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任天堂の絶好調から不調への転落
- 任天堂はかつてWiiやDSなどで大きな成功を収めていましたが、最近は不振の状況が続いています。
- 斬新なソフトの発売が少なくなり、ゲームに触れる機会が減少しています。
- PS系のソフトは複雑でプレイしにくい一方、携帯ゲームは単純で飽きやすいという課題もあります。
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>>あれだけ絶好調だった任天堂はどうしてここまで不調におちいってしまったのでしょうか? 任天堂が開拓した層というのは、ゲームの情報を自ら率先して得る事が苦手な客層でCMやワイドショーなどで大々的に取り上げられなければ、どんなゲームを買ったらいいのか良くわかっていない人たちが大半。 結局、一部の任天堂ソフトは売れてもサードパーティのソフトがカプコンのモンハン3だけだったように思います。 サードパーティが売れないハードは確実に弱ります。 それは任天堂もファミコンとスーファミ時の賑わいとそれ以降の低迷で証明しているはずです。 地デジ対応のテレビが普及してグラフィックの弱さが目立つようになった以前の話として、マルチプラットフォームでなんとか収益を考えているゲームメーカーにとってWiiだけで通用するゲームを作るメリットもアイデアも無かった(これはPS3のモーションコントローラーや箱〇のキネクトにも同じ事が言えますが) あのリモコンを上手く扱えるゲームクリエーターが続かなかったし、振る事を前提にコントローラが設計されているからそれが足かせにもなった。 DSのタッチペンや3DSの3D描写にも通ずるところですけど。 「パンドラの塔」にしてもHD機に劣るハードでHD機の魅力であるグラフィック性能を売りにするゲームを作らざるおえなくなったとき既に凋落は見えていたと思います。 本体だけ持っていても面白い訳もなくソフトが出ないとその中から面白いゲームも生まれないから、勢いが衰えるのは20数年しかない家庭用ゲームハード史であっても歴史が語っています。 PSPがモンハンブームで売れていますが知育系ゲームで売れまくったDSと同じでそこで本体を手にしたユーザーが次に続くかが大きな問題で、既に成熟した数百のタイトルやアーカイブスを利用して定着すればいいですが単純に今のPSPバカ売れの後にユーザーが何本もソフトを買って続いているのかが気になります。 キラータイトルと共に本体を買った後に遊びたいゲームが続かないと冷えていきますよ。 昔の任天堂は黄金時代のジャンプと一緒で「〇〇先生の漫画が読めるのはジャンプだけ」の路線で、任天堂以外の人気ゲームDQやFFも抱え込んでいたけど、人気シリーズは各ハード奪い合いになってくると売れるゲームをどう誘致するかプロモーションするかにかかってくる。 任天堂はいまだに自社でいいソフトを作れば売れると思っているようだけど、ハードメーカーとしてサードパーティのソフトも売れるプレゼンテーションが出来ないと、任天堂自社の人気タイトルで本体と一緒に買ってもらえてもハードそのものは盛り上がってないWiiのような事が起こるでしょうね。 3DS、Wiiの後継機にしても任天堂以外のソフトラインナップ次第でしょうね。 あの低スペックハードのファミコンやスーファミが他のライバル機に勝っていたのはまさにそこの部分だった訳ですから、相変わらずサードパーティに対しての対応がなってないのが身を滅ぼしたのだとしか思えないですね。 Wiiのバーチャルコンソールにしてもマージン料の高さやソニーのアーカイブスのようにPS3とPSPの両方で遊べるような利便性も無く確実に売れる人気タイトル以外のソフトをどのメーカーも配信をしぶるといった事でどんどん配信タイトルが減っているなど、可能性は示せても上手く運用できていないというか商売の基本としてある損して得とれ的な懐の深さが無い所も気がかりです。 サードパーティが面白いゲームを作れないのが悪い的な考えを改めない限り、何らかのヒット商品を足がかりに一時的に売れたとしても顧客を満足させられるほどの商品を任天堂だけで与えられないのですから流れが悪くなった時に助けてくれる親友のいないお山の大将でい続ける任天堂が本当の意味で改心しない限り「任天堂の一人勝ち」みたいな事には絶対にならない。 サードパーティがミリオンとは言わなくてもハーフミリオンくらい狙えば売れる市場を作らないと、任天堂に限らずどこのハードでも活気が無くなり落ち目のアイドルみたいな時代遅れ感を印象付けてしまう。 それがDS・Wii共に言える事だと思います。 プレステの「いくぜ百万台」みたいに活気のあるフレーズや盛り上がってる感を持続させる為に何をしていくかのアイデアが無かった。 任天堂の失速には「驕り」という言葉がしっくりします。
お礼
ありがとうございます。 「驕り」という言葉に全て込められている気がしますね。