競走という言葉はなくしてほうがいいのでは?
ロト6や株などで大きく儲けてしまったので、もう関係ないのですが、
なぜ、人はいつまでもわからないのでしょうかね?^^;;
競走がすごく大切だとかそういうことを言って仕事をはやしたてたりしていますが、
そもそも、競争がしたいという人だけがやればいいのであって、その希望がかなっているのですから、いちいち競走してない人を攻めることはないのです。
競争をしたくないという希望なのですから。
どちらも希望を満たしています。
ならよいではないですか。
そして、どちらにも裕福になる資格はあります。
そもそも最初から裕福だった家庭なら別段頑張ることなくとも、裕福にできるでしょうし、
FXなどで、手軽く勝ったとしても競走とは関係のないところにあります。
なので、どこの企業もそうですが、競走なんてしたい人だけがしていればいいのです。
もちろん、競走してる人も、してない人も給料は同じです。
関係ありません。
そんなことを記事にして出している偏見をもった記者がいたので、要するにそもそもといった、大きな枠組みで考えてもっと平等な心を持てというところです。
あと、競走という言葉も変えたほうがいいでしょうか。
もっと他の言葉にするとか。
そんなに競走競走などというのであれば、どうぞ被災者とか乙武とかをいびって仕事ができないことを揶揄してやればよろしい。
そもそも、仕事なんてものは、いまやゲームだったり車ですらそう。
遊び道具に対してみんな躍起になっているということに気づかないのでしょうか?
所詮遊び道具をつくっているというテイタラクな経済なのですよ。
そんなことで、競走とか言っていることにバカバカしさを感じないのでしょうか?
別になくても困りもしない仕事に躍起になってやれ、競走だと騒ぎ立てているわけです。
所詮、ゲームだ。なくても困らないものだ。と気づき、協力とか共存、共栄という考えをもってやっていってみんながみんないい付き合いをしていけばいいのではないですか?
テレビとか芸能人とかも特になにか仕事をしているというよりも、電線工事をしているような人に比べたらテイタラクな仕事をしているではないですか。
あんなものを尊敬して競争だとかいってないで、どんどん教え合って、知識を前へ前へしていく考えにすればいいのではないですか?
無駄な競走ばかりして、一進一退を繰り返して、だから環境もなかなかよくならないわけですよ。
協力と助け合い、享受とかね、そういうことをもっと中心に添えて、環境をもっとよくしていかなければいけませんね。
お礼
ありがとうございます。検索します。