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水無昭善について
高野山で修行したとのことですが、高野山真言宗は、ああいった偽物を何故に野放しにしておくのでしょうか?真言宗のお坊さん達は、平気なのでしょうか?昔、比叡山で会った阿闍梨さんは、千日回峰行を成就して阿闍梨を名乗れると言っていましたが、天台宗と違い真言宗では誰でもなれるのでしょうか?とうにかく、高野山真言宗が指導しないことに大きな疑問を持ちます。どなたか教えてください。
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私も疑問に思い実際に現職の高野山の僧侶にお尋ねしたことがあります。 高野山の内部でも水無昭善さんのことは大きな問題になってるそうです。 高野山にはいくつかの教育機関があり、その中のどれかで修行をした人は全員が「教師」になるそうです。サンスクリット語で「教師」を「阿闍梨(アーチャリー)」と呼ぶそうですが高野山の僧侶は自らを阿闍梨と名乗ったりはしないそうです。 教師になるのは最短では約1年、合宿の実際の日数の合計では100日程度でなれるものだそうです。 その方の話によると実際に水無さんはその教育機関のひとつで修行をされており、まるっきりのインチキな僧侶ではないとのことです。ただし住職になることを認められているわけでもなく、僧侶としての地位は一番下だそうです。 私も昔録画していたビデオを確認しましたが島田紳助さんの番組とダウンタウンの番組では、くりかえし「高僧阿闍梨」と紹介をしてるようです。 たとえば2011年7月17日の「行列の出来る相談所(オネエSP)」では、「この人はね、お坊さんの中でも位が高いんでね、阿闍梨さんでね」と紳助さんが紹介をし、テロップでは「真言密教の中でもっとも位の高い呼び名」と解説が表示されています。水無さんは、ニコニコ笑ってるだけで一切否定をしませんでした。 高野山では水無昭善さんに内々に抗議をしたそうで、その結果、現在は水無さんは阿闍梨を名乗るのをやめたそうです。最新の書籍「仏母のこころ」では「阿闍梨の位をいただきましたが、高い地位だと思われてる方も多いようですが、私は下から数えたほうがいいくらいのまだまだのお坊さんです」という趣旨のことを書いています。ただし、前述のとおり高野山では水無さんは「下から数える」どころか「一番下」です。 水無昭善さんのお寺についてもその方にお尋ねしたのですが、高野山のお寺ではなく勝手にやってるだけで実在するかどうかも含めて全くわからないとのことです。 高野山で修行経験があるだけで、実際には独立系の新興宗教の教祖が水無昭善さんであると考えたほうがいいとおもいます。
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宗教法人ですが、1個1個のお寺が独立しており、本山はチェーン店の本部のような形で上納金を集めるという構図だと思います。 そのため本山と合わなければ独立するも自由、収入の多い有力寺院は独立するところも多いと聞きます。 さらにこの御仁はWikiによれば、高野山真言宗の僧侶ではないとされていますし、住職を務めるお寺も宗教法人格がないと書いてあります。 つまり芸能事務所「高野山真言宗」阿闍梨(=社長)の***と言うことで、僧侶でも何でもないので営業妨害でもなく、職種も違えば契約もない、紛らわしい芸人が出たので困ったと言うだけの話と思います。 私が高野山真言宗OK派大僧正を名乗り、自称僧侶であっても、宗教法人の認可を受けず税制面の優遇も受けない状態で、人生相談や拝み屋を開業しても、それは自由だし、宗派の異なる他派から文句を言われる筋合いもないです。
お礼
ありがとうございました。要は、法的な問題ではなく、道義的な問題ということですね。
お礼
丁寧に教えていただきありがとうございました。いわゆる新興宗教の教祖であり、高野山真言宗ではないのですね。納得しました。以前読んだ本ですが、僧侶の戒律には「化粧をしない」という項目があったはずなのでおかしいと思っていました。でも、テレビを見ている人は、知らないでみてますよね。なんか変ですね。