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「フランダースの犬」のような悲しい作品の存在意義とは?
- 「フランダースの犬」のような悲しい作品は、人々に共感や感情を引き起こすために存在します。
- これらの作品は人生の苦難や困難を描き、観る人に勇気や希望を与えることがあります。
- また、これらの作品は社会的な問題や倫理的なジレンマを探求し、考えさせる機会を提供する役割も果たしています。
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原作の絵本もアニメも観ていませんが、参考になればとの思いで回答させていただきます。 (回答するにあたり、ウィキペディアの『フランダースの犬』の項と、これまでの他の方の回答は読みました。) http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%95%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC%E3%82%B9%E3%81%AE%E7%8A%AC >「フランダースの犬」のような悲しい作品は何のために存在するのでしょうか? pringlezさんは、創作悲劇の存在意義を問うていると解釈し、回答します。 まず、子どもに悲劇を読ませる場合ですが、これは「他人を思いやる心を育てるため」ではないでしょうか? おばけの話を聞かせて、「怖い」という感情が君にはあるんだよ、と教えるように、「悲しみ」や「可哀相」という気持ちを教えられるのかと思います。「悲しくない」と言う子もいるかと思いますが、そういった場合も、その子の個性を知る良い機会になるのではないでしょうか。いわゆる情操教育というやつです。 なかには「ネロは可哀相だよね。こういう人がいたら助けてあげようね」とか、「こうならないような社会にするにはどうしたらよいか」ということにまで発展させる大人もいるかと思いますが、これは道徳教育の意味があるのでしょう。 つぎに、自主的に悲劇を読もうとする場合ですが、これは「興味を満たすため」か「自己憐憫のため」ではないでしょうか? 「興味~」というのは、単純に「可哀相なことが見たい、知りたい」という欲求のことです。「ホラー映画で、気持ち悪いものが見たい」とか、「友達の恋愛話を聞いて、ドキドキしたい」とか、そういった類のものです。人はどこまで可哀相になれるか、という純粋な知的(感情的?)興味です。 「自己憐憫~」は、「(部分的であるにせよ)私と似ている境遇のあの子は、あんなにつらい目に遭っていて可哀相!」「こんな悲しいことが起きるのは、○○のせいよ!」と考えることです。自身の現実の境遇や生活と重ねることで、涙し、ストレス解消に役立っているのではと思います。 以上が、私の考える悲劇の存在意義です。ここからは、これまでのpringlezさんと他の回答者さんのやりとりを読み、私が「いわゆる一般的な悲劇」に対して抱いた感想です。 悲劇は、その原因が社会なり他人なりにあることで成立しています。もし、自分のせいなんてことになれば、それはただの自業自得になってしまいます。そのため、悲劇はしばしば「同情可能」なのか「自業自得」なのかで意見が分かれます。 『フランダース』にしても、さるベルギー人映画監督に言わせれば「負け犬の死にしか見えない」そうです(ウィキ参照)。 情操教育として悲劇を読み聞かせるのは、良いことかと思います。二度と起こしてはならない、史実の悲劇を語り継ぐのも重要です。同時に「どうやって悲劇を防ごうか」という議論も必要でしょう。 しかし、自己憐憫のための悲劇は好きではありません。 自分以外のすべてが不道徳、不誠実で、自分は清廉潔白で間違っていない。あるいは、日本の歌舞伎や文学などで馴染みのある「心中物」のような、社会に馴染めない者同士の美しき純愛。 どれも主人公を、ひいては自分を美化しすぎのような気がします。残念ながら、私は彼らに自分を重ねることはできません。「悲劇のヒロイン」には、なりたくありません。 自己憐憫の物語に溺れる、一部の人間の思考回路こそ、神様の書いた悲劇なんじゃないだろうか。などと考えてしまうのは、いささか早計でしょうか。 駄文、長文になりましたが、pringlezさんの参考になれば幸いです。
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- JLGREPO
- ベストアンサー率53% (75/141)
参考までに映画 『まほろ駅前多田便利軒』を見て下さい。 まさにその問題が出てきます。
お礼
いつか見てみたいと思います。 ありがとうございました。
- ultraCS
- ベストアンサー率44% (3956/8947)
感情移入して涙を流すことが快感の一つだからですねえ。世の中にはこういう紅涙を絞る系の作品が結構あります。「お涙頂戴」とよばれる作品群です。 ほかにも色々あるでしょ、映画の「禁じられた遊び」渡河、浪曲の「瞼の母」、演歌の「岩壁の母」だってそうですね(古いね、例えが)。「セカチュー」とか「余命・・花嫁」だってそうですよね(新しいので例えてみました、私はこの系統は大嫌いだが)。 結局泣いて気持ちよくなりたい人々のためにこういう作品はあり、いかに泣かせるかをクリエイターは頭絞るのです。その中で「一杯のかけそば」みたいなとんでもないのがでたりします。 自分に何の不利益もない状況で泣いて気持ちよくなれるんですから、便利なものです。だって、たかが物語ですから。 人間て不思議なもので、大概の感情の高まりは結局快感なんですよ。笑っても泣いても怒ってもスッキリできるんです。で、こういうのを子供の頃から感じておくのも情操教育の一つだと思います。 もうちょっと視点を広く持ちましょう、質問者の狭量な視点ではシェークスピア四大悲劇も無意味と言うことになりかねません。
お礼
# 感情移入して涙を流すことが快感の一つだから なるほど。理由は別にしてとにかく泣きたい人がいるということですね。 私の場合映画やドラマを見た際に、感動して泣くのは好きなほうです。 例えばラスカル最終回の別れのシーンは、別れたくないけどラスカルのためを想って別れを選ぶという切なくそして感動するシーンなので、好きなほうの泣けるシーンになります。 でも可哀想で・悲しくて泣くのはあまり好きではありません。逆に可哀想で・悲しくて泣くのも好きな人がいるということですね。その辺は個人の好みの問題ということですかね。 参考になりました。 ありがとうございました。
- ple6
- ベストアンサー率63% (1286/2021)
もう少し質問者様の考えをお聞かせ願えませんか? >私はたとえ物語の中でも、あんなかわいそうな描写をしてほしくないと思います。また私はまだ子供はいませんが、将来できたとしても子供に見せたいとは思えません。 なぜ、子供に見せたくないのでしょう? 主人公が死んでしまうからでしょうか? 主人公の行った事が全て無駄だと思われたからなのでしょうか? 質問者さまはこの作品を見ることで優越感に浸ることが出来るのでしょうか? (アニメ版に従って)ネロはパトラッシュを助けたから不幸になったのでしょうか? パトラッシュを拾ったことは間違いであったと言えるのでしょうか? ただ、質問者様が、この疑問を持たれたことは大変良いことだと思います。 なぜ、主人公は死んでしまったのでしょうか? 主人公がしたことは真似してはならないことだったのでしょうか? 主人公は本当に不幸のまま生きて、無駄に死んでいっただけなのでしょうか? アメリカ等では余りにも最後が悲しいということでギリギリで命が助かる結末に変更されている物があるようですが作者の書きたかった本質はそこでは無いと思います。 とりあえず私は次のURLの中味が作者の書きたかった内容の解説をしていると思います。 http://www.a-dog-of-flanders.org/14-2.html ただし余りにもアントワークの人々のことを悪者のように書きすぎている点でご質問者様のような見方になってしまうのも仕方が無いことだと思います。 ご参考まで
お礼
サイトの紹介ありがとうございました。参考になります。 紹介していただいたサイトの結論はこうなっています。 # 「一緒に死のう。みんなぼくたちに用はないんだよ。 # ぼくたちは二人っきりなんだ。」 # # ネロはなぜ こう思ったのでしょうか? # # この世に生きながらえて苦しむよりは # 死の方が二人にとってより幸せでした。 私にはとても悲しく感じます。簡単に言えば「死んだほうがマシな事もあるよね」ということを伝えたかったということですかね。私は命はとても大切だと思っているので、このような考えは受け入れがたいです…。 ご回答者様のお考えの方向性は理解できました。そしてなぜ私がこの様な作品を好きになれないかも大体わかりました。 ありがとうございました。
- MOMON12345
- ベストアンサー率32% (1125/3490)
イソップ物語や、日本の昔話にしても今のスタンダードからすると非常に残酷な印象を受けるものがあります。 物語とは、それが書かれた時代や国や社会情勢を表しているのではないでしょうか。 物語の結末を隠す事によって、それを読んだ人の想像力を豊かにするなどという手法もあります。 これにしても断定的結末が当たり前な時代になれば、何故中途半端で終わらせるのかと疑問が出る事でしょう。
お礼
# 物語とは、それが書かれた時代や国や # 社会情勢を表しているのではないでしょうか。 なるほど。その要素は間違いなくありそうですね。 単に世相を描いたらそうなった、それなら納得できます。 もしかしたら当時の人に冷たい社会を 暗に批判していたのかもしれませんね。 参考になりました。ありがとうございました。
- char2nd
- ベストアンサー率34% (2685/7757)
この本が日本で始めて紹介されたときの広告↓ http://www.patrasche.net/nello/ouida/07.html 結末のみを見てそれがすべてだとしか感じないのであれば、「物語」の意味はないでしょう。 社会的にはそうかも知れませんが、その過程において学びうることは非常に多いと思います。 スポーツは負けたらそれでおしまいですか? それまで必死で戦ってきたこと、練習で身につけてきたことはすべて無駄になりますか? 「フランダースの犬」は確かに悲しい結末を迎えますが、主人公達の生き様から教えられること(拾ったお金を届けに行くところなど)は幾多もあるでしょう。 真っ正直に生きていくことは難しいかも知れません。でも、人として、時には命をかけて堅持していくべき事でもあるでしょう。 そういうところに気づけないのは悲しいことですね。
お礼
興味深い広告ありがとうございます。 参考になりました。 >拾ったお金を届けに行くところなど 個人的な意見を書かせていただきますとあのシーンは、拾ったお金を少し借りてパンでも買えば死なずにすんだのに、後で言えばそれくらい許してくれるよ…などと思ってしまいます。 拾ったお金を許可を得ずに使ってしまうより、衰弱死を選ぶほうが人間として正しい、とは私にはなかなか思えません。 私は命はとても大切だと思っているからです。 「命を懸けてでも守るべきものがあるときがある」という点では私も同意見ですが、あのシーンが命を懸けて守るべきルールもしくはポリシーだとは、少なくとも私には思えません。 ご回答ありがとうございました。
- k-a-r-a-p-a-n-a
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アニメのはなし? 何が「存在意識」だ。 アニメで語るな。 漢字があるけど、原作を読んでから もう一度、質問してね。
お礼
# 何が「存在意識」だ。 # アニメで語るな。 「存在意識」の意味がわからなかったのですが、もしかすると「存在意義」という漢字を読み間違えていたのでしょうか。だから何か勘違いされていたのですかね。 それともあえて自ら漢字を間違えたふりをし、その上で「漢字があるけど」と書き込むことで何か深い意味を伝えようとしていたのでしょうか。(それでも書込みの内容は意味がよくわかりませんでしたが) 意図はよく伝わりませんでしたが回答をしようとしていただきありがとうございました。
補足
回答のおつもりなのかどうかはよくわかりませんが、別にアニメに限った話ではありませんよ。 書き込みをするならばまずは質問の意図を理解してからにしていただきたいです。
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お礼
子供に対しては「情操教育と道徳教育」の意味。なるほど。 大人に対しては「知的(感情的?)興味を満たすため」というのも納得できました。「可哀相なことが見たい、知りたい」という欲求が私には無いが、それが強い人もおり、その違いなんだと理解できスッキリしました。 「自己憐憫のため」については、私には無い考えなので十分に理解できませんでしたが、なんとなくわかりました。 質問の意図を正確に読取った、そして論理的で的確な回答に感じました。 大変参考になりました。ありがとうございました。