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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:もし・・・もしも復讐してたらどうなってたのだろう)

復讐していたらどうなっていたのか?

このQ&Aのポイント
  • 小学生時代にいじめを受けていた経験を持つ質問者は、もし復讐していたらどうなっていたのかについて考えます。
  • いじめを受けた当時、質問者は声が上ずってうまく反論できず、口に出せない苦しさを感じていました。
  • 学校を転校することで問題は解決されましたが、質問者はいじめのトラウマを抱えており、感情を表現することに苦労しています。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • ucok
  • ベストアンサー率37% (4288/11421)
回答No.2

ご回答でも示唆されているように、「我慢したという対応で正解だったのでしょうか」というよりは、我慢しかあなたにはできなかったわけですよね。それを今さら否定しても始まらないわけで、悔しいからこそ、あなたは逃げたり演技したりという、ご自分なりの解消方法を見出せたわけですよね。つまり、あなたはあなたに合った弱点克服法を、まっとうな年齢で見いだしたのだから、それでいいような気がしますが。 それに、あなたは、いじめがあって初めて、それを理由に転校したから、逃げたという印象に苦しめられているのかもしれませんが、私は転勤族だったので、常に“結果的に”逃げていました。ちなみに私は、そのおかげで怖いもの知らずになったのですけどね。つまり、「何をやっても、行き詰ったら、きっと引っ越す時期が来るだろう」みたいな感覚がどこかにあるので、つい、何にでも挑戦してしまうのですよね。まあ、そんなこんなで、逃げること自体は普通なんじゃないでしょうか。一生、同じ狭いところにとどまるなんて、私には考えられません。 しかし、相手を殺したり死なせたりしなくてよかったですね。そんなことをしたら、あなたは一生、社会の負け犬になりますから。見返すなら、ヤツらよりも立派な大人になるといいのではないでしょうか。「自分でも気持ちを殺してる事に気がつかなくて、時々『むかつくんだよ!』と、泣きさけぶようなことがあ」ったり、「とにかく人に物を投げ」たり、「とにかく怒り続け」るのも、よくあることだと思いますが。 子供に「殴られたら殴り返せ」と教えるのも当たり前だと思いますよ。ただし、その前に、致命的な怪我を負ったり負わせたりしないためのケンカの仕方を教えてあげてね。

erumo5
質問者

お礼

>あなたはあなたに合った弱点克服法を、 まっとうな年齢で見いだしたのだから、それでいいような気がしますが。 ありがたいです。そう言われると救われます。たしかに、 考えても過去のことだから仕方ないですね! >何にでも挑戦してしまうのですよね。 >逃げること自体は普通なんじゃないでしょうか。 なるほど!!回答者様のように何度も転勤してるわけではないですが、 確かに私にも、行き詰っても去ることが出来るという意識はあります。 それもチャレンジ精神に繋がってると思うと、人生って不思議ですね。 >あなたは一生、社会の負け犬になりますから。 見返すなら、ヤツらよりも立派な大人になるといいのではないでしょうか 確かに、殺したりしなくてよかったです。「殴られたら押し黙れ」 が親の教えだったので、当人的にはとても辛かったです。 世間では「殴ったら殴り返せ」が当たり前とは、びっくり。 そんな話を周囲とした事がないから知りませんでした。 私の代からは、怪我を負わせない正当防衛は良しと教えます。 回答ありがとうございます。なんだか、すっとしました。

その他の回答 (1)

  • Tori_30
  • ベストアンサー率27% (653/2415)
回答No.1

もしも・・・ってどうしても考えちゃうけど。 僕も、貴方ほどひどいイジメは受けてないけど、気の弱い子だったよ。 納得出来ない事、嫌な事、口をつぐんで耐えるだけの子供だった。 僕も時々考える。あの時、もっと自分が気が強かったら。恐れない子供だったら。今の自分だってもっと違う人生があったんじゃないか? 考えるけどさ、もうどうしようもないよな、って思うんだよ。 今更やり直す事なんて出来ないしさ。 うん。きっと僕も、自分の子供には「やられたらやり返せ」と教えるのかもしれない。 昔の事はどうにも出来ないから、じゃあ今のこと、次の世代の事に考えが移るのは自然な事なんだろうね。 ・・・。 ただ、もっと考えてみようよ。 「やられたらやり返せ」でやり返せるものなら、貴方はとっくの昔にやり返せてるはずだよね?僕だって、やり返していいものなら、そりゃやり返してたと思うよ。その方が楽なのは、子供だって分かってる話なわけじゃん? でもやり返せなかったのは、そこにどうしてもやり返せない事情があったはずでさ。 どうしてやり返せなかったのだろう?どうしてやり返さなかったのだろう? 大人になった僕達が振り返るべきは、そこなんだと思う。 力で勝てないからやり返さなかった。 それは多分、違うと思うんだ。 一人が多数に力で勝つ。無理でしょ。ましてや女の子。それで、勝て。やり返せ、と言う方がどうかしてる。 暴力以外にもやり込める方法は沢山あったわけでしょ? 先生に言いつけるとか、もっと陰険な方法を取るとか、みんなで対抗するとか。 あの時やり返せなかったのは、その方法が取れなかったからじゃない? 気付くべきは、そういう事なんだよ。 なんていうかな。 今の僕は、やり返すその方法をもっと突き詰めて教えたいと、そう思う。 他人を頼るとか、親を頼るとか。そういう事を。 というか・・・やり返す必要なんてやっぱりなかったんだ。子供ながらに「我慢した」その選択は正しかったと思う。やっぱり生きるために最良の選択を、子供ながらにしていたんだよ。 ”頼るもののない子供”としては、ね。 悔やむべきは、数を頼るという単純な方法を取らなかった、いや取れなかったあの時の僕達の状況なんだろう。 今は大人の僕達は、それがどれだけ愚かな事、要領の悪い事かを知っているわけで。 あの時の大人は、そういう事を教えてくれなかった。そういう手段を取らせてはくれなかった。 じゃあ、今の僕達は違う大人になろうよ。教えてあげよう、子供に、次の世代に。 何も、数を頼んで”イジメ返せ”と言いたいわけじゃない。それは良くない事だ。それも、大人なら分かるだろ? やり返すんじゃない。かといって、ただ耐えなきゃいけないわけでもない。 「みんなで立ち向かおうよ」そういう教えをさ、繋げていこうよ。 そして出来れば、「いじめには関わらない。」そういう非生産的な事には関わらなくて済むような、そんなシステム、答を。やっぱり出さなきゃいけないんだ。 その為に、考えよう?

erumo5
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 多くはないのですが、とても仲がいい女子の生徒が3~4人居ました。 普通に仲がいい程度の子であればもっといました。 その女子が私と結託するのではなく、その男子達とも仲が良かったので あちらからすれば、抑止力にはなりませんでした。 誰もが傍観だったこと、いじめっこと親友が仲が良かったことは 何とも言えない恐怖がありました。 味方がいても、周囲に仲間が居ても、いじめはそこだけ空間が 切り取られたみたいになくならなくて・・・。 立ち向かうというのは、いじめを辞めてもらうように周囲に 動いてもらうイメージでしょうか? 当時、自分にもどこか悪いところがあると自責していたので そのように動くことがありませんでした。 立ち向かうよう人を動かせるほど、自分の正当性に自信が 持てませんでした。 今、思い返すと外見の事ばかりだったんですけど・・・。 私が親になったら、いじめの話を聞いてあげて客観的に 判断して、あんた悪くないじゃんって言いましょうかね・・・。 当時、突然のいじめという問題から、立ち向かう以前に 立ち向かえるほどの自信さえなくなってしまってました。 やり返さず、立ち向かうという事は、むずかしくて 答えが出ませんが、その方向で考えてみるようにします。 やり返すとかじゃなくて、人道的な方向でいじめを収める方向を 提示して下さりありがとうございます。

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