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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:躁鬱が改善後、後悔、罪悪感について)

躁鬱が改善後、後悔、罪悪感について

このQ&Aのポイント
  • 躁鬱病を患っていた女性が改善後も後悔と罪悪感に苦しんでいます
  • 躁状態での非常識な言動が職場で行われ、その記憶が苦しい
  • 躁うつ病や同様の経験を持つ人々の心情や困りごとについて

質問者が選んだベストアンサー

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  • tomas199
  • ベストアンサー率19% (9/46)
回答No.2

私も統合失調症で入院し、退院して回復したのですが、今でも周囲の人に迷惑をかけた罪悪感があります。 病気のせいとはいえ、自分勝手だった・・と思うことが多いです。 たしかに、世の中にはいろいろな人がいます。 精神疾患のある人、ない人・・・ 精神疾患があるということで、劣等感を感じてしまう気持ち、わかります。 しかし、いま現在、他人に迷惑をかけない状態で生活できていれば、それでいいのではないでしょうか? 経済的に自立し、身のまわりのことを自分できちんとして、自活できていればそれでいいのではないでしょうか。 障害年金で食べているわけでもないし、自分で仕事もされているのでしょう? 自分が可愛い病みたいになっちゃうのがメンタル系の病気ですが、 病気だという理由でふんぞりかえっている人もいます。 そういう状態でなければいいのではないでしょうか。 ひとに迷惑をかけなければ、何をしようが自由な世の中です。 自分が中心に世界がまわっているわけじゃないと気づいただけ、まわりに迷惑をかけていると気づいているだけ 病気が回復した証拠ですよ。 「ひとのときを思う、ひとのためを思う」なんかのCMにありましたけど、 ひとのために生きることをこれからは目標として、ボランティア活動などされてはいかがでしょうか。 小さな植物を育ててみるとか。 自分もひとのために役に立つんだなと思えれば、罪悪感も消えますよ。

kanoeinu
質問者

お礼

こんにちは。回答有難うございます。 とても劣等感の塊でした。 今現在は、迷惑を掛けてはいないと思います。 当時私は自分や他人を批判ばかりしていた最低な人間でした。 そうしなければ、生きていけなかったのだと思います。 そのせいで、他人様をとても傷つけたと思います。 私の場合は病気のせいだとは頭では解っているのですが、一方でただの人格の歪みだったのでは無いかと言う自分に対する不信感も強いです。 (歪み自体がそもそもの原因なのだとも解っているのですが…) ただ今になって漸く紆余曲折の末、本当の自分に向かい合いつつもあり、当時の自分をどう認めて行くかで自身の中に強烈な葛藤があります。 自分をただ自己肯定しようとするのではなく、「自身を受け入れる」と言うアイデンティティの確立を図りたいのです。 >「ひとのときを思う、ひとのためを思う」なんかのCMにありましたけど、 ひとのために生きることをこれからは目標として、ボランティア活動などされてはいかがでしょうか。 小さな植物を育ててみるとか。 自分もひとのために役に立つんだなと思えれば、罪悪感も消えますよ。 これはピンと来ました。 仰る通りですね。 今日知り合いの為を想ってしたことがとても喜ばれて本当に心から嬉しかったです。 ここ最近になって漸く「他人を想う」ことを理解しつつあります。 誰かのために役立つことで自分を肯定出来るなら、こんなに嬉しいことはないです。 心に響く回答を有難うございました。

その他の回答 (2)

noname#157261
noname#157261
回答No.3

完全に病気は治ったようですね だから今までの自分が見えるのだと思います 今まで病気であなたがしてきたことは過去のこと 過去へは戻れないし取り返しが効かない いいんですよ 過去は過去として たとえ病気だとしでも悪いところに気付いたのなら それを反省すればいい でも間違えて欲しくないのは病気がそうさせたこと あなたの意思ではない けど行動は事実なのだから 普通に反省して 対策を練り繰り返さなければいい 過去の出来事を後悔、罪悪感で終わりにしなければいい 反省と対策で繰り返さなければいい でも今回の質問の前になぜ病気になったのか 病気にさえならなければこの質問はない そこを反省して対策を練る もしこれが出来るならそっちを考えた方がいいと思います そしたら再発はまずないでしょう もし良かったら一緒に考えますよ

kanoeinu
質問者

お礼

こんにちは。回答有難うございます。 はい、病気はほぼ完治していると思います。 病気のお蔭で本当の意味で自分を知ることが出来たと思っています。 病気が頂点だった時、それは私の膿が膨らみに膨らんで破裂した時だと思いました。 そうなることで、私は漸く私に気付いたのだと思います。 これが私自身を傷つけるだけで気付けていたならば、対処出来ていたならば… そうすれば、こんなに罪悪感で苦しむことも無かった…。そう思ってしまいます。 でもその考えこそが傲りなのだと、人の手を借り、助けられて漸く気付けました。 頂いた回答もその一つですね。 私は自分の生きた、選択した人生の経緯を今、冷静に分析し、見つめ直しています。 私の人生には「愛」が足りなかったのだと思います。 そして受け取れなかったのだと思います。 感謝の気持ちを持てることが出来たのは、周囲にいる人間と、soodaneさんのような方たちの暖かいお言葉があればこそだと思います。 私もこの想いを忘れることなく、次は自分が誰かに愛を注ぎたい思います。 >もし良かったら一緒に考えますよ 暖かい気持ちを有難うございました。 素敵なHPです。

回答No.1

躁鬱病暦(双極性障害I型)6年のものです。 私も、躁状態の時に非常識な行動を多々取ってしまい後悔している一人です。しかし、それは病気のせいだと割り切って過去の思い出といいますか、にしてしまっています。 割り切りも大切かと。 一助になれば幸いです。

kanoeinu
質問者

お礼

こんにちは。 早速回答頂きまして、有難うございます。 私の場合、当初自分が躁鬱病に罹っているとは気付かず、去年に入ってから運良く、良きカウンセラーのに出会うことが出来、自覚致しました。 発覚した当初は躁状態は収まっていたのですが、そういった経緯で抑うつ状態が酷くとても悩んでいました。 私も過ぎた時間は戻せないので前を向くしか無いと思っているのですが、時折心が酷く折れてしまい、あんなにSOSを出していたのに気付いてくれなかった家族や、キツく当たられた社会を恨んでしまう気持ちに襲われてしまう時があり、そんな自分を酷く虚しく、哀れに感じています。 割り切りが大事ですよね…本当に。 同じお気持ちの方がおられただけでも心の拠り所が出来た気持ちになりました。 toku4de-su様も頑張ってくださいね。 有難うございました。