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精神科通院歴10年 お薬に対する不信
- 精神科通院歴10年の私は、双極性障害と診断され、いろいろなお薬を試してきましたが、副作用に悩まされてきました。
- 昨年、自己判断でお薬をやめた結果、逆流性食道炎にかかり、体調が悪化しました。
- 精神科で処方されたお薬は一時的に症状を改善させましたが、副作用が再び現れ、家事や学校行事への参加が困難になっています。
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率直に言うならば、今の精神医療には誤りがあるような気がする者です。どのような誤りかと言いますと、原因が特定出来ていない点です。 早期治療で早期回復が出来るという歌い文句ですが、神経症であっても、心を病む場合であっても、その原因は分りませんが、早期治療をすることで回復が早くなりますという矛盾です。 原因が特定できないと言う意味は、治療方針さえ特定出来ないと言う意味になるからです、或いは精神の健康や精神衛生には何が良くて、何が悪いのかさえ教えてもらえない事です。 その無目的的な治療の一環が『薬の処方』です。只の対症療法という目的が全てで、完治は別なところに存在する的な言い回し方です。 薬の効き目では『寛解が限度です』的な発言です。 もう30年以上前に、神経症が完治した経験から、精神や心に付いてと、心を病む事の原因とその完治という事を書いてみます。 心を病むという場合には『絶えず心に圧迫を受ける事』を意味します。その圧迫感は『漠然とした不安』に代表されるように『何処から来ているのかが、全く分らない』という言い方も出来ます。 この原因を書いてみます。その原因は『人間の脳内には意識が二つ存在するからです』ウイキペデアからの科学的な記事を紹介します。 ”ロジャースペリー 分離脳 ノーベル賞受賞者 受賞年:1981年 受賞部門:ノーベル生理学・医学賞 受賞理由:大脳半球の機能分化に関する研究 ノーベル賞の受賞理由となった業績として分離脳研究がある。てんかん治療の目的で半球間の信号伝達を行っている脳梁を切断した患者に、片方の脳半球に依存することが知られている作業を行ってもらい、二つの脳半球が 『それぞれ独立した意識』 を持っていることを実証した。” 今の精神医学では1,981年の研究成果が全く生かされていません。漠然とした不安とは『右脳に存在する意識』からの情報です。正確な言い方をするなら『脳梁を介して送られる情報』の内『自我意識が受取りたくない情報』が症状として感じられています。 他の言い方をするなら、薬の効能は、右脳からの情報をシャットアウトする効果で出来ています。 心を病む事が完治すると云う事を説明します。この場合では『心の矛盾』が解消された事を意味します。右脳の人格と左脳の人格との間にホットラインが開通されたという意味です。 心同士が争う事をしなくなったという意味です。心が飽く迄も静かになって、平安に満ちた豊かな心もちがキープ出来るようになったという意味です。 この意味は、仏教的な言い回しをするなら『涅槃』という意味です。 キリスト教的な言い方をするなら『神と和解する』です。 この場合の神とか仏が『右脳の意識』と云う事です。右脳の意識は『感情を湧きあがらせる方の側に立っている意識です。』自我意識は『感情が湧き上がるほうの側の意識です。』 ところが右脳の意識は『無意識の底に沈んでいる形で存在しています』その意味は、自我には意識が無くなった事を意識出来ないように出来ている事によっています。 人間の精神生活も、生活の営みも、意識と『無意識』が交替制をキープする事から成り立っています。この交代制という事を『納得』出来ない事が、自分自身を疑う事を意味します。 ところがこの交替制に何の疑問も持たない場合があります。こういう場合にそういう人の事を『健常者』といっています。 この疑いが仏教における『無明』と云う事になります。この疑いが仏教における『業』=『一切皆苦』という現象になります。キリスト教においては『原罪』です。 この疑いを何に向けるのかで症状が決定します。それは『意識する事』=『意識地獄』を何に振り向けているのか?と云う事です。 この意識地獄=『生き難い想い』を心に強く感じている事が,心を病む事に通じています。 この意識地獄=『生き難い想い』を自分の行動に強く感じている場合が、神経症に通じています。 この意識地獄=『生き難い想い』を自分自身の身体の機能不全として感じている場合が、自律神経失調症に通じています。 これ等の病症の改善は、意識地獄の解消を意味します。これ等の病症は『検査をした場合には異常が見付けられません。』 何処にも異常がないにも拘らず、本人のみが『執拗に異常を訴えている事実』がありますが、これ等の症状は本人の頭の中で作られている症状と言えます。従ってこれ等の完治は『異常がない事を納得する場合です。』 この意味は、心の矛盾を解消する事で『全ての症状が雲散霧消するという意味です。』脳の働きが、何処にもない症状を、本人の頭の中だけに、勝手に創り上げている事を意味します。 改善する方法は簡単です。何処も悪くない事を了承する事だからです。従ってその方法論は『症状の改善を求めなくなった時』が完治だからです。 何処も直そうとしない事を試みる事から手を付ける事です。 何故なら『治そうと言う努力や試みが』何処にも異常がないところに『異常感や違和感』を頭の中に勝手に作っているからです。その作られた異常感を追い出そうという努力が、又頭の中にしっかりと固定させているからです。 脳の機能や身体の機能の検査が異常無しという段階を、自分自身が納得出来ない状態が『頭の中で症状を作っている』という意味になります。 医師の処方する薬は、右脳と左脳における脳梁における情報交換を妨げる効果で成り立っています。自我が感じている感情は『右脳からの情報』の一つです。自我が『その個性によって、好きとか嫌いという分別作用によって』受け取りを拒否した場合に、右脳は受けとって貰えてない事によって、再送して来ます、その場合は、少しずつその情報は拡大された情報に変化しています。 パニック障害等はその良い例です。始めの弱い不安という情報の受け取りを拒否された場合、その情報を送る者(右脳の人格)はその情報を誇張して再送しています。不安を誇張した場合は『恐怖』と言う情報になっています。 こういう心的なシステムが脳の回路です。或いは感情が湧き上がるシステムです。 湧き上がる自分自身への情報を全て、何も操作しないで受取った場合が『あるがまま』です。その時に二つの意識の間には『何もわだかまりが生じていません。』こういう場合を『健常者』と言っています。 心を病む場合は『湧き上がった自分自身の感情を』受取ったり受取らないように操作をしていると言う意味になります。こういう場合『湧き上がる自分自身の雑念の処理の仕方』を学ぶ事です。 雑念は一過性という性質があります。その事を了承する事が完治への道筋です。今の貴方は『湧き上がる只の雑念に振回されています。』雑念に振り回されなくなった時点が完治です。 その時には『頭の中の世界』=『目の前の世界』が一致しています。そうなった時には『症状』=『妄想』は消滅しています。 人間の左脳(自我意識)の分別作用が『一つの世界を二つにして見せています。』 自我意識が自分自身の働きと仲違いしている事が『症状』を生んでいます。心の矛盾の解消で『妄想は消えます』 自我が『命の働き』を了承する時が完治です。この現象を『悟る』といっていますが、只心を病む場合では完治する事を意味するだけで、只の普通の健常者になるだけです。神通力等は授かる事はありません。 只目の前の世界が『在るがままに』普通に見えるのみです。 参考のために右脳の働きを体現している動画を載せてみます。参考になれば有り難いです。 URL:http://www.youtube.com/watch?v=ldSoKfFYKqM ついでに一言申し添えておきます。人生に深い疑問を呈している場合は、自分自身への深い理解を求めている事を意味します。自分自身への深い理解を求めているという意味は、貴方には深い人格が備わっているという意味もあります。深い悩みの後には、深い安心があります。自分自身を知る事によってそういう境涯に入られん事を切に願っています。
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ご自分で独習なされ、大学までいかれ、大変な努力でしたね。 薬の副作用に関することを追い込んでいくのが、精神科医師ではなくて、患者で あるとのことを、特に社会的問題ともせずにきてるのが、患者と医師の間の今 の姿である気がします。1年でなくてもっと多い年数。。実際の生活で薬の副作 用による特に眠気の問題は、専門家側としては頭として理解していても、実感 できないわけだから、知識上知ってるにしか過ぎない。だから個人差はあるもの の飲んだり飲まなかったり、量の調整も含めて自ら自己管理できるセンスの者が 薬を経験則などの、知恵として会得していく。このことを診察で言ってもとりあ げない医師の専門家馬鹿さがある。服用が長ければ、薬の副作用の怖さは患者に はズシンとしたものがある。自己管理できない症状並びにセンス、性格によっては 前面的に薬の処方に信頼を置き、副作用地獄から抜けることは困難なことがある。 服薬なしでも病気であるとの認識にたつべきで、診療結果イコール薬の処方箋との 医療現場の実態には悲しさをも憶える。 精神科医師とそのめざすものと患者を治すとのことの乖離を縮めることのセンスを 精神・医薬に関する学会でも持ち合わせていないだろう。 世には精神科医の治療限界を知っているものもいないわけではないが。。 実際の人間の脳の収集を以ってして、脳の症状研究の必要性を思考する研究者が やっと生まれはじめた。
お礼
精神医療の現在がわかるような気がいたしました。 私にとっては学校に行って授業を受けるより、自習したほうが精神に負担が少なかったにすぎません。ですから努力とはいえませんが、私は服薬しようとしまいと、私にできることを工夫してやるしかないのです。会社や学校でしたら休日もありましたし、休むことも出来ましたが、24時間365日の育児家事のお仕事には、診断が必要なことが多いです(託児、ヘルパーなど)。本当に副作用に弱い患者にとっては、今の服薬ありきの診断はつらいものがあります。 最後の一文の研究者様の意見が今後医療界に取り上げられることを切に願います。 私も言いにくいことですが、主治医やカウンセラーに自分の忌憚のない実感を伝え続けたいと思います。
お礼
興味深いお話をありがとうございました。 動画が非常に面白かったです。 確かに私の頭の中は雑念でごった返しております。 あるがままの自分と世間との折り合いがなかなか付かなくて 批判されたり、弱いと非難されたりして、別の自分になれ、なれと いつも誰かから命令されているような感じがあり、 混乱しているのが10代から40代からの自分で 自分がなんであるのか、正直わからないことも多々あります。 少なくとも私はお薬はいらないと感じていることは正直に認めて、 なお、現状を過剰に改善しようとジタバタしないのも手だなと感じました。 ありがとうございました。