『愛のある束縛』ねぇ…。
それが本当に「愛」からくるものであればいいんですけどね。
只の「独占欲」からくることの方が圧倒的に多いと思うんですけど。
そもそも「愛」のある人なら、相手を「束縛」なんてしませんよ。
「愛」とは「信じること」を前提じゃないとね。
幸せかどうかはその人の価値観次第。
その人が、「それがいい」と思えれば良し。
でも「そっちの方がいい」程度の考え方では、後々つらくなるでしょう。
『愛の無い自由』か…。
気ままで楽しそうだけど、どうなんでしょ?
その人が「愛」を求めて止まないのであればつらいでしょうね。
求めていないのであればつらくもなんともないでしょう。
平気な人は「自己愛」が強いのでしょうね。
でも、「愛が無い」ってあり得るのかな?とも思います。
「水」は入れ物によって形が変わり、状況によって様々な変化を
しますが、目に映る様が変わるだけで「水」の本質は変わらないのです。
大気中にも「水」はあります。只見えないだけで。
「愛」も同じような気がします。
蛇口から出てくる「水」だけを求めているのであれば、蛇口のない場所では
「水は無い」となるでしょうけど、いたるところにある「水」を感じることが
出来れば「そんなことは無い」と思えるでしょうしね。
結論ですが、
『愛のある束縛』は、カレー(愛)味のうんこ(独占欲)と
うんこ味のカレーみたいな話で、どっちも嫌なので『愛の無い自由』
を取ります。(例えが下品で本当にすみませんm(__)m)
お礼
分かり易い解答ありがとうございます。分かち合う人がいなければ自由も淋しいだけですね。男女の愛だけではなく家族、友人、またはペットだって愛ですからね。納得です。