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※ ChatGPTを利用し、要約された質問です(原文:彼氏を疑ってしまうのは、病気ですか?)

彼氏を疑ってしまうのは、病気ですか?

このQ&Aのポイント
  • 彼氏を疑ってしまう理由や病気の可能性について考察します。
  • 彼氏を疑う習慣が付いてしまった原因や治す方法についてお伝えします。
  • 彼氏を信じるための心の持ち方やアプローチについてご紹介します。

質問者が選んだベストアンサー

  • ベストアンサー
  • shigenobi
  • ベストアンサー率43% (19/44)
回答No.1

こんばんは。 まず、病気ではないと思います。 ただ読んでいて、妄想癖があるのかなというのが印象としてありました。 見たくても見えないところを妄想してしまっているのかなと思いました。 あなたの妄想の中の彼と、現実の彼は、違います。 自分の頭の中だけで生きないで、また信じることをゴールにせずに、 目の前の現実の彼を見てあげたらいかがですか? 疑っても、誰にとってもいいことはありません。 自分にとってもです。 怪しいことをいうかも知れませんが、「もう妄想はしない」って、 口に出してもいいので、宣言したらいいと思います。 自分をコントロールしてみては?

suvaco10
質問者

お礼

>見たくても見えないところを妄想してしまっているのかなと思いました。 おっしゃる通りだと思いました。 >自分の頭の中だけで生きないで、また信じることをゴールにせずに、 >目の前の現実の彼を見てあげたらいかがですか? どきっとしました。私は頭の中で生きていたのだと。 これからは「妄想はしない」と決めて、強くなりたいと思います。 ありがとうございました。

その他の回答 (3)

回答No.4

『この疑いグセは治ることはないのでしょうか?』と云う貴方自身の問いかけに、貴方が答える事が貴方にとっての答えです。誰の忠告も今の貴方にとっては効果がないように思います。 心の問題に、治るとか治らないとか、と云う事を問う場合に答えはあります。その答えとは、『治らない』と云う答えが当てはまっています、只その答えが正解と思える時に『完治』した事を物語っています。その答えを自分で納得して受入れているからです。治らない事が判った時に問題そのものの存在を忘れ果てているからです。 どうであれ、自身で持った疑いは『晴れることはありません』晴れなくとも生きて行かなければなりません。そういう自分自身を受け入れた時に、それは『誰にでも疑う事や、時はある』と思う事が出来ます。 只注意する事があるとするなら、信じられない人とは付き合わないことが大事と思います。 その事がいわゆる『相性』と云うことになると思います。そういう人を見極める目を養うことが貴方にとって、良い人生に出来るか?或いは、疑心暗鬼で生きるのかの境目になるかもしれません。

suvaco10
質問者

お礼

無理をしすぎず、なるべく信じられるよう、努力していきたいと思います。 ありがとうございました。

noname#130417
noname#130417
回答No.3

疑う癖が何に対してもあるということですが、疑った結果はどうでしたか? 疑ったとおりのことが事実になってしまうことが多いですか? 疑ったことが、取り越し苦労に終わることが多かったですか? 事実になってしまうことが多かったら、疑いが生じた時点で釘をさしましょう。「浮気・キャバクラ」「自分以外の女の子・出会い系」断固阻止です。 取り越し苦労に終わるなら、疑いのエネルギーは無駄です。誰も喜ばない。誰も得しない。自分の精神が消耗するだけなら良いですけど、度が過ぎると彼を妄想の中の彼と思い責めてしまうかも知れません。 疑うって簡単ですよね。信じなければ良いんですもの。 疑われてる人の気持ちになったことを想像してみたら。これも立派な妄想です。 何をしても、男関係に結びつけ、常に彼が自分は裏切られると思っているらしい。 どうでしょう。イメージトレーニングです。こういう事から疑い癖を改善してみてください。

suvaco10
質問者

お礼

>疑ったとおりのことが事実になってしまうことが多いですか? なかったです・・・ すべて私の取り越し苦労でした、、、 >度が過ぎると彼を妄想の中の彼と思い責めてしまうかも知れません。 ほんとうですね。そんなかんじになってしまっていたと思います。 疑いグセ、妄想グセを直していこうと決めました。 ありがとうございました。

noname#138346
noname#138346
回答No.2

疑いグセということですが、まあその、可能性というのは、100%にならない代わりに0%にもできないものです。 と言ったわけで、確かに切りはありませんね(笑) ただ、そのことは、私や質問者さんを含め、誰にとっても同じ条件なんです。 ですから、お互いのことをよりよく知ろうと、純粋に興味を持つわけです。 そうして、関係が深まり、生活する上で必要不可欠な存在になっていくのだと、私は思います。 ようするに、信じるべきか疑うべきかわからないから、知ろうとする、という説ですね。 信じられるというのは、不安であるお互いを理解し、その上で、共に歩むという決断なんじゃありませんかね。

suvaco10
質問者

お礼

私も「共に歩む」という決断をしたいと思います。 ありがとうございました。