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研究職をやめて、出家すべきか?
- 46歳の最先端の化学を研究している大学職員が、仕事に不満を感じつつも、仏教への興味を持ち出家を考える。
- 科学の世界では競争心や攻撃的な心が蔓延しており、自身が心の修行をする必要性を感じている。
- ダライラマに直接メールを送ったが返事がなく、究極の修行を積む場所を探している。
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- nobita60
- ベストアンサー率29% (193/644)
修業はこの世でするものです。 研究職、それはあなたに与えられた修業方法です。
- shift-2007
- ベストアンサー率14% (143/1013)
出家する前にお礼くらい書きなよ。
この質問、まだ閉めきってなかったんですね。 皆さんの回答に得心がいかないのかな。 役立つかも知れない情報を少しお伝えします。 仏教については 「アジアのお坊さん」というホームサイトと、その番外編のブログを参照してみてはいかが。 私が興味を持った箇所は「行をすることの意味」を問うところ。 このブログからテラワーダ仏教にも関心が広がりました。 さて個人的な状況をお察したところ「内なる声」に引かれた感がありますね。 理系の人間は、スピリチュアルな物は端から拒否しますが(私もそうでした)形骸化した既成宗教よりも「この世界の本質」に迫っている物もあるんですよね。(あくまで私の見立てで同意されないかもしれませんが) 以前に読んだ、W・ジェームズの「宗教経験の諸相」の中で「回心」という現象の存在を知っていたので割と色眼鏡なく評価できたものがあります。 平易な言葉で書かれていますが(仲間内のジャーゴンで難しく見せるのはおなじみでしょうが)一々、納得できたブログを紹介しておきます。 「あの世に聞いた、この世の仕組み」 です。アーカイブを読み通すには根気がいりますが読んで損はないと思います(ふざけすぎの所はある)
- shift-2007
- ベストアンサー率14% (143/1013)
悟りを「成果」と見ないほうがいいですよ。 日々の気づきが悟りですから 今の仕事を続けながらでも悟れるはずです。
- yonesuke35
- ベストアンサー率11% (609/5531)
各宗教の矛盾点、対立点などを。 コーランの解釈。
チベット密教を仏教の極致と考える向きもあるのでしょうが、一概にそうとは言い切れないように思います。 密教に関心がおありなのでしたら、正統密教の直系であり、在家でも実践可能な真言易行道を唱えられた 織田隆弘師のご子息である、東京四谷の真成院住職の織田隆深師、或いは青森の青龍寺住職の織田隆玄師に会われたらいかがでしょう。 会うことが始まりです。
- skyyks
- ベストアンサー率34% (123/361)
NO.3です。 やっと一息です。 さて、まず扶養しなければならない妻子・両親・親族とかいらっしゃいますか?いたとして、あなたが研究職をやめて出家した場合、その扶養家族の生活は大丈夫ですか?。あなたの質問読んで一番気がかりなことでした。まあ心配ないということで話を進めましょう。 今あなたは研究職の職場で困難に直面されているんでしょう、いろいろ考えているうちこんな世知辛い世界はもうたくさん、我欲まみれの世界にいるより、こんな世界と絶縁し我欲を捨て安心立命を得、永遠の心の安らぎをえたい、世界の真実を極めたいと考えたのでしょう。真実を悟りたいというのも欲なんですよね、その欲を否定せず肯定し、真実とは悟りとはなにかを体得するのが修行の目的でもあると思います。お釈迦様は生老病死の四苦からの解脱を企て王子の地位を捨て山にこもられ何年も修行されましたよね四苦からの解脱は裏をかえせば究極の幸福への道を悟りたいなのですが見事に失敗し、疲労困憊し山を降り、菩提樹の下で休憩中にハッ!と悟られた、生老病死の四苦からは逃れられない。なんだなんですが、でもすごいことです、人生苦はあるがままであるより仕方がないと受け入れたとき実は生老病死の四苦からの解脱も完成したのです(みんな知ってるかな?)。 人は欲を肯定しどこまでも欲ばって生きればいいと考えます。その欲を追求していくなかで見えてくるのは他者への愛と慈悲の精神的心境に至ることかと考えます。 他者への慈悲の精神的心境に至るのになにも出家までしなくともいいと考えます。今の研究職の中で修行は出来るはずです。研究職には科学を捻じ曲げてでも自分の権勢の維持しか念頭にない輩も多くいると思いますが、そんな輩に負けないであなとの良心に従順に生きることが大切だと思います。あなたがそんな連中に負けて科学を投げ出し出家しても世の人は幸福になりません。研究職に留まり自己の研究に執念を燃やして生きることが出家にも勝る修行だと考えます。一心不乱に研究すること即安心立命と悟りへの道と考えます。
- sirowan777
- ベストアンサー率14% (270/1906)
「究極の正しい修行」とは、どんな修行でしょう? それが定義されない限り、あなたは迷走するでしょうね。 人によっても異なると思います。 座禅、写経、巡礼、断食、喜捨、隠遁・・・ 何もしない、という修行もありますよ。 でも頭で考えていただけではダメかもしれません。 心で感じないとね。 とりあえず旅に出てみてはどうでしょう。 何か見つかるかもしれませんよ。
- ta2916
- ベストアンサー率29% (25/86)
現在の職位に自信もあり順調であれば時間的にも余裕がお有りですね。 頭の修業と心の修業を分離して極めようとのお気持ちは少し傲慢ではないでしょうか?。 貴方の人生という路の中に二つの路はありませんよ、並行して行くのが真の修業というものです。 現業の坩堝で<<足の引っ張り合いで、競争心や傲慢な心、攻撃的な心など、業を積む要素は数え切れません。>>このような人間の業の中で如何に自分を律するかを日々の生活の中で消化して、善・悪・良・不可と心の中で処理していくことが修業というものでしょう。 現職の中で「自分は出来る」と言い切るほどの自身があるなら、人間の業もまた自信を持って処理出来るのが本当の実力というもの。と私の人生訓です。 今のような傲慢さでは(貴方自身気づいていない)別の路で修業しても昇華出来ないでしょう。 現職の中でどうすれば貴方が言っている職場の業が中和出来るのか、貴方が後輩や同僚のために苦労苦心、努力奮闘して路を開くことが即ち修業です。46歳の知識人としては余りに幼稚な発想と厳しく助言する次第。がんばれよ若者。
- Komiker
- ベストアンサー率16% (83/518)
〉研究職をやめて、出家すべきか? 出家=心の修行をする道としておられるようですが、そのお考えから検べ直されてはどうでしょうか。取り組み場所を選ぶのは、真実それを必要とする段階に達したときと思えるのですが。 生涯かけて自分の心と向かい合うお気持ちなら、じっくり取り組まれるようお勧めしたいです。 場は求めるものでなく、いま在るその場をそうしていくかどうか、それがテーマではないかと思えます。どうでしょうね (^o^)v
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