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思い出を記憶する時、写真やメモはどこまで適当か?

旅などすると、写真を撮らなかった風景の方を鮮明に覚えているのですが、意外と、写真に納めた風景は忘れてしまっている気がします。 片方は覚えていないため単純に比較できませんし、バイアスもかかっていると思いますが、楽しい思い出、大切な思い出を鮮度良く心に刻むには、写真はどこまで適当な手段となりうるでしょうかね?

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  • marisuka
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回答No.3

さっそくのお礼、ありがとうございます。 印象を想起するための材料が写真ではないのですか? 写真に撮るとその印象は薄れ、ただの物理的な風景になってしまう、とおっしゃるわけですか? う~ん、確かにそれはあるかもですね。 ただ、印象は記憶の中に、物理的な物の配置(風景)は写真の中に。その二つを統合して、その時のなまなましい記憶・思い出として復元する。そのための、二つの材料(印象・配置)のうちの片方、という意味で、写真はいいものだとやはり思います。 印象だけで十分、というなら、写真は不要ですが。 私の場合は印象・イメージ・思い出を文章化して残します。まあそれはこの話題からそれるので割愛しますが。 いえ、トピ主様の意見を否定するのではありませんよ、念のため。私はこうだ、と説明しているだけで。参考になれば幸いです。

temi_00
質問者

お礼

お礼がとても遅れてしまいすみません。 確かに言われてみると、印象と風景は違いますね。 例えば、例えば、5円玉の稲穂についても、稲穂が左に下がっているのか、右に下がっているのか、正確に思い出す地震がありません。また、綺麗な風景も細かい部分までは、思い出せているようでも、書きだしてみると全然違っていたりしますよね。 記憶は再生するごとに書き換えられるとも聞きますし、確かに、写真は良いものですね。 余談ですが、もっと綺麗に風景を残したいと思い、10年ぶりに写真機を新調してしまいました。

その他の回答 (2)

  • marisuka
  • ベストアンサー率38% (659/1691)
回答No.2

写真は風景とともに、時間も切り取るものでしょう。ところが、記念写真とかいってポーズをとったり、じっとしている人物を撮ったのでは、時間そのものがその時には静止しているので、瞬間を切り取ったとは言い難いものになっています。だから、記念写真は心に残りにくいのでしょう。 時間の流れの中の一瞬を切り取ったような写真なら、その前後も思い出せて、十分鮮度を保てると思います。 また風景写真でも、まずはその風景を心に刻めるほど眺め、いつでも思い出せるくらいにしておけば、写真を見ることで細部までよみがえり、これまた新鮮に思い出す手段となり得るのだと思います。 やっぱ写真っていいもんですよ。

temi_00
質問者

お礼

回答いただきありがとうございます。 私も、写真を見ることで細部までよみがえるというのは分かります。 ただ、ふとした日常であの風景最高だったという物を想像する時、旅の風景がよみがえったりするのですが、写真に撮った物ではなく、写真に撮れなかった風景を思い浮かべることが多く、記憶を想起するにはとても良い素材ですので、写真を撮る意味がないとは言わないのですが、その時の印象がまるで写真に保存してしまったが為に、記憶していない。 そんな感覚を持っています。 例えれば、録音した講演会よりも、録音することなく聞いた講演会の方が記憶にしっかり留まるようなイメージです。 誰かが勝手に写真と取っているなら良いのですが、自分で意識して写真を撮ると何だか、大切なことも記憶の奥底に留まってしまい勿体ない印象を持っています。 それでもやっぱり写真は良い物でしょうかね?

noname#160880
noname#160880
回答No.1

物忘れがひどくなってくると、写真のありがたさがわかってくると思います。 1枚の写真が、過ぎ去った日々を次から次へと蘇らせてくれるのですから。私の両親がそうでした。

temi_00
質問者

お礼

なるほど、そういうときに役に立つのですね。気づきませんでした。回答いただきありがとうございます!

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