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私は死なない

死後の世界がないとすると 私にとって私の死を自覚(確認)できないので 私にとって私の死は無いという事になります。 死後の世界があったとしても 私の死を確認している私がいますので 私は死んだことにはなりません。 主観的に見て私は私の死を経験することはできないので、 結局、私は死なないという結論になりました。 理屈は正しいですよね?

みんなの回答

noname#150961
noname#150961
回答No.8

関連する質問回答を挙げておきます。

参考URL:
http://okwave.jp/qa/q7262218.html
shift-2007
質問者

お礼

ほんと、単純な話なんですけどね。 ご回答ありがとうございました。

回答No.7

まずは、カテゴリー違いであることをご容赦ください。 絵空事としての回答というか質問みたいになるのですが、 よく、自分の死が納得できなくて現世で魂のみになり、 知人にコンタクトを取るも、まるっきり無視されて 天使みたいな人?に「あなた死んだのよ」といわれ、 ああそうなんだ…とか言って天に消えてゆくという風な 話がありますが、こういう人の場合はどうなるのでしょうか? 最初の理屈は分かるのですが、2番目の理屈が すんなりとは入って行かないのですが。 かくいう私もまだまだ死ぬ気配を全く感じなくて、 まあ、あの事故がちょっとしたら死んでたな。という事はありますけど 最初の理屈に近い気持ちで過ごしています。 いつかは死ぬけど自分が自分の死に悲しむことはないんだな、と。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 天に消えるというのは、地上から天に移動することを意味します。 私が移動するだけですから死ぬことにはなりませんね。 肉体と精神を分離できたとしたら、 私たちはどちらの死を問題にするでしょうか。 肉体?それとも精神?

回答No.6

言ってることが支離滅裂なので精神科の診察をお勧めします。 妄想がつよいようですね。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 なぜ医者の金儲けの手伝いを貴方がするのですか?

  • bara2001
  • ベストアンサー率30% (647/2111)
回答No.5

物理的、生物的に死が訪れるのは厳然たる事実です。 ですが、そのようにお考えであれば、主観的にそれはそれでアリだと思います。 私は数年前に胃潰瘍でひどい吐血をして死のふちをさまよったことがあります。 特別な痛みがあるわけでもなく、ただただ胃酸と反応した黒い血を吐き続けました。 そのときはスーっと意識が遠くなって、眠るように気を失いました。 そのまま死んでいればそれでおしまい。 死んだ自覚も無く、私は死んでいたでしょう。 それだけのことです。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 どう頑張っても自分の死を自覚することはできませんね。

noname#157902
noname#157902
回答No.4

?? >主観的に見て私は私の(1)死を経験することはできないので、 結局、私は(2)死なないという結論になりました。 における、(1)(2)それぞれの『死』の意味がよく分かりません。 そこを説明してください。誰にでもわかるように。 >私にとって私の死を自覚(確認)できないので  私にとって私の死は無いという事になります。 なぜ、本人が自覚しないと、死んだことにはならないのか、説明してください。 言葉が足りなくて、あなたの論理を私は理解することができません。

shift-2007
質問者

お礼

貴方は以前死んだらどうなる?という質問を立てましたね。 その回答の一つがこれです。 ご回答ありがとうございました。

回答No.3

理屈は正しいと思いますが、 どちらにせよ私たちから見れば無に帰ったと 判断せざるを得ませんが…。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >私たちから見れば そうですね、ゆえにいつも死ぬのは他人ばかりなのですね。

  • oo14
  • ベストアンサー率22% (1770/7943)
回答No.2

草間彌生さんもそのようなことをいってたような、いってなかったような。 永遠の永遠の永遠ですね。 見えてるんですね永遠が。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 客観的な死と主観的な死は全く違うんですね。 他人が死ぬから自分も死ぬというのは主観的に見れば単なる連想なんです。 実証不能なのですから。

回答No.1

何をもって「死」とするかだと思います。 今あるこの肉体が生の活動を止めるとき、一般的には「死ぬ」というのだと思います。 質問者さまの仰る、魂が活動をやめることは私もないと思います。

shift-2007
質問者

お礼

ご回答ありがとうございます。 >何をもって「死」とするかだと思います。 まさにその通りですね。 これは私とは何かという問いでもあると思います。 テレビからの情報ですが、食べるという行為によって分子レベルで見れば人の体は約1年で全て入れ替わるとのことでした。 つまり、1年前とは肉体的には別人ということになります。 私の体は常に死と再生を繰り返しているわけですね。 ならば私と言う存在は何か、その死とは何かを問いたくなるのです。