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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:麻布中・高の文化祭にて)

麻布中・高の文化祭にて

このQ&Aのポイント
  • 麻布中・高の文化祭での出し物には期待外れの感じがありました。
  • 学生の見た目に驚きましたが、人間性や能力が高い場合は納得できます。
  • 麻布の校風には疑問があり、人材の育成について意見を聞きたいです。

質問者が選んだベストアンサー

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回答No.2

僕は関西の一貫進学校で6年過ごし、自由な校風でした。 大学で麻布の子らと話しをした経験もあります。 似た状況だと思います。その上で言いますと 結論として (1)好き嫌い ・・・「学生は○○であるべきだ」と言う親や教師も多いです。事実、僕の地元中公立でしたが、 「白靴、白靴下でないといけない校則」でした。 中学生の僕から見ても、地元の友人がみんな同じ服装、髪型なのは、不気味であり、 まったく無意味で論理的で無く軍隊のようで信じられませんでしたね。 でもそこに通っている多くの教師、親、一部の生徒はそれが優れたシステムだと信じている人もいます。 それが正しいか否かは言い切れないと思います。好き嫌いです。「自由闊達」が気に入らないなら、 厳しい校風の中高に行かせればいいと思います。そういう所で人材輩出してる所もたくさんあります。 (2)キモい内輪ノリは有る 僕のところもそうでしたが、少なくとも成績だけは良かったわけですし、「色んな意味で世の中をなめている」奴は多数いました。「内申点」なども無いので、成績以外は大して客観を意識しないってのも大きいですね。 そもそも14-17歳ぐらいの子どもって進学校に限らず、そういうもんだと思います。 進学校に通っていると「そういうのが出来る、出来るべきだ」と世間から思われているので目立つのかもしれませんね。 例えば親公認で好きな時だけ学校に来て主要科目しか勉強しないとか、移動の電車内で座り込んだりとかしてる奴もいました。そういう奴には先生が呼び出しをして叱ったり話し合ったりしてましたね。 自由とは言え、責任があった上での自由ですから、そういう部分はシビアでしたね。話し合いはしても最終決定するのは教師で、それを守らなければ重大なペナルティがありました。 割に大人として扱われていると思いましたね。 ウチは窃盗とイジメは1回でも1円でも速攻でクビでした。カンニングもかなり厳しかったですね。そういう「卑怯者」に対する厳しさは相当でしたね。 弁解の場は設けられますが、裁定は学校側で、そういう部分は大抵、規定どおりの結果になります。 「泣き落とし」や「次」は無いんですね。それが自由に対する責任と考えられていました。 公立はそういうところは意外に緩いようだったので、自由が=ラクと言うわけではないと思います。そういう中で主張はしても、一定の檻の中で自由を享有していたとは思いますね。 受験も「高2でここまでやって、高3の春にここをやって、○塾行って、高3の9月にここまでやれば、普通に東大京大ぐらい行けるやん」みたいな「冷めた感じ」はありましたね。だから高3になるまでまったく勉強しないような奴も多かったですね。隠れてコッソリやってたりもいましたが。 もちろん先生はそういう風には言いませんが、先輩などを見て自主的にそういう感性を持っていました。 受験をゲームとして捉えていると言うか。要領の良さはありますが、若者らしくはないし爽やかじゃないとは思います。 地方の公立高校みたいに「東大に入りたければともかく頑張って頑張って勉強しなければならない」とかそういう感性は無いわけです。 「受かればいいんでしょ?」と言う感じ。いい部分もありますが、既存のシステムに則ってるだけで、柔軟性に欠けた脆い部分は出てくるとも思います。 ただ文化祭も含めて厳しい中高に比較すれば「やらされている」事が少ないんで 「失敗は多い」わけです。しかしそれで成長する事も多かったと思います。 特に大学に入ってから感じたのは、「勉強面以外の部分では僕らは勉強しかしていない子や、 厳しい校風だった子よりは明らかに豊かだな」と言う事ですね。 例えば飲み会のように慣れない場では調子に乗ってバカみたいな飲み方をする、 サークルの運営など主張したりオーガナイズも全然出来ないし、先輩や先生にすぐに頼りたがろうとする おかしな恋愛や偏差値主義で固まった価値観など・・・ 僕らが中高で犯して来た失敗を大学で経験しているのを見てると、何だか子どもっぽいと感じる事が多かったですね。 僕らが中学や高校で経験してたわけですから。 あと親は確かに医者や経営者は多いです。しかし、それを出すのは「むしろカッコ悪いこと」とされててそういう部分をアピールすることはむしろ少なかったですね。あくまで「個人として賢い、面白い、強い」と言うのが評価される文化でした。それは麻布も同じみたいですね。 だから子どもたちはそれほど意識してなかったですよ。 母子家庭とかも結構あったし、出自や国籍でどうこうってのは無かったです。 その辺は意外にも?一般校よりもずっと差別意識は薄いと思いますね。 (女子校なら違ったのかもしれませんが) 僕自身もそうでしたが、私立の自由校の生徒は、決して完成された存在ではありません。 色々な挑戦をしながら、調子に乗ったり、大きな失敗したり、そういう「機会」が設けられている 3年間、6年間だと思います。 いま思うと僕らもかなり偏った考え方をしてたり、恥ずかしい事をしていたと思いますね。 ただ時々、先生や親に助けて貰いながら、そういう「失敗」が認められている組織、 挑戦や自主性が尊重されている組織と言う意味で良い組織だと思いますよ。 (麻布の文化祭でも、学校ぐるみで当日だけは全員黒髪で、来場者には笑顔で爽やかに接待するように何度も何度も練習することも可能なわけです。そうやって表面上だけ、良い学校・生徒を演じることも出来ますよね。でもそれを先生も生徒も絶対にやらないわけです。それが自由校の良さだと思います。) 僕に子どもが出来たら、自由な所に行かしたいですね。 いつも先生の指示で何かやってるような所では、内面的には成長出来ないと思うので。

KUMA__
質問者

お礼

回答ありがとうございます。 おそらく、一流校の「自由闊達」な校風とは、そういうものでは、 と期待していた一意見を聞けて、大変参考になりました。 失敗を恐れずに行動出来る懐の深い環境がある。自由だけではなく、 その裏に責任がある、その2点がなければ、ただの甘やかされた集団 と見られても仕方ないと思います。こういう校風の良い面、悪い面を 記していただき、表面だけで判断してはいけないと改めて実感しました。

その他の回答 (1)

  • akeshigsb
  • ベストアンサー率49% (536/1074)
回答No.1

麻布中高出身の知り合いがいるものです。  麻布高校は進学校でありながら生徒に「自由」を任せている数少ない学校です。  学校の教育に関してのスタンスが違うと議論にならないのですが  「学校教育とは100人の中から1人の秀才を見つけ出す方法」  と私は考え、麻布もそうした考えがあるのではないかと考えています。(アメリカなんかもこの思考)  この学年から1人、世の中に多大な貢献をする学者なり経営者を育成する生徒が出てくれたらという発 想です。  「読み書き・そろばん」のように日本人は教育とは万民に等しく施されるとお考えのようですが現実的には日本でもそうでありません。国公立に全員が進学できない時点で万民にはある意味等しくないのです。(頑張れば入れますが) 「勉強する機会は与える、するかしないかは自由だ」も学校の考えであるのでしょう。 現在では親から言われて一生懸命勉強する生徒は名門大学にほとんど入学できません。自分から勉強し始め、積極性がないと合格できない時代です。 金髪でも東大に入学する人もいますし、ガリ勉の風貌で大学合格が芳しくない人もいます。 影響がないとも言えませんが、一個人としてその子を見た場合大した問題でない気がします。 (最もこの影響か麻布も最近合格実績が良くないとか…。) ただ私としては麻布の生徒はかわいそうな気もします。普通の学校なら「あそこは金髪が多い」程度の話ですが「あの名門麻布で金髪」になってしまうのですから。風貌が三流私立で合格実績が超一流だけなんです。 ちなみに私の知り合いは高級住宅街ではなく東京の西のはずれに住み、頭に関しては一部で鋭さを感じることはありましたが話していると?がついてしまう感じの人です。 中学受験をし、ある程度塾にも通わせているため、他の学校より両親の収入が多いのは当然です。 お子さんの家庭環境から両親も高学歴であることも想定できます。 ご参考までに。

KUMA__
質問者

お礼

回答ありがとうございます。返信遅くなり申し訳ありません。 記載されている内容、大変参考になりました。 色々な見方があると思いますので、自分の目、人の意見、 参考にして学校選びをしたいと思います。

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