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ダーウィンとバロック音楽についての疑問
- ダーウィンの時代のイギリスでもバロック音楽は演奏されていたか?
- バロック音楽は庶民も楽しんでいたのか、それとも限られた人たちだけのものだったのか?
- 17~18世紀のイギリスでの音楽は貴族の女性が趣味で弾いたり、ダンスパーティで演奏されるものだった。
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No.3の回答者です。バロック音楽の時代背景に関心がおありのようなので、補足しますね。 ソナタや組曲などの室内楽は、王宮や貴族の邸宅で演奏されることが多かったと思います。また、富裕な商人などは貴族の邸に出入りしていましたし、商人が音楽家のパトロンになることもありました。 ●シャルル・デュパール『6つの組曲』より (当時の衣装を着て踊っています。「組曲」とは舞曲を集めたもの。) http://www.youtube.com/watch?v=cUe7vYPggns ●バッハ『音楽の捧げ物』より (これはバッハがプロイセンのフリードリヒ大王(在位1740-86)のために書いた室内楽の曲集です。なお、この動画に使われている絵は「フルートを演奏するフリードリヒ大王」です。) http://www.youtube.com/watch?v=A_QyMwBRN9U フランスのルイ14世(在位1643-1715)は、「ミスター絶対王政」みたいな人で、「朕は国家なり」の名言?を残し、ヴェルサイユ宮殿を建てさせた人。音楽や踊りが好きで、若いころ自らバレエに出演して「太陽」の役を演じたので、「太陽王」のニックネームがあります。ルイ14世を描いた映画から、そのバレエのシーンをどうぞ。 ●映画『王は踊る(原題:Le Roi Danse)』より (前半の派手な曲はリュリのオペラ『町人貴族』より「トルコの儀式のための行進曲」) http://www.youtube.com/watch?v=BMvpvDjFvHA そのルイ14世に仕えた女性の作曲家で、エリザベート=クロード・ジャケ・ド・ラ・ゲール(1665-1729)という人がいます。楽器製作者の家系に生まれ、5歳で王の前でクラヴサン(=チェンバロ)演奏を披露した天才少女。19歳で結婚して王宮を辞しますが、早くに夫を亡くし、女性なので宮廷楽長や教会オルガニストにはなれず、知り合いの貴族の邸でコンサートを開いたり、自宅で音楽を教えたりして生活しました。 ●ジャケ・ド・ラ・ゲール『クラヴサン組曲第1番』より「プレリュード」 http://www.youtube.com/watch?v=LFdPW51rTPg ●ジャケ・ド・ラ・ゲールのオペラ『セファールとプロクリス』より http://www.youtube.com/watch?v=aWoow1442_Y オペラは、コーヒーハウスではなく、大きな劇場で上演され、王侯貴族から市民層まで多くの人が楽しみました。 ●クラウディオ・モンテヴェルディ(1567-1643)のオペラ『オルフェオ』の一場面 (ごく初期のオペラで、このあたりから「バロック音楽」が始まったとされます。) http://www.youtube.com/watch?v=rIikKqHAKs4 ●ヘンデルのオペラ『リナルド』より「涙の流れるままに」 (映画『カストラート(原題:Farinelli)』の一場面。カストラートとは、去勢された男声ソプラノ歌手です。同じころ日本でも歌舞伎の女形というのがありましたが、カストラートは男性の役を演じたのです。) http://www.youtube.com/watch?v=t9h7oB0TpLY 一方、コーヒーハウスなどで市民が楽しんだのは、協奏曲などが多かったようです。バッハだと『ブランデンブルク協奏曲集』や『チェンバロ協奏曲集』など。あと、おそらく『コーヒー・カンタータ』も。 ●バッハ『ブランデンブルク協奏曲第4番』より第1楽章 http://www.youtube.com/watch?v=MDrLX7FXba4 ●バッハ『コーヒー・カンタータ』より「ああ、コーヒーはなんて美味しいのかしら」 http://www.youtube.com/watch?v=2c8q7b4H7sE 司祭でもあったヴィヴァルディは、身寄りのない少女を養育する「ピエタ養育院」というところで女性たちに音楽を教え、毎週開かれるコンサートのために、協奏曲や宗教曲などを数多く作曲しました。これは庶民も楽しめる場だったと思います。 ●ヴィヴァルディ『ヴァイオリン協奏曲集「和声と創意の試み」』中の「四季」より「冬」第2楽章 http://www.youtube.com/watch?v=FyLyyP5uZpo ●ヴィヴァルディ『まことの安らぎはこの世にはなく』 http://www.youtube.com/watch?v=S7YdZuFTjpo
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- mizuki_amari
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ちょっと長文になってもいいですか?(^-^; 中世(14世紀ごろまで)のヨーロッパの音楽は、今で言う民族音楽のようなものでした。次の曲は、聖地巡礼に行く庶民の間で歌われたものです。 『アルフォンソ10世のカンティガ集』より「聖母マリア、夜明けの星よ」 http://www.youtube.com/watch?v=GtYOx37bX6g ルネサンス(15~16世紀)になると貿易が盛んになり、文化も発達します。特に16世紀のスペイン・ポルトガルは「大航海時代」と呼ばれ、世界中に植民地を広げます。その時代には、神や王を称える美しい音楽が盛んに作られ、大航海と布教活動の原動力になったと思われます。 トマス・ルイス・デ・ビクトリア(1548-1611)『レクイエム』より「キリエ」 http://www.youtube.com/watch?v=o8CV71uf88A アントニオ・デ・カベソン (1510-1566)『PARA QUIEN CRIE YO CABELLOS』 http://www.youtube.com/watch?v=JxUXemY2be8 (日本のキリシタン大名なども、このような音楽に触れた可能性があります。) バロック音楽の時代(17世紀~18世紀半ば)は、世界史で言うと「絶対王政」の時代です。貿易の発達により富裕市民層が台頭し、これを恐れた王侯貴族が、「王権神授説」により自らの権威を高めようとしました。音楽においても、神や王の権威を賛美するための壮麗で重厚な音楽が求められるようになりました。宮廷の楽長や、教会のオルガニスト(兼音楽監督)になるのが、音楽家の最高のステータスでした。 バッハの葬儀用カンタータ『侯妃よ、なお一条の光を』より第1曲 http://www.youtube.com/watch?v=1DA5mYizc20 その一方、富裕な市民層がオペラを楽しむようになったのもバロック時代です。コーヒーハウスなどで市民のためのコンサートも開かれるようになり、バッハなどもそういう場で演奏しています。また、教会でもしだいにオペラ風のドラマティックな宗教曲が演奏されるようになります。当時の教会は、庶民がバッハやヘンデルのような大音楽家の演奏を楽しめる場だったんですよ。 ヘンデルのオラトリオ『メサイア』より「幼な子はお生まれになり」 http://www.youtube.com/watch?v=TN5BaOGTmGs 古典派音楽の時代(18世紀後半~19世紀初頭)は、フランス革命やアメリカ独立戦争などがあり、王侯貴族が没落してゆく時代です。代表的な音楽家はハイドンやモーツァルトで、騒々しい世相とは逆に、柔らかく優美な音楽が好まれました。チェンバロに代わってピアノが普及します。この時代のパリの流行歌『Ah, vous dirai-je maman(あのね、お母さん)』のメロディーをモーツァルトがピアノのための変奏曲に仕立てたのが、通称『きらきら星変奏曲』です。 『Ah, vous dirai-je maman(あのね、お母さん)』 http://www.youtube.com/watch?v=eT5pw8E5IYE モーツァルト『(通称)きらきら星変奏曲』 http://www.youtube.com/watch?v=4uof7JZI6Oc (ちなみに"twinkle, twinkle, little star"という英語の歌詞が付けられたのは、モーツァルトの変奏曲より後なのです。) 19世紀はロマン派音楽の時代です。ベートーヴェン、ショパン、メンデルスゾーンなど。音楽家のパトロンは富裕な市民層(ブルジョワジー)になり、感情をダイナミックに表現するような音楽が好まれます。良家の子女にピアノを習わせるのが流行ります。一方、庶民の間では合唱がムーヴメントになります。グリー(glee)と呼ばれる男声合唱は、この時代のイギリスがルーツです。 メンデルスゾーン『詩編42』 http://www.youtube.com/watch?v=Gaveu09DOYE 19世紀には、バロック音楽は「古臭い音楽」で、コンサートで演奏されることは少なかったのですが、教会ではバロック時代の古い宗教曲も演奏されていたのではないかと思います。バロック時代中期のヘンリー・パーセル(1659-1695)あたりは、イギリスではとても尊敬されており、忘れ去られることはなかったと思います。 パーセル『聖セシリアの祝日のためのオード「めでたし、輝かしきセシリアよ」』 http://www.youtube.com/watch?v=5AGUGdLj3Vo なお、20世紀になるとレコードの普及により、庶民もクラシック音楽を気軽に楽しめるようになります。忘れられかけていたバロック音楽のうち『パッヘルベルのカノン』『G線上のアリア』のような親しみやすい曲が、クラシック通よりもむしろ庶民の間でヒットします。
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とても丁寧な回答をありがとうございます。 中世から現代の音楽の流れがよくわかりました。 No1の方の回答と合わせると,バロック音楽の時代は, ・庶民は教会で賛美歌 →バッハやヘンデルのような大音楽家によるドラマティックな宗教曲も演奏されていた。 ヘンデルのオラトリオ『メサイア』より「幼な子はお生まれになり」 http://www.youtube.com/watch?v=TN5BaOGTmGs ・王侯貴族は宮廷でバロック音楽を楽しんでいた →神や王の権威を賛美するための壮麗で重厚な音楽が求められるようになった。 バッハの葬儀用カンタータ『侯妃よ、なお一条の光を』より第1曲 http://www.youtube.com/watch?v=1DA5mYizc20 ということですね。 あと,「裕福な市民層」という人たちもいたのですね。 この人たちがコーヒーハウスなどで楽しんだオペラの具体的な曲名を教えていただけますか? また,バロック音楽というと,チェンバロやリコーダーのソナタなどが思い浮かぶのですが,このような小品は「王侯貴族」,「裕福な市民層」のどちらの人たちも楽しんでいたのでしょうか?
あまり歴史には詳しくないですが、ダーウィンの生まれが1809年なら、もう産業革命の時代ですよね。ワットの蒸気機関の発明が1769年だそうですので。 フランスでは1789年に革命が起こり、市民階級による共和制が始まっています。 音楽面では、ハイドンが晩年の1790年代にロンドンで音楽興行主ザロモンの主宰する市民向けコンサートに新曲を持って登場し、好評を博していますから、市民階級が音楽を楽しむ時代になっていたものと思います。ハイドンの交響曲第94番「びっくり」あたりから最後の第104番「ロンドン」までは、その意味で「ロンドン交響曲」または「ザロモン・セット」と呼ばれていますね。 メンデルスゾーンは、1829年にイギリスを訪問し、序曲「フィンガルの洞窟」を作曲しています。ダーウィンがビーグル号で航海に出発したのは1831年ですよね。ちょうど時代的に重なると思います。ちょっと後になりますが、メンデルスゾーンは交響曲第3番「スコットランド」(1842年)も作曲しています。 これらからわかるように、ダーウィンが生きていたころのイギリスでは、古典派すら通り越して、ロマン派音楽の時代だったと思います。また、音楽文化の最大の担い手は一般市民(中産階級)でした。この時代には、作曲家は王侯貴族の雇用人になるのではなく、自営業として、一般市民向けの演奏会収入(作曲家=指揮者、ピアニストだった)や、楽譜を売ることで収入を得ていたと思います。 この時代には、バロック音楽の代表的な作曲家バッハすら忘れ去られていて、メンデルスゾーンが1829年にほぼ80年ぶりに「マタイ受難曲」を復活演奏し、バッハの再評価に道を開いたことは有名です。つまり、ダーウィンの時代、バロック音楽ははるか昔の音楽で、誰も演奏しなかったということだと思います。楽器もピアノが主流で、チェンバロなんて廃れていたようですし。 以上、「なんでダーウィンなの?」という思いつつ、その時代の雰囲気を書いてみました。 「バロック音楽は誰が聴いていたの?」ということに関しては、1600~1750年はまだ市民階級が主役になる前の王侯貴族の時代なので、宮廷や貴族の屋敷で「上流階級」の人たちが聴いていたのだと思います。 ハイドンも、1790年ごろまではエステルハージ候という貴族に雇われていて、主人にために作曲・演奏するのが仕事でした。モーツァルト(1756~1791)あたりまでは王侯貴族向け、ベートーベン(1770~1827)あたりから自営業として一般市民向けの音楽を作曲・演奏するようになるのではないでしょうか。 やはり、産業革命、フランス革命あたりが時代の転換点なのだと思います。
お礼
ダーウィンの方に回答していただき,ありがとうございました。 なんでダーウィンなのか?というと,今度,近所の博物館でバロック音楽のミニコンサートがあるのですが「博物館」→「古生物」→「進化論のダーウィン」と連想して,ダーウィンもバロック音楽聴いていたりしたんだろうか。。。と,ふと興味を持ちました。 そこから,バロック音楽ってどんな格好をした,どんな職業の人たちが,誰と,どんな時に聴いていたのかな?と興味が広がって。。。 クラシック音楽は好きですが,音楽史や世界史にはうとくて,ネットで調べてもいまいちイメージがつかめなかったので,こちらで質問してみました。 個人的な興味にお付き合いいただいて,ありがとうございます。 メンデルスゾーンの初演を聴いていた時代なんですね。豪華ですね。うらやましいなあ。
庶民に音楽を楽しむ余裕は無かったと思います。精々、教会で賛美歌を歌うくらいでしょう。 よくクラシック音楽の解説に出てきますが、○○伯爵の依頼で作曲されたという話がよく出てきます。 当時の、音楽家は宮廷でのパーティやおめでたい席に呼ばれ音楽を披露し、それで生活をしていたようです。そのような意味では音楽は貴族社会の楽しみであったと思います。
お礼
回答ありがとうございます。 No3の方の回答と合わせると,バロック音楽の時代は, ・庶民は教会で賛美歌 →バッハやヘンデルのような大音楽家によるドラマティックな宗教曲も演奏されていた。 ヘンデルのオラトリオ『メサイア』より「幼な子はお生まれになり」 http://www.youtube.com/watch?v=TN5BaOGTmGs ・王侯貴族は宮廷でバロック音楽を楽しんでいた →神や王の権威を賛美するための壮麗で重厚な音楽が求められるようになった。 バッハの葬儀用カンタータ『侯妃よ、なお一条の光を』より第1曲 http://www.youtube.com/watch?v=1DA5mYizc20 ということですね。 すごくイメージがふくらんできました。 ありがとうございました。
お礼
とても詳しい回答をありがとうございました。 音楽の知識がとても豊かなのですね(音楽だけじゃないかもしれませんが)。私のふとした興味のためにお時間を割いていただいて,本当にありがとうございました。 すぐには消化しきれませんが,何度も反芻してバロック時代の理解を深めたいと思います。 ありがとうございました。