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なぜ偉大な作曲家はドイツ人が多いのか?

いつも疑問に思っていたのですが 一般に偉大とされる作曲家はバッハ、モーツアルト、ヴェートーヴェンとかだと思うのですが この3人はみなドイツ人です。 素朴な疑問としてなぜドイツ人が多いのでしょうか? 当時文化度でいけばイタリア、フランスのほうがドイツ(オーストリアを含む)よりも高い気がしますし 当時オーストリア帝国は栄えていたのはわかります。けれど同じように栄えていたフランスは上記のような音楽に興味の無い一般にも有名な作曲家は出ていません。 そう考えるとなぜ当時のドイツが偉大な作曲家を輩出できたのか疑問です ご存知の方いらしましたらよろしくお願いします。

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  • GC508S
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回答No.2

やはり、学校で教えられた通りの音楽の授業だけを信じて いるように思われます。たとえば、モーツァルトは オーストリア人です。モーツァルトのあの明るい音楽は ドイツではなく、イタリア音楽から来ています。 また、ロマン派音楽を最初に切り開いたのは、私は フランス人のベルリオーズだと思っています。 ベートーヴェンが亡くなった3年後1830年に書かれた 幻想交響曲だと思っています。 音楽史でいうと「バロック音楽」を切り開いたのは、 イタリア人のモンテヴェルディのオペラ「オルフェオ」で 1608年頃と言われています。 ピアノで有名なショパンはポーランド/フランスのハーフです。 リストはハンガリー人です。バロック音楽から古典派に 移行するのに最も影響を与えたのは、イタリア人の G.B.サンマルティーニだと思います。 「ルネサンス音楽」はフランドル地方や北イタリアで発展 しました。 ピアノという楽器はご存じのように1709年イタリアの クリストフォリに始まり、ベートーヴェンが使っていた イギリス製のブロードウッドでしたし、ショパンが 使っていたのはフランス製のプレイエルでした。 ピアノが今日のようなものになったのはアメリカ製の 1852年製スタインウェイでした(鋼製フレーム・ダブル エスケープメント)。 クラシック音楽といいますが、この言葉が通じるのは 日本だけです。 英語ではクラシカル・ミュージックといわないと通じません。

その他の回答 (2)

  • guine
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回答No.3

(1)(既に回答があるように)日本の近代音楽教育においてドイツ・オーストリアを模範及び基準としたことで偏りが生じたため。交響曲に価値を置いたことから、3Bやハイドン、モーツァルトに軍配。 (2)(既に回答があるように)上記の理由から、「一般に偉大とされる作曲家」の認識自体において、世界基準と日本基準でギャップがあるため。(※恐らく“世界基準”そのものがないと思われる。非西洋圏はもちろん、西洋の中でも民族・歴史・国の成り立ち等により対西洋音楽観が異なることから) (3)(現状認識を基準と仮定した場合)伝統的な対位法とルネサンス時代以降に興った和声法を組み合わせ昇華させたのがJ.S.バッハの功績で、以降和声法が支配的となったため。 参考: http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AF%BE%E4%BD%8D%E6%B3%95(対位法について) まとめただけです。 あと、関連しそうな質問がバックナンバーにありましたので、参考として添付しました。

参考URL:
http://okwave.jp/qa/q4228903.html
noname#157218
noname#157218
回答No.1

 極端な言い方をすれば、日本における「偉大な作曲家」の価値基準が、ドイツ・オーストリアの価値基準によっているからです。  日本のクラシック音楽界における「偉大な音楽芸術」とは、深遠で、精神性があって、哲学的で、真面目で、首尾一貫していて、内容だけでなく形式や構成もきちんとしていて、「永遠」「宇宙」「世界全体」「神」といった概念に通ずるものとされているのではないでしょうか。これって、「文部科学省推薦」そのもですよね。  フランスの美学では、1時間も2時間も、1000人以上の人が暗い客席にじっと座ってステージに全神経を集中させて音楽を聴いている、というのは異様な光景に映るのではないでしょうか。小さなサロンで、気心の知れた仲間たちと、いっとき音楽に身耳を傾け、ワインや食事を楽しみ、会話を楽しみ、その中にある音楽が最高、という価値観ではないでしょうか? そもそも、音楽は芸術ではなく、「美」であり「快楽」なのでは? (冒頭に書いたように、「極端な言い方」ですのでお許しを)  イタリアもきっと同じようなものでしょう。きれいな女の子(女性から見れば素敵な男性)といちゃいしながら、ベルカントな美声で愛の歌を聴かせてもらえば最高さ! 音楽も異性も、人生の装飾品で、見栄えが第一。「精神性」? そんな陰気なものに用はないよ。(これも「極端な言い方」ですのでお許しを)  ドイツの中でも、女性にちょっかいを出さずに独身で、交響曲などの「絶対音楽」を中心に作曲したベートーベン、シューベルト、ブラームス、ブルックナーなどが「偉大な音楽家」、女性にルーズで娯楽要素の大きい「オペラ」で活躍したワーグナーなどは、同じ「偉大」でも格が落ちるように扱われていないでしょうか。  質問者の方のおっしゃる「偉大な作曲家」は、中学校や高校の音楽の授業でそう植えつけられているだけなのではありませんか。要するに、日本の文部科学省の「良い子の、良い音楽」という基準なのではないでしょうか。

unkodayo
質問者

お礼

早速のご回答ありがとうございます。 なるほど確かに自分の思う偉大な作曲家というのは学校で習ったものなので 文科省の推薦するものに偏っているというご意見その通りかもしれません。 やはりドイツ・オーストリアの価値基準というのは明治時代に日本はドイツから 技術や学問・医学などを導入した名残かもしれない気がしてきました。 それとご回答者様が上げられたフランスとイタリアの美学ですが 読んだ瞬間にロッシーニのイメージがわきました。 確かにロッシーニを輩出するような国からすれば 音楽は芸術ではなく「美」であり「快楽」に近いというのは納得です。

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