- 締切済み
因果応報?「悪」は必ず自身に返ってくるって本当ですか?
カテがわからずとりあえずここでお願いします。 因果応報?というのでしょうか・・悪いことをしたら必ず返ってくるって本当ですか?みんな本当にそうなんでしょうか? また、努力が必ず報われるのも本当でしょうか? 漠然としていますし、これが答え、というのはないと思いますが、何かご意見アドバイスありましたら宜しくお願いします。
- みんなの回答 (7)
- 専門家の回答
みんなの回答
どうなのでしょう。。。 悪口を言う人は まずいわれてるし, 人を蹴落とす人は,温かく接してくれる人も減るし.. 絶対とは言えないですが, あるだろうな...とは思いますょ. 大切にしてくれる人には,なるべく自分もよくして返したい,と思いませんか? また、良いことが自然に行われてる場所では, 自分も 抵抗少なく しやすかったり、 良いことの恩恵にあづかれたり, ほんわかした気分になれる(しあわせが伝染して行く) というのを 見たことがあります. ある電車の中でですが,私はある車両にいて,年末で, 席以上に人が居て,電車も遅れてました. 二人がけのところをちょっと譲って 3にんすわったり,降りるから どうもありがとうと譲り返したり, 知らない人同士なのに 「どこ行くんですか」と, ちょっとしゃべったり, (食事どきでした)おやつの おすそ分けが あちこちで、続いてました. 別の車両からうつってきた人が, 「ここだけ、雰囲気が違うわ!」といってました。 乗ってる人達が無作為であるのに,チョットしたことがきっかけで いいことが回りまわることがあるのを見た,ということで... 努力が報われるか,も,自分だけの問題ではなく,回りも関わってくるので, 結果に結びつく保証はないですが, 「これ、今ここで 自分が ちょっとがんばってみたら きっとよくなりそうだな」,という場合にはする,,,という感じではいかがでしょうか.
- BluesHeart
- ベストアンサー率26% (155/576)
仏教徒ではないので正確な教義ではないのですが…。 仏教では輪廻転生といって前世と来世と現世+3つの世界を前提としているとのことです。因果応報の考えは前世と来世を含んで考えられることだと思います。つまり、現世でロクデモナイことをしたら現世で罰があたる、あるいは来世でヒデー目にあう。イイことをすれば現世で報われる、あるいは来世でHappyになれる。ということですね。逆に考えると現世でヒデー目にあっているのは前世でロクデモナイことをしたんだろう。と考えてよそに責任転嫁しない、という思考方法です。 社会生活のなかで自然現象の影響が大きかったり、社会現象の知識が足りなかった時代には責任所在が不明確な場合が多かったでしょうから妥当性があったと思いますが、現在においてはどうでしょうか?よーく考えたら責任者がいる場合に、その者を免責にするのは社会正義がたちませんね。 ですから、安易に因果応報の考えをもつことはお勧めしませんが、個人的には責任者を探し、追い詰め、譴責するエネルギーを使わないですむ楽な考え方でもあります。 こんなところでどうでしょうか。
お礼
ご回答ありがとうございます。現実社会にのっとったこういうお考えも面白いものだな、と感心いたしました。大変参考になります。
補足
今回、皆様のご回答はそれぞれが素晴らしく大変参考になりました。考えましたが、どれも良回答ですので、どうしてもポイントはつけ難く、無しということで御了承ください。本当に有り難うございました。
- daibutsuda
- ベストアンサー率34% (268/780)
仏教ではそのように考えられていますね。 因果応報といっても「悪いことをしたら悪いことがある、良いことをしたら良いことがある」というのではなくて、原因があって結果があるというだけのことです。 たとえば、ここにボールがあります。蹴ります。飛んでいきます。これも因果応報です。要は、近代科学でも基本的なよりどころとされている「因果律」と同じことを言っているに過ぎません。 ただ仏教の違うところは、この「因果」は必ずめぐりくる、ということです。これは何を言いたいのかというと、たとえば今日あなたは運悪く事故にあって怪我をしてしまいました。これをあなたは「運が悪かった」と普通思うと思います。が「因果応報」の考え方に基づくとそんなことはないのです。絶対何か原因があったのだ、と考えるわけです。 同じく「いわれのない迫害」なんてこともない、ということになります。要は、現在の自分の置かれている境遇はすべて過去に自分が行った行為に基づき因果が巡っているだけで、なにも「いわれのない」事などない、という考え方です。 ですから、普段から正しい生き方をしましょう(八正道の実践)、何か悪いことがおきたら、逃げずに悪いことが収まるまでそこに居つづけましょう(逃げても結局因果は巡りくるのだから、なるべく早く受けた方が原因と結果の関係が見えやすくてよいため)と仏陀は言ったそうです。 悪いことをして金をもうけていい思いだけして長生きして死んでいく人もいますが、そういう人も因果でプラスマイナスを0にするため、過去世/来世という概念を持ち出し、因果は結局プラスマイナス0になるということになっています。この辺は、「悪いことをすると地獄に落ちて報いを受ける」というキリスト教あたりの考え方に似ていますね。 これは、「本当かどうか」ではなく「信じるかどうか」でしょう。 仏教にはキリスト教やイスラム教徒違い「絶対神」の概念がありません(「天」と呼ばれる神々が存在しますが、神々すら不完全で六道を抜けられない存在とされています)が、この「因果応報」が絶対神に近い宇宙原理、といえるのかもしれません。 神を信じることがキリスト教の実践であれば、因果応報を信じるのが仏教の実践(の第一歩)、ということなのかもしれません。
お礼
ご回答ありがとうございます。とても興味深く拝読させていただきました。他のご回答者様も仰られていますが、仏教、これについてを、さらに追究したくなるご回答です、キリスト教との対として。 大変参考になるお答えをありがとうございました。
補足
今回、皆様のご回答はそれぞれが素晴らしく大変参考になりました。考えましたが、どれも良回答ですので、どうしてもポイントはつけ難く、無しということで御了承ください。本当に有り難うございました。
- ginga3104
- ベストアンサー率23% (510/2208)
因果応報に関しては、他の方が書かれているので、その他で少し。 私は不熱心な仏教徒ですが、私を含めて今の日本の道徳心と言うのは色んな宗教の教えの寄せ集めです。更に現在では、仏教、神道、儒教、キリスト教などの一般的な宗教に加えて、地球環境の観点など科学的な見地からの公衆行動規制までが入っています。 「天ツバ」と言う言葉をご存知でしょうか?「天に向ってツバを吐きかければ、それはいずれ自分に帰ってくる」事を指す言葉です。しかし、これは地球の重力がそうさせるのですから、無重力のところでそれを行っても自分には帰ってこないし、また、実際に天にツバを吐きかけても真上にしなければ横に逸れていってしまい、自分にはなかなか掛かりません。それでも、これを満員電車の中で行えば、必ずと言って良いほどの確立で自分以外の誰かにツバが掛かる事は明白です。これにより、ツバをはきかけた人は「迷惑な人」の烙印を押されるのです。 また、現在、地球の温暖化を防ぐ為にフロンガスの撤廃などの措置をとっていますが、これを開発した当初はそんな弊害まで判ってはいませんでした。実際に開発の尻拭いをしているのは、その開発を行った世代でなく、今の研究者達です。つまり、人間の文明としての行いは後世に帰ってくるわけです。 この様に、何らかの行動は何らかの現象を引き起こします。そして、その現象はまた何かに何かしらの影響を及ぼします。つまり、生き物が活動している限り、その周りには必ず何らかの影響を与えていると言って良いと思うのです。 その影響が良いか悪いかは我々の都合や考え次第です。ですから、面倒な事、厄介な事、迷惑な事、それらを悪として、自分達に帰ってこないように、また、うれしい事、幸せな事、楽しい事などは善として、これまでの先人達の経験則や自然の摂理に照らし合わせて、色んな宗教などは教えとして広めているのだと思います。 私の結論としては、個人としての行いは良い事も悪い事も全て自分に戻ってきます。私の40年足らずの時間においてもそうでした。努力すれば必ず報われます。もし、報われないと感じたならば、それは「真の努力」をしていなかったか、「見当はずれの報い」を期待していたからです。 ここで大切なのは、自分を知る事です。闇雲に「幸せになりたい。」ではいけません。何も行動を起こしていないのですから、何も起こりません。自分の幸せとは?自分とは?を考えた上で行動に移し、更に結果や環境に応じて修正しつづけなければならないのです。ですから、何かを行う際に人類の智恵としての「教え」を学んで置き、更に自分なりの経験則を活かしながら、目標を定めていく必要が有るのだと考えています。 最後に。もっとも大切なのは、自分の「意志」です。確かに人にはもって生まれた天分が有ります。その天分にそぐわない努力をしても結果は得られにくいです。しかし、自分はそれをしたいと言う「意志」が有るのならば、それを貫く喜びや携われていると言う報われ方も有るのです。要は「意志」と言う己の想い次第なのです。
お礼
ご回答ありがとうございます。とても淡々と丁寧に、要点からズレのないご意見が語られており有り難い思いです。感銘を受けております。ありがとうございました。今後の参考になります。
補足
今回、皆様のご回答はそれぞれが素晴らしく大変参考になりました。考えましたが、どれも良回答ですので、どうしてもポイントはつけ難く、無しということで御了承ください。本当に有り難うございました。
- camuri
- ベストアンサー率21% (5/23)
因果応報も、努力は必ず報われるということも、絶対にということはありません。 悪いことをしてそのままバレることもなく、悠々と一生を全うした人もいれば、一生懸命努力をしても報われなかった人もいるでしょう。 『あの人は悪い事・ずるいことをしてる甘い汁を吸ってる』と妬まれるような立場の人が、何かの咎めを受けると、周りの人は「因果応報だ」と溜飲を下げるのでしょうね。 もしくは『バレないでいても、きっと一生ビクビクしているはずだ』とか。 それは甘い汁を据えない立場の人が、『せめてそうあって欲しい』と思うもので、悪いことをしても平気で、自分さえ良ければいいと、平気で笑いながら一生を送る人もいるんでしょう。 努力についてですが、歌手のさだまさしさんが仰ってましたが。 『努力は必ず報われるというのは間違い。努力は報われる場合があるというのが正しい』 私もそう思います。 努力は報われる場合もある。 一生懸命やってもダメなものはダメです。 悲しいかな、人には天分・才能・向き不向きというものがありますから。 でも、努力をしたという事実は、何らかの実にはなるでしょう。粘り強さを自覚するとか、向いてないことを確信するとか、ね。 なんだか意気消沈させるような意見で申し訳ないです。
お礼
ご回答ありがとうございます。>悪いことをしてそのままバレることもなく、悠々と一生を全うした人もいれば、一生懸命努力をしても報われなかった人もいるでしょう。<私も同じように思ったりします。さだまさし氏の言葉はなるほどと頷きました。参考になりました。
補足
今回、皆様のご回答はそれぞれが素晴らしく大変参考になりました。考えましたが、どれも良回答ですので、どうしてもポイントはつけ難く、無しということで御了承ください。本当に有り難うございました。
- tanakacchi
- ベストアンサー率22% (135/592)
頑張った事は、今すぐではなくても 返ってくる、と思っています。 苦しくても、「あの時やっておいて良かった!」と 思うことは結構経験しました。 何でもやらなきゃ何もならないと言う事でしょうか?!
お礼
ご回答ありがとうございます。参考になりました。
補足
今回、皆様のご回答はそれぞれが素晴らしく大変参考になりました。考えましたが、どれも良回答ですので、どうしてもポイントはつけ難く、無しということで御了承ください。本当に有り難うございました。
- mak0chan
- ベストアンサー率40% (1109/2754)
> 悪いことをしたら必ず返ってくるって… 最近、ことわざや慣用句の誤用がよく話題になりますが、これもその一つですね。 この言葉は元来仏教用語で、「前世やその人の過去の行いが原因で、さまざまの結果を報いとして受けること。」を言います。 「因果」は、原因と結果です。本来は善悪(良いことも悪いことも)の因縁に応じた吉凶禍福の果報を受ける意です。前世に善いことをしておけば、来世にまた善いことが巡ってくるというわけですが、昨今は、悪因悪果(悪い原因で悪い結果)にかたよった意に用いられているようです。
お礼
ご回答ありがとうございます。参考になりました。
補足
今回、皆様のご回答はそれぞれが素晴らしく大変参考になりました。考えましたが、どれも良回答ですので、どうしてもポイントはつけ難く、無しということで御了承ください。本当に有り難うございました。
お礼
ご回答ありがとうございます。実体験からのご意見は説得力がありますね。そういえば、あんなことがあった・・などと自分の身近にあった似たようなことも思い出しました。参考になりました。
補足
今回、皆様のご回答はそれぞれが素晴らしく大変参考になりました。考えましたが、どれも良回答ですので、どうしてもポイントはつけ難く、無しということで御了承ください。本当に有り難うございました。