- ベストアンサー
昭和48年~50年頃、新設の私立大医学部のレベル
確かこの頃、医師不足を解消すべく医師養成のために国が全国の各県すべてに医学部を設置したように記憶しています。当然、国公立ですので難関には違いありません。 また、時同じくして私大も全国的に新設認可ラッシュで多くの私立医学部や歯学部が開学しました。 今でこそ私立医学部は最低でも理科大レベル位の学力がないと入れませんが、当時は寄付金を積めば多少、学力が劣っていても比較的楽に入れたようなことを聞いています。 まあ、卒業後は国家試験があるので入ってからの大変さは今と比べても変わりないでしょうが、当時の新設私立大医学部の入試レベル(偏差値)はどの位だったのでしょうか?
- みんなの回答 (3)
- 専門家の回答
質問者が選んだベストアンサー
>当時は寄付金を積めば多少、学力が劣っていても比較的楽に入れたようなことを聞いています。 まず、偏差値や最低ラインのレベルの話の前に、現在との違いを指摘しておきます。 当時は、寄付金を払うのは、いわば、常識でした。裏口でもお金で成績を買うのでもないのです。システムとしてそうなっていたと言うことです。 当時の私立の医学部の学費は、公表する金額が実際にかかるものより、極端に低く出していました。初年度、300万とかそういう金額だったのです。その金額で入学切符を手にできる人はほんの少数です。多くの「正規合格者」も寄付金を要求されました。500万もあれば、800万もあったでしょう。そのあたりまでは、いわば、常識です。 問題は、それ以上の場合です。新設医大を中心に、2000万なり3000万なりと言う噂が飛び交っていました。某大学は5000万もあったようです。人数にして何人かはわかりませんが、最後の10名程度はそういう人が混じっていたことはかなり広く知れ渡ってました。 こういう人の学力はどうしても低いわけです。 それで、本題に戻りますが、現在でも、最底辺はマーチの法政工学部、理科大工学部レベルです。偏差値60いかない訳です。 当時も普通の最低ラインは同じくらいですが、その特別多く払う人は当然もっと下です。 現在では入れなかったレベルの人が混じっていたことは否めません。 ところで、そういう不透明なことが裏口入学の噂や、寄付金をめぐって、トラブルや憶測が入り混じり、学費の透明化、寄付金の強制の廃止を促され、ある時から、一斉に変わりました。 初年度がどこも1000万と出すようになりました。始めからそうして置けばよかったのです。300万と公表して、700万寄付を強要するよりも。 以後、裏口の噂は急速になくなりました。極端に学力が落ちる学生もいなくなりました。 それと、もう一点。 政治力と言いますか、昔は有力者、本当の有力者のコネはありましたよ。 今はそんなことをすると、内部告発もあるし、マスコミに叩かれますからないです。 ということで、 概ね、当時も今も、最底辺は変わりません。 変わったのは、そのもう少し上です。 もう少し上も、それほどではなかったのですが、必要な学費が透明化されて、サラリーマン家庭でも恐れることなく受験ができるようになりました。初年度の1000万さえ用意すれば、進学させれる家庭は結構あります。特に女子が増えてから偏差値が上がってます。
その他の回答 (2)
- nnokonoko-c
- ベストアンサー率16% (28/167)
新設の大学と言うものは始めはどうしても低いものでしょう。 それと、今と当時では志願者の数が違います。 今のほうが難しいのは誰が考えてもわかると思います。 現在の偏差値の5つ下くらいのものじゃないですかね。10も違うわけないです。 いずれにしましても、 芝浦工大 東京都市大 日大理工 地方国立大工学部(旧ニ期校レベル) (http://okwave.jp/qa/q5672525.html) このあたりのレベルでは到底無理ですから、深く考えることもないのでは?
お礼
ご回答ありがとうございます。 「下衆の勘ぐり」・・・ 下賤(げせん)の者は、何かにつけて妙に気を回し、邪推するものだ。 この場合の下賤とは、身分が低いことではなく、考え方が貧弱だということ。(Yahoo!知恵袋より) まあ、「金持ち喧嘩せず」ですな。
- poomen
- ベストアンサー率34% (784/2278)
そんな昔の話は覚えていませんねえ。しかし、今現在の易しい私大医学部よりは難しかったことは確実です。
お礼
ご回答ありがとうございます。
お礼
ご回答ありがとうございます。 とても参考になりました。