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12年程前のパソコンデスクの話なんですが・・・
どうでもいいような質問のようで恐縮ですが、 凄く気になっていることがあります。 12年程前に“エニックス”というメーカーがパソコンデスクを販売していた事ってなかったでしょうか? そのエニックスは今の“スクウェアエニックス”になる前のエニックスの事かは、 当時も今もわかりません。 (とりあえず今、エニックスで調べてもゲームと漫画くらいしか携わってないような。。。) また自分の記憶でも、メーカー名が100%エニックスかと問われると、 80%くらいしか自信はありません。 ただ日本の家電量販店で売られていたのは間違いありません。 御記憶のある方いましたら教えてください。
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- dogday
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発売していましたよ。 エニックスはゲーム開発以前は、小西六写真工業(のちのコニカ、現コニカミノルタ)のマイコン機器部門、小西六エニックスでしたから。 当時のパソコンゲームやファミコンゲームは、一人で企画開発するのもごく普通だったので、 パソコンゲームのアマチュアコンテストを行なって、その入賞プログラムを販売するという形態で、エニックスはゲーム業界に参入しました。 そのコンテストに、大学生天才プログラマーとしてすでに有名だった中村光一や、フリーで漫画原作や雑誌編集者をやってた堀井雄二がいて、 中村光一がファミコンゲームのプログラマーとして、大学卒業後にエニックスに入社、ドラクエのプログラム面の開発を行い、 堀井雄二は、パソコンゲームの開発を副業に、本業の雑誌編集のほうで、集英社の少年ジャンプをスポンサーに連れてきて、ドラクエの開発費と宣伝費を稼いできました。 当時のジャンプ編集部の中に、桃太郎電鉄のプロデューサーであるさくまあきらや、桃太郎電鉄のキングボンビーのモデルである榎本一夫もいます。榎本一夫はデザイナーでドラクエのロゴデザインやパッケージデザインを手がけました。 鳥山明もジャンプの縁でスカウトし、すぎやまこういちも堀井雄二のゲーム友達として手弁当で連れてきたので、ドラクエ1当初、エニックスは開発費をほとんどかけていません。完成パッケージの買取に近い。 ドラクエ1のヒットを受けて、翌年発売のドラクエ2の開発費からインセンティブが支払われています。 エニックスは、ドラクエの成功で、ゲームキャラクター版権事業や出版部門を作り、スクエアとの合併でスクエアエニックスへ、 中村光一は、スクエアを退社し、チュンソフトを設立(大学生のときもチュンソフト名義で活動してました)。 堀井雄二は、それまで自社開発ばかりだったゲーム業界に、ハリウッド映画でいう製作総指揮という立場で、金銭面までプロデュースする、新しいゲーム開発形態をドラクエで作ったことになります。
お礼
ありがとうございます。 とても詳しいですね。 知っている人物の話なので興味深かったです。 ただパソコンデスクに関してもう少し知りたかったです。