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なぜ、ブランド物にこだわるのですか(特に女性が)。
今は、猫も杓子もブランド、ブランドと騒ぎ立てて買い物に走るようですが、日本だけの特異な現象として映ります。ファッションモードの本場、フランスのパリジェンヌでさえ、自分にあったスタイルを確立し、むしろ普段は地味な格好だと聞きます(収入に合ったもので工夫するそうです)。 身分相応でしっかりとした価値観に基づいて、その結果のブランドであればよいのですが、とかく「これブランドものよ」とこれ見よがしに見栄の張り合いと相手より優位に立ちたい、バカにされたくないの理由などでブランドが自分を引き立てるというのは、まさに虚飾であり自分に自身がない裏返しとさえ思うことがあります。 外国の関係者から見ればお得意さまですが、一般市民からみれば異様に映っているようです。まだ生活の価値観が成熟していない社会の反映としか私にはみえません。確かに誰がみても似合っていて身分相応で、個性として溶け込んでいる人には文句はありません。 「人が持っているから自分も」状態から脱却できるのはいつのことでしょう。また、女性がこだわり大多数の男性がこだわらないのも不思議です(こだわれば女性がらみのような気がします)。 どなたか良い意見をお願いします。
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こんばんは、初めまして。 興味深い内容の質問でしたので、お邪魔させていただきました。 私は32歳の女性で、60になる母と1歳半下の妹とがおりますが、 3人とも全くブランド物には興味がありません。 一部の関東地域住まいの親戚を除いて、やはり全くブランド物には 見向きもしていないんですね。 みんな自分のスタイルや価値観を確立していると言うか、自分に 合うものはこれ、自分の気に入った物はこれ、と言うように選択してる からだと思うんです。 私みたいな大して美人でもない田舎のオバチャンが、ブランド物を これ見よがしに持ったところで、滑稽すぎて笑うしかないと思いますよ。 前にいた某大手生命保険会社の外交員の30超えたオバサン達が、 大挙してブランドもので身を固めてましたけど、似合うどころか下品で 醜かったですもの。 大した学校出てませ~んって感じの、態度も言葉も薄っぺらでしかも 無遠慮で品のない茶髪のオバサンが、そろいも揃ってブランド物。 そのオバサンたちの品のなさとブランド物のむなしさとが相まって、 それ以来余計にブランド物が嫌いになりましたね。 下品さと中身のなさの象徴、みたいな。 本来、ブランドの本場ヨーロッパでは、格式の高さと本人の品格と 地位の象徴じゃないんですか? 日本は明治維新後やたらとのべつ幕なしに、国民の階級も差異も なくしてしまった。 まあ、それである程度は階級による差別がなくなったのはいいこと ですが、それによってある種の社会の秩序と言うかルールも崩壊して しまった。 だから、“持たざるべき者” までもが持ってしまった。 日本の近代化はそこからして方向性が間違っていたと思います。 身分不相応な、自分をわきまえない “自由とモノを得る権利” が この国を狂わせてしまったんじゃないんですか? (だから最近になってオカシなことが頻発するんですよ) 少し方向性がずれてしまいましたが、そういう “大いなる勘違い 人間” が自分たちの勘違いに気づかない限り (日本社会が真の 意味で成熟しない限り) 、身分不相応な > 「人が持っているから 自分も」状態から > は永遠に脱却できないんじゃないですかね? 自分が気に入ったモノなら、自分に似合うものなら、安くたって充分 オッケー、が一番だと思いますけどね~。 そのようなわけで、私はclassicgaskiさんの考えに賛成です。
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僕も女性の極端なブランド信仰はなんだか滑稽に見えます。 >それは、男性がその筋では有名だけど、聞いても全然理解できないブランドのバイク用革ジャンを自分のサイズでオーダーしたり、何十回だか想像を絶するローンを組んで、ドイツの車を買ったり、年に何回も振り回すことのないゴルフクラブに大金をつぎ込んだりするのと同じことのように思えます。 とNo.7の方が回答しておられましたが、僕は似てはいるが別のものじゃないかと思います。 男がその筋のマニアしかわからない物に大金をつぎ込んだりする場合は絶対に「本物」が欲しいのです。 ベンツにそっくりだけどメーカー不明の車など絶対買わないし、希少価値のあるレア物や有名ブランドの限定モデルが欲しい人は絶対偽物では満足しません。 偽物など見向きもしないと思います。 僕が女性のブランド信仰で一番理解できないのは偽物でもいいからブランド物を付ける人がいる事です。男にはあまりない現象だと思います。 「このデザインが好きだから偽者でもいいの」 と言われた事がありますが、ブランドタグが無くてもそれが欲しいかと尋ねると言葉に詰まっていた知り合いがいました。 偽物でもいいからブランド物を身につけるというのが女性のブランド信仰は分不相応な虚栄の現れではないでしょうか。 男がマイナーなバイクブランドの革ジャンに大金を払うのは完全なる自己満足だと思います。他人が理解しようがしまいが関係ないのです。 偽物付けてまでブランドに拘る女性の心理は、僕は見栄による虚栄心としか思えません。
お礼
我が意を得たりの部分もあり、ありがとうございました。 ただ、今回の質問で女性を追い込んだ面もあるのかと若干反省の部分もあるのです。大きく受け止めて見守る度量が男の方でも必要かなと思ってしまいます。バランスを取る訳ではありませんが、最近の女性の方が男性よりも学習効果、吸収力が高い気がします。ブランドにしても本物を身につけるための学習段階であり、前段階かも知れませんね。ギリシャのアリストテレスは「善いものを手にいれないのは自分自身のせいであるということが明らかなので、したがってこのことが苦しめて、妬みを生み出す」としてプトノスという言葉を使っています。人が善いものを所有していること自体に苦痛を感じるケースだそうで、人の足を引っ張って邪魔する嫉妬の破壊的な側面で、卑しい情念を指すそうです。 一部の日本女性が嫉妬の裏返しのような情念と決別し、学習して本物に向かえば金属疲労を起こしている男性社会に決別できるかも知れません。それが唯一再生の道だと思うのですが。
- northpoint
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女性は身の回りにつけるものが好きなんです。装身具やバック、靴、洋服、化粧品。 それは、男性がその筋では有名だけど、聞いても全然理解できないブランドのバイク用革ジャンを自分のサイズでオーダーしたり、何十回だか想像を絶するローンを組んで、ドイツの車を買ったり、年に何回も振り回すことのないゴルフクラブに大金をつぎ込んだりするのと同じことのように思えます。 そういうことに夢中になる人もいれば、興味のない人もいるし、つかず離れず付き合う人もいます。 手にすることができる人は分相応なのではないでしょうか? 他人が人の持ち物に分相応とか、不相応とか決めることって、分相応なのでしょうか? 最近は「人が持っているから」という理由でブランド物を欲しがる女性は減ってきていて、そのもの自身が欲しいから(良し悪しは個人の判断としましょう)手に入れたい。と思う人の方が増えています。 今、パリのヴィトンで並んでいるのも、台湾や中国、韓国人が増えています。突出して日本人が。という風景はなくなってきているのです。 不景気でもあるし、日本の市場も成熟してきています。 ブランドの人気は変わりませんが、その内容は少しずつ変わってきています。 同じように見えてもその実は変化していて、きっと近い将来には、あなたを頷かせるBCBGが日本にも増えると思いますよ。
お礼
ありがとうございました。 女性が着飾るのが好きなのはよく分かります。また、逆におしゃれやお化粧に無関心なのは、女性の美徳や権利を放棄したのかと思うほどです。分相応というのは、ヨーロッパの階級社会と違って、日本の場合、流行に影響されないその人の品格や見識、美的センスが伴って、全体としての個性が醸し出されれば、分相応でしょう。前の方にも述べましたが、ブランド信仰と本物志向は似て非なるものと思ってます。内面と知性を磨き教養を身につけなければ、所詮はあだ花と思っています。
ちょっと挑発的な意見を書いてみようかな、と思います。 ブランド信仰に対してアンチの人は、しばしば >日本だけの特異な現象 であると言い >ヨーロッパから見ると信じられない ことで、それが悪いことであるかのように言います。 でもさ、ヨーロッパから見るとヘンなことが なぜイケナイの? 日本ってのは、この100年で急激に和装から洋装に転換した民族だから 本場ヨーロッパのそれとは違った文化を持っても 別に普通、というか当然だと思うんですよ。 ヨーロッパにおいてブランドは >強烈な階級社会のシンボルである わけですが 日本に於ては、まず洋装というものが戦後の民主化や大衆化と ほぼ一体化しているわけじゃない。 で、ヨーロッパの高級服飾ブランドってのは 70年代高度経済成長とほぼ連動してしる。 ようするに「みんなが豊かになっていくことのシンボル」だったのだと思うのですよ。 ヨーロッパの正反対、脱階級のベクトル。 ところがね、ブランドってのは 本来「排他的」な性格を持っている。 つまりね、ヴィトンがモノグラムを考案したのは「他とは違う」ことを シンボライズしたものでしょう。 ブランドの排他性は、ヨーロッパの階級制と非常に馴染みのイイものであった。 でも、日本には脱階級、一億総中流文化の中で浸透した。 で、どうなったか? >10代ぐらいの女の子にとってみると「目印」なんですね つまり「階級的」意味合いを失い、単なる「記号性」が流通した。 これは当然だと思います。 ヨーロッパの「裕福な階級」が「ブランド」という記号にこだわることと 日本の「若い女性」が「ブランド」という記号にこだわることは 図式としては同じでしょう? >多数の男性がこだわらない でも、年配の男性は「ネクタイ」とか「スーツ」といった記号にはこだわるんじゃない? 要するに、基本は「人間の本質」なんじゃないの? ただ、文化的背景が日本と欧米じゃあ少し違う。 でも、ブランドってのは「高価」だから そこに偏見がいっぱい生まれちゃうんじゃないか? みんなと一緒がイイ、って言うヤツもめずらしいと思うけど 一匹狼がイイ、って本気で言えるヤツもめずらしい。 結局は、分かるヤツとはつながっていたい。 ブランドはそのための記号のひとつとして有効に機能している。 多分、一匹狼タイプのヤツは、そんな在り方を否定も肯定もしないと思う。 関係ない、関心ない、ってとこじゃない? ブランドにこだわらない人ってのは そんなに「虚飾」がなく「自分に自信がある」のでしょうか? 誰にとっても、そこは悩み所なんじゃないでしょうか? 結局「ブランド」信仰を批判するコトって、一種の「近親憎悪」 じゃないかと思うんですが、どうでしょうか?
お礼
なかなか鋭いご意見ありがとうございました。 人間の本質論までいくとかなり歴史的な考察や、教育制度、政治など広がりをみせますので、ここではいわゆる「個」や「自分を磨くアイデンティティ」、本物志向に限定しています。現象や記号としての価値は認めますが、肯定する気にはなれません。ブームに流されやすい性格や、人との比較でしか自分の位置を確認できないことや、物で優位性を確保したい品性、仲間から排除される恐れなどで自分の存在の否定されることにとんでもないエネルギーを使っているとしか思えません。個人主義と階層社会が現代も生きている伝統のある欧米と集団主義の背景のある日本とは、ブランドの捉えかたも当然違いますが、日本社会が集団主義的で群れたがる精神構造があまりにも世界のスタンダードからかけ離れ、特殊すぎて局面では異臭さえ放っていると思うからです。少なくとも品格を備えた良識ある大人の行動とは思えません。また、十代のブランドと大人のブランド志向は、別ものと思っています。ブランドだけを対象にしませんし許容範囲はありますが、軽薄な文化を陶冶するだけの民度と品格は必要だと思います。玉石混合に何でも許容し放置しておくのが本当の文化国家とも思えません。エゴイステックな日本の国際感覚に呆れ果てているからです。本物志向を育てる社会風土文化が是非育ってほしいものです。余談ですが、外国女性が日本の男に魅力(セックスアピールは別)を感じないのは、共通して文化論を話せないことだそうです。つまり、「人間」を話せないのです。ヨーロッパからみて変なのがなぜイケナイのかは、イケナイというより、あまりにも国際感覚が鈍感であり、外国とのコミニュケーション否定行動であったり独りよがりだからです。 それにしても、あなたは鋭い感覚の持ち主ですね。
- torayan21
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大学生です。今いる環境と、予備校のころの環境があまりにも違うので、そのなかで感じたことを書かせてください。 今、わたしのまわりにいる友達は、60~70年代の古着なんかを自分で探してきて着ているような、そんな友人が多いです。このころの服というのは1点ものというものも多いんですねひじょうに個性的になります。直接の友達ではないのですが、服を自分で縫っていたりする人もいます。 反対に、予備校のころの知り合いに、ブランドものに走ってる女の子が何人かいました。そのころ流行っていたのがプラダでした。 私自身の感想から言うと、ブランドものに走る女の子たちは、自信がないというよりも、まず「自分」というものがありません。将来についての夢とかも特別なく、そのために突き進むとかいうことはまずありません(少なくとも私の知ってる人はありませんでした)適当に大学でもいってそのうちに彼氏でも見つけてうまいこと結婚して・・ぐらいの感覚(とはいってもそこまでありません) さらに言うと、ブランド品っていうのは、10代ぐらいの女の子にとってみると「目印」なんですね、「私はこういうのにはまってます」というような。人ってだいたい似たような服装の人とつるみますから、目印を持っていると楽なんです。だから彼女たちの付き合い方ってすごく希薄ですしクールなかんじです。 そもそも自分というものがあまりないたちですから、「自分の意見」というものを求められるような環境を極端に嫌がります。 そうなると、ブランド品を持った、身につけた人たちで群れますよね。こうなると目につきます。1人でいたら気にならないような人でも目立ちます。 男性がブランドにこだわらないのは、女性ほど見た目に対する社会的な要求が高くないからと思っています。また、女性ほど付き合う相手の格好に対する要求も高くないでしょう。女性は、男性に比較すると潔癖な面がありますから、付き合う人間の外見が気になりますし、重視しています。 余談ですが、知り合いのお母さんが、いまはもう60をこえる方なのですが、若いころパリに留学していました。そこでブランドというものが強烈な階級社会のシンボルであると知り、日本へ帰ってきてもまったくブランドものは身につけません。 また、綺麗にしている、ブランドものを持っていることで待遇が違うという場合もあるでしょうね。どこかの有名小学校で、授業参観のときにお母さんたちがエルメスを大挙して持っておしかけるという話、御存じですか?そうでないお母さんは、軽蔑の視線で見られるとか。 十人十色ではいけないのが日本人の気質なのかなぁという気もしています。長いものには巻かれろっていうかんじですか。そうすることで孤立を防いでいるわけです。就職活中のリクルートスーツも判で押したように一緒ですし。
お礼
色々な視点での御意見ありがとうございました。 日本人の持つ気質、矛盾に私も気づいています。最後に指摘されたリクルートスーツの件もそうですね。会社側は人材として個性を求めるようなフレーズをアピールしますが、違った服装だと協調性がないと単純に判断をしがちです。建て前と本音を使い分けていかなくてはいけない日本社会は、実に複雑にして怪奇です。ヨーロッパのように階層社会の方がよほど気が楽かも知れません。こんな社会で個を確立するのも至難の業だと思います。場面や時、組織や人によって使い分けを求められるのですから。実は日本ほど個が育ちにくく確立しにくい国は、他の国の追随を許さないほどでしょう。ブランドを求めるのも、個を確立することにあせる一つの表れかも知れません。
私も一時はバックに凝りました・・・ ショーウィンドウに写る自分の姿に ハッとしたんです。 着る服はユ○クロ、バックはルィ○ィトン なんか滑稽で、以来、バックは 機能性重視です。
お礼
ありがとうございました。 ブランドで身を飾ってアピールしても「裸の王様」状態になっているもかも知れませんね。自分の意識と第三者が見る目と一致しない方が、圧倒的に多いものです。それに気づかれたRuRu_8さんの人生に向き合う感性もすごいと思います。ところで質問と矛盾しているようですが、機能性100%だけでも良いとは思わないのです。機能性が中心であるものの、美観やデザイン性も考慮に入れるセンスも必要だとは思っています。要は生き方、生活観、個性がマッチすれば言うことありません。
- bableboom
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以前バブル全盛期にイタリアに旅行にいったとき、日本人観光客がブランド街を紙袋をたくさんぶら下げて歩いているのを現地の人がとっても冷ややかに見ていたのがとても印象深いです。某国では、ヴィトンを持つのはベンツに乗るクラスの人間であって 日本のように学生が持っているのは信じられないという話も耳にしたことあります。 私も以前はたしかにブランド好きでした。今考えるとおっしゃるように・・・ >虚飾であり自分に自身がない裏返しとさえ思うことがあります。 そのとおりだと思います。ブランドを身に付けることによって、自分まで高価な人間になったような錯覚に陥っていたというか、「私はちゃんと流行をおえているお洒落人間なのよ。」的な考えがあったと思います。恥ずかしい限りです。 自分の内面の自信のなさを外見で誤魔化していたのでしょうね。 日本人は、マスメディアの「今年はコレ!」みたいなのにどうも惑わされる傾向があるのでしょうね。人と一緒じゃないと落ち着かないっていうか。個性派を装っていても、結局どこか一緒だったりしますし、学生時代、制服という没個性・アイデンテティのない世界で育った影響かもしれませんねえ。 マスメディアや芸能人がブランド志向をやめれば自然にその傾向もなくなるような気がしますけど、きっとそれは無理な話しのような気がします。 先日シャネルのバッグを持っている三歳くらいの女の子を見たときは、あきれるをとおりこして笑えました。
お礼
ありがとうございました。 日本文化や自身周辺の画一的な教育環境で育ち、集団主義(心理)を好む人間関係から抜け出したいという反動で、自分の存在をブランドでアピールしたいのでしょうが、結局自分へのごまかしであることに気づき、納得には至らないように思います。気分的に落ち着かないのもあるみたいですね。ブランド信仰を外見で批判するのは簡単ですが、その背景は実に複雑で一律に説明できないようにも思えます。ブランドで身を飾ることに奔走する人は、逆に一人になると虚しさを感じている人かも知れないと思うのです。
- yossicy
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♀ですが、服飾関係の「ブランド」に興味がない部類の者です(^-^) 本当にやたら持ってる女性多いみたいですね・・・ 同性のワタクシにもさっぱり理解出来かねますので、まともな回答になってないかもしれません(*_*) ただ、男女問わずして「メーカー」信仰があると思います。 というより、「ブランド」と「メーカー」の違いも判らない小者です。申し訳ないですm(_ _)m
お礼
ありがとうございました。 私自身も全くといいほどブランドに興味が湧きません。本物を追い求めていきたいとの意識が強く働いているからです。 しかし、yossicyさんが、服飾関係にいながらブランドに興味ないとは面白いですね。でも、一方でお客さんに本物志向という価値観をサゼスチョンできる立場かもしれませんね。
お礼
貴重なご意見ありがとうございました。 日本は、本当におかしな社会です。国民総中流で階級も差別もない。ここから社会ルールや秩序が崩壊したというのも同意見です。民主主義を流布するのには、必要な施策だったにせよです。世界常識からいえば、余りにも日本は非体験ゾーンで、行動規範や思考様式、生活文化が世界とかけ離れ複雑にして繊細、侘びさびに象徴される特殊性の塊に見えるようです。ブランド信仰と本物志向は、まさに似て非なるものですね。お金を稼いだことがない子どもが携帯やブランドを持ち、一所懸命働いている親が子どもより見劣りがするというのは、とても健全な文化国家とは言えません。いびつで人間の顔をしているとは思えません。