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浄土宗と天台宗。

都会の街中に住んでおられる方には、家ごとに宗派が違うのは、当たり前の事かもしれません。当方滋賀県大津市でして、比叡山の麓になります。比叡山自体は天台宗との事ですが、当方は浄土真宗になります。もちろん天台宗の方もたくさんおられ、二分しているように思います。比叡山の麓ですので、全員天台宗でもよさそうなものですが、何故か浄土真宗は存在し、当然お寺も違います。何故このような田舎の狭い村で、このような事が起こったのでしょうか?そろそろ寺に出向きます。よろしくお願いします。

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回答No.1

浄土真宗の家から天台宗の家に嫁いだ者です。 浄土真宗は比較的新しい宗派で、また、しきたりなども天台宗よりも、合理的というか、あまり難しくなかったです。 その反対に天台宗には決まり事等いろいろあって、嫁いだ当初は、戸惑いました。 このように、質問者様の地域でも、元々は天台宗であった家が、しきたりのより簡素な浄土真宗にかわったという事情があったのではないでしょうか。 ちなみに、当時人口の圧倒的に多い農民層に急速に広がったと聞いたことがあります。

ytz500sec
質問者

お礼

おはようございます。ありがとうございます。そうなんですよ。【農民層に広がった】という、肝心の出自についての質問を忘れておりまして、天台は武家が多いのではと、個人的に思うところもあります。当方は、農民ですので浄土真宗、昨日行った親戚の家は天台で元々武家では無かったのかというのをお聞きしたかったのですが、当方も慌てておりまして、抜けてしまいました。ありがとうございました。天台は終わってから【数珠繰り】?とか言い、女の方だけでやる【アマコウ】というのがあるのですが、珍しく無かった気がします。

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  • ks5518
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回答No.2

そもそも、浄土宗の法然も、その弟子である 浄土真宗の親鸞も、元はといえば天台宗延暦寺 で修行した僧です。 浄土真宗は、本山を京都に置き、そこから多数 分派しています。とくに、福井県にも多い事から 経路として滋賀県にも多く末寺を開設したのでは ないでしょうか。親鸞は在世において、新潟県の 上越に流されています。弟子の多くが、新潟の親鸞 を求め、京都と往復する中に於いて道中で法を説き、 末寺を開設し、そこに暮らしたともかんがえられます。 因みに、比叡山延暦寺の開祖である最澄は、延暦寺の麓に ある滋賀県坂本の出身です。

ytz500sec
質問者

お礼

ありがとうございます。当方も浄土真宗が滋賀県(特に湖西地区。当方雄琴の山手ですので合致します。坂本は隣町になります)に多く、それが新潟の手前(新潟は長尾影虎ですので、毘沙門天絡み?小さなお堂は坂本で確認しました)、上洛する折、非常に妨害したとか、されたという話は読んだ事があります。今の日本では起こりえない宗教戦争のようなものでしょうか?失礼致しました。