息を引き取りました。私の計画は見事に成功しました。私は日頃からその按摩を贔屓にしており、殺害する動機もありません。そして「左へ寄れ」と言ったのは、誰が聞いても「善意」から言ったものとしか聞こえません。誰から見ても「親切から出た言葉」です。その言葉の裏に怖ろしい殺意が秘められていようとは誰が想像いたしましょう・・・・・
これこそまさに「完全犯罪」です。この「彼」は按摩の心理を逆手にとって上手い事、その按摩を穴のある方へ誘導しました。しかも「善意ある言葉」でです。
この世には自殺と見せかけて殺された人も数多いと思います。そこには巧妙なトリックと明晰な頭脳が無ければならない。完全犯罪に必要なものは「明晰な頭脳」と考えます。